臆する者、恐れる者

「……」

「……黙れよ」

「……怒るのか」

「そりゃ、ここまでいろいろ言われたら……嫌でも、ムカつくだろ……」

「自分のためなら怒るのか。自分の部下が好き勝手言われていた時は、静観していたくせに」

「……!!」


 密香は、あくまで冷静だった。胸倉を掴み上げられることも、そう言われることも、全て予測通り……そう言わんばかりに。


 そして的確に、泉の矛盾を突いていく。傷を抉り続ける。何度も何度も。


「俺に嫌われたくないからだろ。だからそうした。もちろん俺にムカつく気持ちもあっただろうよ。でもお前は結局何もしなかった。自分が傷つかない方を優先した。


 。お前が中途半端だっていうのは」


「……」


 泉は、手を離した。そして、ゆっくり一歩後退る。

 目の前にいるこの男が、恐ろしくて仕方なくて。


 彼の言っていることは、何より正しいことだ。分かっているのだ。自分は弱い人間であり、それで誰かに迷惑をかけてしまうと。いつかそんな未来が訪れると。

 でも隠してきた。バレないように、取り繕ってきた。演じてきた。あたかも一人前のリーダーのように。何も考えていないような、飄々としたムードメーカーを。


 本当の自分を、特に、弱い部分を、見せすぎないように。


 でも、彼は違う。素早くその綻びを見つけると、容赦なくそこにナイフを立て、広げていく。隠していたところを、露見させていく。


 彼は、間違っていない。

 だけど、それと対面させられるのは、酷く恐ろしすぎるのだ。


 何も言わない泉に、密香は大きなため息を吐いた。……少し、やりすぎたか、なんて思いながら。

 だけど彼は、自身のスタンスを崩す気など、欠片もない。


「……考えておけよ。お前が本当に、この隊を、部下を、俺を、大切に思うのなら」


 密香はそう言うと、泉の横を通り抜ける。そして部屋の扉に手を掛けると。


「じゃないとお前は結局、学生の時と何も変わらない。……逃げるなよ。臆病者」


 そんな台詞を吐き捨てると、密香は部屋を出て行く。

 自分がいると、他者の心の調和を乱す。彼は、一応だがそれも把握していた。


 密香はその場で立ち止まり、黙って右を見つめた。

 、廊下を。


「……」


 けれど結局何も言わず、そのまま踵を返して去って行った。


 部屋に1人残された泉は、やはり澄んだ湖のような、そんな瞳で、虚空を映していた。





「……」


 言葉は、密香が目を向けた方向……その曲がり角で、息を殺していた。


 残っていたわけではない。彼女は上着を……泉が卒業の時に自分にくれたジップアップパーカーを、うっかり脱いだまま放置して帰ってしまったことを思い出し、取りに帰って来たのだった。そして泉がまだ部屋にいることを気配で悟り……それで、こうだ。


 話を、聞いてしまった。そして密香が部屋から出ると分かると、慌てて逃げた。


「……いずみ、せんぱい」


 そして、小さく呟く。



『正しいことをしてみせるから』


 あの言葉に、嘘はなかった。



『でも僕は、泉先輩みたいな「優しさ」が、好きだよ。そういう人になりたいとも、思ってる』


 その言葉は、嘘じゃない。



 揺れている。心は安息の地を見つけることが出来ない。何が正しくて、自分はどうするべきなのか。


 考える、けど、分からない。


 彼の優しいは、中途半端なのだろうか。それとも、甘いということなのだろうか。はたまた、両方なのか。


 ……分からない。


「……」


 言葉は座り込み、その状態で固まったまま、何も言わない。傍から見れば、精巧な人形か何かかと思ったかもしれない。


 だが彼女は奥歯を噛み締めると、そのまま苦しげな表情を浮かべる。そして立ち上がると、一目散に走り出した。とりあえず、家に帰るために。


 手の中にある上着が、温かい。走るときに生じる風も、防いでくれるから。いつでもそうだ。この存在に、守られてきた。

 視線を落とす。これを貰った時のことを思い出して。



『小鳥遊、お前に任せたよ』



 気づけば夜空の下に出ていた言葉は、思わずそこに顔を埋めた。わけも分からず、泣いてしまいそうだった。


「……泉、先輩」


 言葉はか細く、声を押し出す。


「……変わらないでよ」


 その声は、誰にも届かない。元々誰も通らないような場所だ。


 更に、今日は曇っている。いつもなら見える一番星も、今日はお役目御免のようだ。



 誰も知らない。

 恐れる少女の、その悲鳴を。





【第23話 終】





第23話あとがき

https://kakuyomu.jp/users/rin_kariN2/news/16817330668058316799

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