第24話
時刻は二十二時を少し回った頃。赤舎大学最寄りの駅前広場は賑やかな様相を呈していた。必死に客引きを行う者達と、灰色の華金を回避すべく最後の悪足掻きを行っている学生達が入り交じって、喧々囂々の混沌の場と化していたためだ。
後者の彼等は集団で居ることで気が大きくなっており、そこかしこで異性に声を掛けて回っていた。中には既にアルコールが入っている者や、女性の進路に立ち塞がって声を掛ける者、不躾に容姿の品評をしては声高に点数付けをするような不埒な者達も存在した。
当然そういった輩は周囲から白けた視線を向けられている。しかし彼等の脳内フィルターを通せば、周囲から向けられる負の感情も全くの別物に映るという厄介な有様だ。彼等は周囲が自分たちをイケている存在であるとして、嫉妬と羨望の眼差しで見つめていると心から信じ切っていた。
故に、そういった根拠の無い自信に満ちあふれた輩を疎ましく思う者や、そもそも喧噪自体を嫌う者は自ずと広場から距離をおいた場所を自らの立ち位置と定めていた。
それはつい先程本日の、そして今週最後の講義を終えた律も同様であった。律は広場から離れた場所で憂いを帯びた視線で大通り――の向かいにあるドーナツ屋――をぼんやりと眺めながら姿勢良く佇んでいた。広場の騒々しさから逃れるように、街灯の明かりの届きにくい位置で、外壁の凹部分に隠れるようにひっそりと。
しかし広場であろうが、少し離れた場所であろうが、華金で浮かれた者達にとっては大した違いなど存在しない。目敏い彼等が、薄暗い場所にあっても尚一際目を引く女に目を付けない筈がなかった。群からはぐれ一人で佇む獲物に気付いた三人の男達は、タイミングを見計らうかのように視線を交わし合うと、律の方へ歩み寄り声を掛ける。彼等は親しげな笑みを浮かべつつ、手慣れた様子で大胆に馴れ馴れしく距離を詰める。
「お姉さん、今から飲みにいこうよ。個室の良い店知ってるからさ。特別にタダでいいよ」
近付く男達にいち早く気付き、何事かと訝しげな視線を向けていた律は、突然声を掛けられた事に内心で驚きつつ言葉を返す。
「いえ、私は未成……」
しかし、それを遮るような大声で男は言葉を続ける。
「ってか、近くで見るとデカっ」
「うわマジだ。縮尺おかしくね? ヤバっ」
「あー、俺、デカい女は無理だわ、パス」
突然の悪態に律の表情が固まる。しかし、律は初対面の相手にその手の事を言われるのは慣れていた。世の中には思ったことをそのまま口にする輩はそれなりに多い。これくらいの事で苛々していては気が休まらないと、律はこれまでの人生の中で理解していた。
「そうですか、それは残念ですね。私は別に気にしませんが」
「……は? なに、馬鹿にしてんの?」
俄かにいきり立った男達も決して背は低くはない。しかし踵の高い靴を履く律相手では分が悪いようで、視線の位置は律よりも幾分か低い。それでも、なめられる訳にはいかないと周囲に誇示するかのように律を威圧するように睨みつける。
「そのようなつもりは無かったのですが、そう聞こえてしまいましたか?」
律には真実そのつもりは無かったものの、余裕のある超然とした態度も相まって、男達と周囲からは律が男達を煽っているように見えた。
揉め事の気配に周囲がざわつき視線が集まる。
しかし当の張本人はと言えば、男三人を前にしても全く動じた様子は無く、周囲から視線を向けられている現状を不思議に思っていた。
一方で、律と相対する男達は少し焦っていた。このままだと誰かが警察を呼ぶかもしれない。そうなっては面倒な事になる。女一人相手にここで退いてしまうのは業腹だが面倒よりマシだ。何よりこの女はどこかおかしい。そう考えた男達は、捨て台詞を吐きながら踵を返す。
「それだけデカいと相手に困りそうだから折角誘ってやったのにな」
「自意識過剰過ぎっしょ、こっちからお断りだわ」
「あんな巨人、無理無理」
男達は口々に口汚く悪態を吐いて、そのまま立ち去ろうとする。
しかし、その進路に立ち塞がる者が居た。それは例えるなら直立した熊であった。縦にも横にも大きい。厚着をしてモコモコに着膨れていることや、ゴツゴツしたブーツを履いていること、極めつけに表情が判別し辛いヘルメットを被っている事もあり、周囲に異様な威圧感を放っていた。
その熊の様な人物は、男達を上から威圧するように緩やかに顔を近づけると、彼等の顔を至近距離でじっと見つめる。
先程まで自分達より少し大きい律を威圧していた彼等も、自らの頭の天辺までを見渡せる程に大柄な男に対して同じように振る舞うことは出来なかった。
「あんだよ? 誰だよ、関係ねーだろ」
「なんか言えよ」
「やんのか? こっちは三人だぞ」
その言葉を受けても微動だにしなかったヘルメットの男は、三人にのみ聞こえるくらいの小声でぼそりと何かを口にする。
「はぁ? 意味わかんね。きも」
「趣味わるっ」
尚も悪態は続くものの、ヘルメットの人物は用事は済んだとばかりに男達を無視すると、律の方へ歩み寄り声を掛ける。
「すまん、向こうに居て気が付かなかった。待ったか?」
「はい、待ちすぎてお腹が空きました」
ヘルメット男が近づくと、律は花が咲いたように華やかな微笑みを浮かべながら楽しそうに不満を口にする。
先程の輩は二人に対して声を荒げて何か言っていたが、ヘルメットの青年も律も気にした様子は無い。男はヘルメットのせいで後方の音はあまり良く聞こえていなかったし、律はそもそも彼等に興味が無かった。
「こんな遅い時間に講義を入れるからだ。佐田はただでさえ家が遠いんだから、もう少し考えて履修スケジュールを組め」
「すみません、つい。興味深い講義があったもので」
眉尻が下がり、しおらしい態度を浮かべた律に、男はハッとして慌てて謝罪をする。
「あぁ、いや、すまん。失言だった。個人の自由だから責めるのはお門違いだよな。悪い」
それに対し、律は目を細めて嫋やかに微笑みながら謝意を表す。
「いえ、心配して下さったんですよね? ありがとうございます」
「別にそういうわけじゃ……」
男が照れ臭そうにヘルメットごと顔を背けると、律はその人物の二の腕を胸に抱え込み引っ張る。
「それでは行きましょうか。バイクはあちらですね?」
強引な律と、その律に引っ張られ挙動不審なヘルメット男の二人は、そのまま路肩に停めてあるバイクへと向かうべく歩を進める。しかし、律はふと何かを思い出したかのように一瞬立ち止まると、先程の三人組に向き直り声を掛ける。
「そういう訳で、高身長好きの彼を待たせているのでお先に失礼します。それでは」
律は小走りでヘルメット男の下へ駆け戻ると、自分用に手渡された装備を身につける。
「……聞こえてたのか」
ヘルメット熊――大地は気恥ずかしそうに問いかける。
「ええ、耳は良い方ですので。『高身長女子最高だろうが』でしたか?」
意地悪く口元を歪めている律が楽しそうに揶揄うと、大地は被ったヘルメットごと頭を抱えて身を激しく捻る。
「やめろ、口にするな。忘れろ」
「それにしても、大室君がそんなに私の事を好いてくれていたとは少々意外でした」
大地のウブな反応をたっぷりと楽しみつつ、律はしみじみとそう口にする。
「高身長女子を、だ」
「ええ、ええ、分かっています。大室君は高身長女子が好きです。私は背が高いです。これすなわち、大室君は私のことが好きであると言っても過言ではありません」
「過言すぎるだろうが。無茶な三段論法はやめろ。それと、さっきは見逃したけど、人に彼氏と誤認させるような言い回しも禁止だからな。また誤解が広がる」
「前向きに善処します」
律のその全く信用ならない返事を合図に大地はバイクを発進させる。バイクのマフラーからは、まるで大地の溜息のようにドッと排気音が吐き出された。
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