第19話:黒く、輝く


血飛沫が舞う。


ガデスが振り下ろしたハンドアクスの刃は、確かに虚の後頭部に食い込んだ。

そして、握り締める手がゆるりと緩み、ガデスは後ろへ倒れこむ。


虚の髪の毛が硬質化し、束となって刃物のような形態と化し、それがガデスの腹を貫いたのだ。

硬質化した髪の毛は伸縮し、虚の周囲を無差別に攻撃する。

クロウにもその一撃は飛んでくるが、それは黒剣で受止めた。

だが勢いにおされ、多少距離をとられてしまう。


ガデスは死んではいないものの、その息は荒く、放っておけば死んでしまうだろう。


「他妈的!ドゴラ!!」


セイ・クーが何かを叫んだあと、ドゴラの名前を呼ぶ。

ガデスを助けろ、という意味だ。

距離的に近いのはシャル・アだが、彼女ではガデスの体を支えきれまいと考えてのことだった。


応、と叫ぶや、精霊力により脚力を強化し走り出すドゴラ。

虚の意識が一瞬ドゴラへ向かい、その瞬間にシャル・アの袖口から何本もの棒ナイフが飛び出す。


ナイフは一本残らず虚に突き刺さるが、どれもがせいぜい切っ先までの深さしか突き刺さっていない。


効いてはいない。

気をひいただけ。

だが、それで十分。


クロウが黒剣を構えなおし、強化された身体能力で地面を蹴り出し、猛烈な勢いで虚へ吶喊していく。

セイ・クーはシャル・アと並び背後から、クロウは前方から虚を挟み撃つ構えだ。


━━לנוע בכוחות עצמו


だが虚がまた何がしかの詠唱を口ずさむ。


するとナイフは虚が触れてもいないのにその体から引き抜かれ、切っ先が反転し、凄まじい勢いでセイ・クーたちへ襲い掛かった。


(念動!?ま、まずい!)


風切る勢いで迫るナイフは、たとえ一本たりとも受ければ命に届きかねない。セイ・クーとシャル・アは目を見開く。

その目に見えたのは死神の影だろうか。


いや、クロウだった。


風を切るナイフを、風を引き裂く勢いで追い抜いたクロウは黒剣を一閃、ニ閃…そして三閃。

半数以上を叩き落す。

だが、残りの半数はクロウの体に音を立て突き刺さった。


吐血

落膝


両膝を落とし、片手で剣を地面に突き刺し堪えるクロウに、虚が人差し指を向ける。

セイ・クーとシャル・アは驚愕から意識が立て直っていない。


そして


「ジ・カカネグィ・ウェパル…円渦氷輪斬!」


シルファからギャリリと回転する薄氷のチャクラムが乱れ飛ぶ。

飛来する十重二十重の斬撃は物理的な防御能力に高い耐性をもっていた虚の肉体を切刻んだ。

クロウへ意識を向け、攻勢術式を行使しようとしていたため体に練りこんでいた魔力の密度が一時的に低下していたのだ。


クロウに放たれようとしていた魔術は斬撃の衝撃で構成が崩壊し、霧散する。しかし虚はそれどころではなかった。


その視線の先には、クロウ。



全身に根元まで突き刺さったナイフの本数は9本。

肺を貫いたナイフもある。

重要臓器も無事ではない。

普通ならば死んでいる。


だが、クロウは、【死にたがり】のクロウは

死に瀕すれば瀕するほどに

死への恐怖、歓喜が入り混じり、乱れ

暴走する感情から迸る余りある魔力はまるで黒いダイヤモンドのように煌き



その魔力の波動は、死したる心の彼女をして瞠目せしめるものだった。


悍ましい、そして美しい魔力が黒髪の青年の持つ剣へと集束していく。


その黒い一撃を放たれたならば、己の繰る古代ルーン語からなる障壁魔法をもってしても打ち貫かれるだろう。

だから放たせてはならない。


ならば今この瞬間、魔力が集束する前に殺してしまえば良い。


全身を切刻む氷の斬撃を無視し、虚は両手を突き出し、己が持つ魔術でも必殺の威力を持つそれを放たんとした。


それは有形無形関係なく、ありとあらゆるものを【1つの粒】と化す大魔術。


1200年を生きた彼女がかつて賢者と呼ばれていた頃、荒野の魔王マルドゥークを滅ぼした大魔術。


他ならぬ彼女が生み出した固有魔術だ。

術式構築を誤ることはない。

たとえすでに彼女自身の心が死んでしまっていたとしても。


魔力は円環を描き、瞬く間にその式を構築し


そして綻び、霧散した。



愛する男を追ったエメルダは、文字通り己の全身と全霊をかけて虚の魔術の根源にわずかながらの傷をつけていたのだ。

わずかな傷。

しかし、大魔術の構築には深刻な支障が出る程度の傷。


ならば、と別の術式を撃とうとすると不意にその術式に乱れが生じる。

魔術行使にもっとも重要な頭部をガデスにより傷つけられ、わずかながら構築速度に乱れが生じたのだ。


しかし虚にとってはほんの些細な障害に過ぎない。

魔術式はすぐに形を取り戻し、力を集束しているクロウへと放たれようとしていた。


両の手に魔力が集束していく。


だが虚の指が


クロウに向けた両の手の指が


パキパキと折れていく。


指はまるでそれぞれ意識を持つようにうねり、あらぬ方向へ曲がっていく。


すでに痛みを感じる機能を失っているはずの虚は、その瞬間確かに痛みを感じた。


痛みという異物が魔術の発動を阻害する。


そして、見た。


虚の傍らにたたずみ、こちらを眺めている瞳のない黒い少女を。



━━A…gh…


虚の口から言葉が漏れる。


何かを言いたかったのかもしれない。


だがクロウの黒剣が、漆黒に煌く魔力を螺旋状に纏わせた突きが


虚の頭を跡形もなく吹き飛ばす。


彼女は最期に何を言うつもりだったのか?


彼女の遺言は誰も聞くことができなかった。

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