第3話:赤角に殺されたい②
荒地にたどり着いたクロウは、辺り一帯に広がる不穏な気配、殺気に気付いた。
━━見ているな
荒地のどこかで、赤角が自分を見ている。
クロウはゾクゾクとする悪寒を感じながら歩みを進める。
ザッザッという足音がやけに大きく聞こえた。
歩くこと暫し。
周囲に広がる不穏な気配が、殺気が、濃密さを増していくように感じる。
ごくりと飲み込む唾液が苦かった。
━━苦い。これが、死の味か。
にやり、と笑いながらクロウは殺気の中心へ向かって行く。
クロウという男は普段でこそ大人しく静か、でもややコミュニケーション能力に障害があるといった青年なのだが、死に瀕している(と思い込む)と脳内麻薬がドバドバと出てしまい、テンションが少しおかしくなってしまうきらいがある。
■
そこには一匹のオーガがいた。
ただのオーガではない。
黒くゴツゴツした硬そうな肌、濃い血を煮締めたかのような赤い凶眼がギラついている。
頭部は天を突くかのような巨大な赤い一本角。
特異個体【赤角】がそこにいた。
対峙するクロウの眼もまともではない。
切れ長の目の奥の瞳は殺意と自殺意と期待と怒りと悦びと恐怖で爛々と輝いている。
思った通りの凶悪な姿に、クロウは強く自らの死を幻視した。
そして死の予感はクロウの肉体の枷を取り外す。
ぎりりりりと長剣を握る手に力がこもった。
パキ…パキ…
空気が殺意で軋む。
「バァッッッ!!!!!!」
殺し合いは唐突に始まった。
魁の音声(おんじょう)と同時に、硬い地面へ跡が残るほどに踏み込まれた勢いで、クロウは猛烈な速度で赤角へ突っ込み、大気を切り裂くかのような袈裟斬りを見舞う。
対する赤角はその剛腕から繰り出される一撃を、振り下ろされる斬撃の軌道をなぞるかのように薙ぎ払う。
酷く硬いもの同士がぶつかったような耳障りな音をたて、両者の攻撃がぶつかり合う。
クロウは即座に剣を引き、横っ飛びで距離をとる。
赤角は追撃せず、ゆっくりと身体を回し、クロウを正面に捉えた。
再び両者は向かい合った。
クロウは油断なく赤角を観察しつつ、先ほどの打ち合いについて考える。
あの時、クロウは渾身の力を込めて切りつけた。
だが、赤角の肉体には薄い切り傷が1つついているだけだ。
逆に赤角の攻撃は、当たれば即死必死の威力であった。
クロウは思う。
赤角の攻撃力は尋常ではない。
それは赤角の纏う魔力が関係しているのだろう。
赤角は魔導を使うようだ。
なんらかの魔導が赤角の防御力を高めているのかもしれない。
赤角は、クロウが考えている間もじっとクロウを見ていた。
クロウもまた、赤角を注視していた。
言語化できないなにかを1匹と1人は交感していた。
赤角の目線からはクロウの一挙手一投足をも見逃さぬという気迫を感じた。
実際、赤角としてはあのような力任せの一撃で薄くとはいえ傷を負ったことは驚愕に値することだったのだ。
もしこの身を纏う魔力の護りがなければ、あの一撃は極めて危険なものだったに違いない。
目の前のこのニンゲンは餌ではない。敵だ!戦士だ!
赤角の心構えが捕食者から戦士のそれへとスイッチする。
両者の間に静寂が流れる。
先に動いたのはクロウだった。
赤角は動かない。
それを見たクロウは、再度赤角へと突進し、今度は逆袈裟に見舞う。
赤角はやはり動かず、ただ、右腕を持ち上げた。
その時クロウは見た。
赤く濁った魔力が赤角の一本角から右腕に流れゆくのを。
━━なるほど。奴の魔力の源はあの角か。
━━あの角を破壊できれば、奴の魔導行使を阻害できるだろうが…
クロウにもそれが難しいことはわかった。
なぜなら、そもそも角から流れる魔力の護りでクロウの一撃を受け止めたのだ。
その魔力の源となれば、護りの堅牢さは推して知るべし。
クロウの本能が告げる。逃げろ!分が悪い!と。
だがクロウは逃げない。
だってとても嬉しかったからだ。
死への恐怖と期待がぐちゃぐちゃに混ざったナニカが心へ流れ込み、クロウの頭がどんどんおかしくなっていく。
いまやクロウは満面の笑みを浮かべ、血が流れるほどの強さで剣を握り締めていた。
━━今の自分の人生は、死にたいと願いながら渋々生きるような野良犬の下痢便にも劣るようなものじゃあない!
━━無残に散った者たちのあだ討ちという大儀のために命を燃やしている!
━━しかし相手は強い!強すぎる!だから俺は死ぬだろう!間違いない!
━━だが俺に深手を負わされたコイツは、早晩他の誰かに倒される!易々と癒せるような傷を負わせるつもりはない!
━━俺はやっと終わらせることができ、仇は討たれる!俺が命をかけたお陰で!俺は死んだあと、賞賛され、たたえられるだろう!俺の死は無駄じゃなかったとみんなが言うだろう!
━━何からも必要とされず、無意味に生きて無意味に死んだ前の人生のようなものじゃあなく!
■
ここで魔導と魔力について説明をしておく。
簡単にいえば、魔力とは魔導を機能させるための燃料である。
然るべき量の魔力を、然るべき構造の魔導へ流せば、然るべき結果が発現するのだ。
そして、魔導行使で大事なことは感情の制御である。
わずかな感情の、想いのブレが正確な魔導の発現を阻害する。
逆に、魔力発現で大事なのは感情の強さである。
喜怒哀楽なんでもよい、抱く感情が強ければ強いほどに魔力はその量を増大させる。
優れた魔法使いはリラックスしながら怒り狂うことができ、涙を流すほどの悲嘆にくれながら満面の笑顔を浮かべる事が出来るとされる。
要するに、狂人だ。
そして、クロウは…
■
クロウの体から膨大な魔力がどばどばと漏れ出している。
魔力が感情に呼応して急速に増大しているのだ。
魔力は大気に溶けることもなく、どろりと粘性を帯び、クロウの全身を覆っていく。
赤角は慄然とし、信じられぬものをみるような目でクロウを見ていた。
だがすぐさま怒りを浮かべ、一本角からさらに多くの魔力を引き出し全身を覆っていった。
「グ…ガァァァアアアアア!!!」
今度は赤角が雄たけびを上げつつクロウへ突貫した。
頭を低く下げ、その角でクロウをぶち抜かんとする。
だがクロウは左手一本で赤角の一本角を握り締め、突進を受け止めると、握った一本角を引き、体を引き寄せると猛烈な膝蹴りを見舞った。
クロウの膝が赤角の腹にめり込む。
「ゴボォッ」
赤角は口から胃液を吐き出す。
クロウはさらに追撃を加えようと、赤角の角から手を離し、右拳を振りかぶるが、赤角もやられっぱなしではない。
クロウの右手首をつかみ、そのまま背負い投げを敢行。
クロウの体は宙に浮かび、背中から地面に叩きつけられる。
「カハッ!」
肺の中の空気が強制的に排出される。一瞬息が出来なくなる。
赤角はそのままクロウの上に馬乗りになると、角の先端をクロウの心臓へと突き立てようとする。
だがクロウは赤角の右腕を掴むと、渾身の力を込め腕の肉を千切り飛ばした。
膨大な魔力を纏えば、か弱い人の身とて怪物の肉を千切るくらいは出来るのだ。
赤角の顔が苦痛に歪む。
それでもなお赤角はあきらめず、左腕でクロウの顔面を殴りつける。
クロウの鼻が潰れ、鮮血が飛び散る。
クロウは怯まず、空いた手で赤角の角を掴み、ギリリと握り、締め付ける。
理性的な判断ではない。
まだ正気の欠片が残っていたときは膨大な魔力で覆われた一本角は堅牢に過ぎる、と判断したはずだった。
だが今のクロウは頭がおかしくなっている。
クロウは全身全霊で死にたいと願い、全身全霊で殺したいと願っていた。
赤角の左手がクロウの喉を掴んだ。
クロウが赤角の一本角を握り圧し折ろうとするのと同様に、赤角もクロウの喉を握り潰そうとする。
喉を締め付ける赤角の膂力は凄まじい。
喉元とて魔力の護りはあるが、それでも次第に喉に赤角の指が食い込んでいく。
それでもクロウは一本角を握り締める力を欠片も緩めなかった。
彼には彼なりの算段があったのだ。
そこには、自分の死は当然の如く織り込まれている。
決着が、近付いていた。
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