第28話
「パフェおいしいです。大室君、知っていますか、パフェという言葉はフランス語のパルフェ、英語で言うパーフェクトから来ているそうです。パフェは完璧で、完全無欠な、まさに完成され尽くしたスイーツであるという意味です。言われてみれば納得ですよね。確かにこの一皿の中には複数の層から成る美しい世界が存在しています。これはある種の……」
食後のデザートと称して、さらにミニパフェを三つ運んできた律は嬉々として何やら語り始める。その上機嫌な律を見て、大地は先程までとは大きく異なった理由で戦慄を覚えていた。
(まだ食うのか……)
体格も良く人より食べる自覚のある大地ですら既に食事を切り上げている。食後のコーヒーを飲んでホッと一息吐いていたところだ。
律はそんな大地を一瞥すると「そろそろですかね」と呟いて席を立った。故に、律も締めに何か飲むのだろうと大地はそう考えていた。その結果が、これである。まさか、あれだけ食べて尚、さらにパフェまでいくとはスイーツ好きの大地をしても予想外であった。
「大室君、聞いていますか?」
「あ、あぁ悪い。何だっけ?」
律が訝しげな表情で先ほどより強めに問いかけると、大地はすぐさま我に返り、驚きを顔に出さないように注意しながら返事をする。
「この後の予定の話です。今日はどこに連れていってくださるのですか?」
「すまん、まだ考えてなかった」
目の前の光景から目を逸らすために頭を振って思考を切り替え、慌てて行き先を考える。しかし上京したてで大学とバイト先の往復ばかりの大地が、普通の大学生が行くような遊び場など知っているはずもない。どうしたものかと悩んだ末に、大地は唯一の心当たりを口にする。
「昨夜、佐田は体を動かしたいって言っていたよな? ならボルダリングとかどうだ?」
大地のバイト先すぐの場所にあるボルダリングジム。外側はこじんまりした倉庫か何かにしか見えないが、中はそれなりに広く設備も充実している。叔父の悟に何度か連れて行ってもらった事もある。
「ボルダリング……ですか? カラフルな壁を登るあのボルダリングですよね?」
「カラフルなのは壁じゃなくてホールドだが、まぁそうだ」
「興味はありますが……私はあまり力が強くないので少々不安ですね」
律は自らの手を開いたり閉じたりしながら自信なさげにそう口にする。
つい先日、結芽を軽々と抱えている場面を見ていた大地は苦笑いを漏らす。しかし、それを指摘して折角直った機嫌を悪くされては堪らないので、浮かんだ考えはしっかりと心に留めて蓋をした。
「大丈夫だ。普通に楽しむ分には全く問題ないぞ。力があるに越したことはないけどな。それより体の使い方の方が重要らしい。まぁ体格や体重、筋力にテクニック、色々な要素が関わってくるから一概には言えないけどな」
大地は以前にボルダリングジムの店員から聞いた受け売りを律に説明する。
それによると、背中は腕の三倍程度、脚に至っては腕の五倍程の出力があるのだそうだ。よって、それらを効果的に駆使することが出来るならば、絶対的な筋肉量はさほど重要視されないらしい。
実際に筋肉質な成人男性が四苦八苦している横で、小学生くらいの女の子が軽やかに登る現場を大地は何度も目にしたことがあった。
「俺も十回も通ってないニワカだから偉そうなことは言えないけどな。ちゃんと初心者でも楽しめるから、そこは安心してくれ」
「そうですか。それなら心配なさそうですね」
「爪だけは少し傷むかもだけど大丈夫か? ネイルとかをしているなら止めておいた方がいいかもしれない」
「大丈夫です」
律はそう言うと、両手の甲側を大地の方に向けて自らの爪を見せる。律の爪は綺麗に短く整えられ色艶も良かった。指も大地の太くて短いものとは異なり、スラッとして長く、やや筋張っている。
これならホールドし易そうだなと大地が感心して律の指を眺めていると、律は大地の内面の奥底を探るかのように鋭い視線を大地に向けつつ質問をする。
「ところで、大室君は女性のネイルについてどう思いますか?」
「え? ネイルか……考えたことなかったな。あんまり意識して眺めたことは無いけど、華やかで良いよなアレ。でも手入れも大変だろうなぁ」
全く別の事を考えていた大地は、急な話題の転換に面食らいながらも考えを口にする。
「なるほど、大体分かりました。あまり拘りは無いようですね」
「そうだな。身近で見かけたことも無いし、正直よくわからないって感じだ。それより、佐田の指が長いのは素直に羨ましいな。俺は指が短いのが少しコンプレックスだから」
大地は口を尖らせながら、せめてもう少しだけでも長ければと不満げに愚痴をこぼし、手の平を律に向けて広げて見せる。
すると律は除に、しかし大地の意識の隙を付くかのように大胆に、大地の手の平と自らのものを重ねるようにぴったりと合わせる。
「本当ですね、短いです。ふふ、私の方が間接一つ分大きいです」
律はおちょくる様な声音で妖しげに微笑むと、そのまま指をきゅっと閉じて大地の手を握る。緩やかに包むように、そして少しだけ艶めかしく。そうして絡められた律の手はしっとりひんやりしていて、抗い難い不思議な心地よさを大地にもたらしていた。
不意を突かれた大地は硬直し、律が楽しそうににぎにぎとする様をぼんやりと他人事のように眺めていた。しかし数秒後にハッとすると、なんとか手を放そうとジタバタと腕を左右に振る。
律は大地の動きに抗うことなく、どこ吹く風でへらへらと軽薄な笑みを浮かべながら脱力した腕をぶらぶらと振られている。しかし手首から先にだけはガッチリと力が加わっており、放すつもりはないらしかった。
「放せ、もう分かったから。これだけのホールド力があればボルダリングは大丈夫だ。だから放せ」
大地は周囲の目を気にして声を抑えながらそう口にする。しかし、それでも律が放さないため、両手で引き剥がすべく律の指先を掴んで少し乱暴に一本一本引き剥がす。
「酷いです。そんなに嫌がらなくてもいいじゃないですか」
「なぁ佐田、異性と安易に不必要な接触を持つのは良くないぞ。トラブルの元になりかねないからな。……もういい。食べ終わったなら行くぞ」
大地は過度な接触を注意しようと口を開いたものの、意地悪くニマニマと自分のことを見つめる律に気付くと、注意を早々に諦め退店を促す。
「待ってください。まだあと十分あります。まだおかわり出来ます。あと三つ……いや急げば四つは……」
「まだ食うのか? これから運動するんだし、腹八分目にしておいた方がいいんじゃないか? あと、さっき立ったときに少し見えたんだけど、腹出てきてるぞ」
その発言に律が驚き慄く。そして、すぐさま自らの腹部を確かめ絶望の表情を浮かべる。
「昨日のニンニクといい、考え無し過ぎるぞ」
大地は先程まで散々揶揄われた鬱憤を晴らすかのように追撃を行う。肩を落とす律の姿は大地の溜飲を大きく下げた。
「……違います。これは違うんです。食後で一時的に膨らんでいる……ように見えるだけです。太った訳ではありません。それと何故もっと早く言ってくれなかったのですか」
「言われなくても明らかにおかしいって気付け。まぁ少しでもカロリーを消費できるように精々頑張るんだな。ほら、もう行くぞ」
大地はほくそ笑みながら冷たく言い放つと、伝票と荷物を手に席を立つ。それを見て律も慌てて席を立つ。空となったミニパフェの器を握りながら。
「待ってください。最後にあと一つだけ……」
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