花嫁の死せる道

 何が起きたかと言われれば何も起きていない。

 いや。


 何か起きた所で知覚出来ていない。


「錫花、おい! しっかりしろって!」

 掴まれた肩に指が食い込む。

「いたっ……!」

 それは中学生女子とは思えない腕力だった。無理やり引きはがそうとすると、俺も全力で抵抗しなければいけない。それで彼女が怪我をしてしまっても構う余裕がなかった。

「おい! 錫花! やめろ!」

 ばさりと本をなぎ倒しながらその場に崩れ落ちる。少女の指が掌に重なり、包むように重なる。

「お前の事は好きだけど、こういうのじゃない! 押し倒すな! 力が……先生! ちょっと、たすけてくださあああああああああい!」

 女性に助けを求めるなんて情けないとか、そんな甘っちょろい事を言っていられる場合ではないだろう。命に関わるかもしれない。大体女性とか男性以前に先生は大人なんだから、頼ってしかるべきだ。今の俺がまともに頼れる大人って、あの人しかいないし。

 だから遠慮なく助けを求める。それが最大限の信頼の証にもなるから。

「どうしたの!」

 声が直ぐに近づいてきたが、そちらに顔を向ける余裕はない。錫花に組み付かれて、それへの対応で精一杯だ。先生は状況を呑み込めていないのか暫く返事をくれなかったが、ガシっと彼女の肩を掴む手が見えたので、一先ず助けてくれるようだ。

「何が起きて……錫花ちゃん!」

「ああああああ…………ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙! 触れルなァ! 糸しい人! わたシのおおおおお! 」

「引きはがしてください! 錫花が多分良く分かんないけど……取り憑かれた!」

「……ああもう、ちょっと乱暴になるけど、ごめんよ!」

 先生が錫花を引き離している間に体勢を起こして触られた個所を確認する。よくよく考えればまだ何もされていないが、だからって安全だとは思わない。先生が迅速に到着したからこその被害だとも言える。

「…………!」

 引き離されると、先生は彼女を思い切り壁に投げ飛ばして、俺の手を掴む。説明しておいてなんだが、二人共この状況を正確には説明出来ない。一先ずこの地下から脱出するべく二人で元来た道を逆走。どうせ地下に逃げ場ないので、俺がそう提案した。

「何なの!? 錫花ちゃんが狙われた訳!? 私じゃなくて!」

「良く分かんないけどそうみたいです! 逃げましょう!」

 梯子を上って小屋の外に出る。そのまま鳥居の方まで逃げるつもりだったが、道の途中に見覚えのある背中を見つけてしまった。走り抜けようとする先生を引き止めて、恐る恐る様子を見る。


 それは、冬癒の友達だった。


 今まで散々その振る舞いにうんざりしてきたが、今回は様子が違う。そもそもこんな場所に居る時点で、彼女が『神話』を知っていた事は明らかだ。つまりも何も前から分かっていた事だが……やはり彼女達は『カシマさま』を知っている。

「……… ̶ど̶う̶し̶て̶ ̶ど̶う̶し̶て̶、̶私̶は̶ち̶ゃ̶ん̶と̶さ ̶さ̶げ̶た̶のに̶」

 不思議な喋り方をしている。喋っていると思うが、俺には言葉が理解出来ない。こういう言い方が正しいかはさておいて、発音が裏返しになっているみたいだ。たぶん恐らくきっと日本語だが、それ以上は分からない。

 ぐちゃり、と身体が取れた。

「ひっ……!」

 肩から二の腕にかけての部分が膨らんでいる。袖から零れ落ちたのは膿だ。身体に巨大な膿がくっついている。見覚えのある背中というのは服を見て言った。姿形だけで判断するならそれはもう人間じゃない。

 こちらの怯んだ声を聞いて、そいつが振り返る。

「し ̶に̶た̶く̶な̶い̶ ̶し̶ ̶にた̶く̶な̶い̶ ̶し̶に̶ ̶たくな̶い̶ ̶し̶に̶た̶く̶な̶ い̶ 」

「…………」

 スカートを履いているから女性とか、そんな漠然とした括りでないとかつてそれが人間だったと知る事は出来ない。可愛らしくまとまっていた顔は醜く歪んで、不平等に膨らんでいる。

 膿はまるで化粧のように、目や鼻、唇を中心に紅く広がっている。見ようによっては美しいと言えるかもしれない。ただそれはあまりに前衛的で、俺には理解のりの字も及ばなければこれからそれが訪れる日も来ないだろう。

「 ̶た̶す̶け̶て̶く̶だ̶さ̶い̶」

「…………!」

 人は恐怖に囚われると身動きが取れない。逃げればいいだろなんて外野の意見だ。他ならぬ俺が一番そう思っていても足が動かない。足を引きずりながら近づいてくる女子に、俺の身体は根を張ってそれを待ち構えるばかり。そんなつもりは一切ないのに。


「―――ちょっと、それ貸して」


 先生が俺から鉈を奪うと、来ていた白衣を脱いで腕に縛り付けた。掌から肘にかけて無理やり抑え込むような縛り方は、一度握った鉈を決して離さない意思表示でもある。

「そこから先に近づいたら、殺すよ」

「せ、せんせっそれは」

「あんなのはもう人間じゃない。人を殺す簡単な方法だ。相手を人間と思わなければいい」

「 ̶私̶、̶死̶に̶た̶く̶な̶い̶の̶に̶」

 先生の警告も空しく、彼女は近づいてくる。伸ばした手の爪は膿んで腐り果てていた。

「うん。じゃあ殺す」

 一方的な殺戮。伸ばした手が切り付けられたかと思うと先生は懐に飛び込んで額に鉈を叩きつける。

「 ̶い̶た̶い̶た̶い̶た̶い̶た̶い̶た̶い̶た̶い̶た̶い̶た̶い̶た̶い̶た̶い̶た̶い̶た̶い̶た̶い̶!̶」

 仰け反ったのを見てから首に刃をひっかけて引き寄せると、柄の部分で頭部の膿を叩いて破裂させ、膝蹴りで体を吹っ飛ばす。倒れ込んだ少女の胸を踏みつけて、首を切り裂いた。


「ギャダダダダダダダアアアアダダダダアアアアアア!」


 耳をつんざく断末魔を響かせて、怪物と果てた妹の友人は絶命。先生は止まらず、死体を刻み続けている。

「殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す」

「先生、もういいです。あの」

「殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」



「先生!」


 

 背後から抱きしめる様にその行為を制止すると、ようやく動きが止まってくれた。膂力で無理やり止めたつもりはない。先生が俺の存在に気づいて正気に戻ったのだ。

 足元の死体は、膿関係なしにズタズタに引き裂かれて誰が誰だかもう分からない。

「………………ああ。また私は。殺したんだ。違うんだよ新宮硝次君。なんか、頭が真っ白になってしまうんだ。何かしなきゃ、しないと駄目だ。また失うかもなんて思ったらどうしても」

「…………有難うございます。守ってくれて」

「え?」

「動けなかったんです。逃げられなかったんです。先生が護ってくれなかったら死んでたと思います。だから、お礼を」

 先生の身体から力が抜けていく。それでも鉈は握ったままだが、振り返って俺を抱きしめてくれた。それだけで十分だ。

「………………………………複雑な気持ちなんだ。そうやって殺人を認められてしまうと、いつか私は自分本位に殺しをしかねないから。殺人に手を染めた女なんて何処にも引き取り先がないからね。ただでさえ元々傷物みたいな所があるのに」

「大丈夫ですよ。先生は魅力的ですからいい人見つかりますって。過去は過去で今は今です。たった今俺は、命を救われたんですから」

「……………………」



「花嫁の資格、ありますって」




 後ろから錫花が追いかけてくる事はなかった。目の前の障害も排除した事だし、一度本殿の方へ戻るべきか。   

 

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