第22話

「ねぇねぇ、みんなは『鬼』の語源は知っているかな?」

「語源……ですか? いえ、正直気にしたこともなかったです」

「俺も聞いたことないです。教えください」


 大地が前のめりな態度で尋ねると、結芽は先輩らしく敬われて嬉しかったのか、喜色満面の笑顔で立ち上がり、部室の隅からホワイトボードを取り出してくる。


「コホン。では、教えてしんぜよう。えっと、突然だけど、みんなは受験の時に古文を勉強してきたよね? その時に『隠る』って単語を聞いたことないかな?」


 人差し指をピンと立てた結芽は部員の反応を窺うように少しだけ間を置く。そして、一同が頷いたのを確認すると話の続きを口にする。


「現代でも使われることはあるから分かるよね。そう、『隠る』つまり『隠れる』は、『逝去する』『貴人が亡くなる』みたいな使い方をされることもあるでしょ?」

「えぇ、時代劇などで『殿がお隠れになった』みたいに使われている場面を見かけたことがあります。受験古文頻出単語ですね」


 律の補足に訳知り顔で頷いた結芽は、ホワイトボードに赤いペンで〝隠〟という字を書き、その左右にカタカナで読み仮名を付け足していく。


「その『隠る』の漢字の読み方なんだけど、音読みだと『イン』とか『オン』とも読めるでしょ? でね、それが訛って『オニ』になったって説もあるみたいなの。意味的にも現世から隠れた者、つまり亡くなった人ってことらしいよ。で、そこから転じて『闇に潜んで悪さをする』って意味合いも生じたんだって。実際に、古典とか絵巻とかでも悪戯をしている鬼の描写は多いのも、そこから来ているんじゃないかな」

「なるほど、つまり鬼=死人説、または亡霊説といった感じか」


 大地がノートにメモをとりながらブツブツと呟くと、それを耳にした結芽は慌てたように自身の説明に補足を付ける。


「あくまでもそういう解釈もあるよってだけだからね。語源にも諸説あるし」

「いえ、それでも初めて聞いた話なので勉強になりました。ありがとうございます」

「ふふ、どういたしまして」


 結芽の話がひと段落したところで、長らく目を瞑って話に集中していた秀一郎が目を開き、一同に冷水を浴びせるかの如き口調で問いを投げかける。


「語源についての話はいいが、それが事実であったとして、どうなるっていうんだ」

「確かに死人が現世に干渉出来るかというと疑問ですね」

「……そうだよね」


 後輩二人の指摘によって結芽は肩を落とす。しかし、残る一人だけはメモをとりながらウンウンと頷きながら自己の思考に埋没していた。


 その様子から、大地が何か閃きを得たのではと考えた律は視線で大地に発言を促そうとする。しかし当の大地は一向に気付く気配が無い。結果、業を煮やした律は、これ見よがしに空咳をすることで大地の意識を引き戻す。


「ゴホン。大室君、何か気になる点がありましたか?」

「え、あぁ。まぁちょっとな。先輩の話を聞いて合点がいったというか」

「へ、そうなの?」

「大室君、もう少し詳しくお願いします」


 結論を急ぐ律を手の平で制止してから大地はゆっくりと口を開く。決して勿体ぶっているわけではなく、大地は自身が口下手であることを自覚しているため、出来るだけ理解しやすいように話の組み立てを考えていた。


「先輩が話してくれただろ? 鬼とは『闇に潜んで悪さをする者』って。元はそういう語源と経緯から鬼という存在が定義づけられたらしいって。だが時代を経るにつれて、後付けで様々な要素が付加されるようになるんだ」

「というと?」


 律が首を傾げて問いかける。


「悪い出来事が鬼のせいにされるようになるんだ。『悪さをするのが鬼』だったのが、『悪さ、それ自体が鬼』みたいに解釈が付加されていったんだろうな。ここで言う『悪さ』って言うのは災害に病に戦争とかだな。実際に須木高氏も鉱山の大規模災害や疫病と鬼を結びつけていたしな。そういった未曾有の災害を鬼の仕業とみなしたんだろう」

「なるほど。現代でも人の手に余るような大事件ですね。何かのせいにでもして自らを慰めないと心が折れてしまいそうです」

「そうだな。『鬼のせいなら仕方ない』って諦めの境地だったのかもな。だが、それでも日本人は〝鬼〟という存在に屈することなく立ち向かってきた」


 大地はそこで一度話しを切ると、溜めを作ってから会話の方向性を少し変える。


「だが、そこに目を付けたのが時の為政者だ。いつの時代も政治には金がかかる。それは古今東西どこでも同じだ。税収を増やしたいし、直轄地も出来るだけ多く欲しい。だけど、生産力の高い土地や鉱脈なんかは、勿論とっくに誰かに押さえられている。その誰か、つまり管理者が邪魔だ。ならば排除してしまえばいい。そこで『鬼退治』だ」

「鬼と認定して排除してしまえと? 酷く胸の悪くなる話です」

「まるで魔女狩りみたいだね。怖いよ……」

「ふん、昔から良くある話だろうが。それこそ大和朝廷の時代からな」

「そうだな。佐田の言うとおり酷い話だ。だが、駒井の言うとおり良くある話でもある」


 大地は律と秀一郎の両者に対して強く頷く。思うところはあるものの、それを飲み込めないほど大地も子供ではない。大地は結芽を安心させるようにニコリと微笑みかけると、先程の続きを口にする。


「話を戻すぞ。つまりだな、『金が採れる鉱脈で働く金工師や鉱山労働者、その他土木関連の従事者、及びその地域の管理者』こそが鬼の正体であるという説もあるんだ」

「根拠は?」


 大地から突然もたらされた新説に、秀一郎は胡散臭さを隠しきれないような表情を浮かべる。そのあからさまな反応に大地は苦笑を漏らす。


「無いな。あくまでもそういう説もあるってだけだ。ただ、佐渡金山の周辺では『鬼太鼓』という伝統芸能が残っているし、過去に大規模な金山で栄えた秋田には……」

「なまはげ!」


 結芽が勢いよく挙手をしながら発言する。それまで秀一郎に向かって話していた大地は、結芽に向き直ると先ほどまでよりもやや丁寧な口調で、また別の例を挙げる。


「ですね。正解です。他にも、桃太郎の鬼ヶ島の舞台として有名な香川では、砂金がかなり採れたらしいです。まぁ鬼の逸話自体がどこにでもあるから偶然かもしれないですが」


 大地からスラスラと出てきた情報に、秀一郎は悔しげに舌打ちを返す。対照的に律は感心したように手を合わせ、上擦った声で感想を述べる。


「なるほど。非常に興味深い話ですね。確かにそれらの方々なら、筋骨隆々としていて山や穴蔵に住むという点において、鬼と関連づけられなくもなさそうです」

「だろ? まぁ真相は分からないけど、実際に富地米村にはかなり大規模な金鉱山もあったみたいだし、鬼=金工師説もあり得るかもしれないな。それなら鬼が鉱山に住み着いていて、かつ居場所の特定が困難だったという点にも説明が付く」

「おぉ〜、すごい」

「なるほど、筋は通りますね」

「だな、ひとまずここまでをレポートにまとめておこう」

「ええ、そうしましょう」


 律はノートを取り出し、経過や要点をまとめだす。何も口にはしないものの、秀一郎も要点をまとめているのか、ラップトップのキーボードを叩く小気味良い音が室内に響く。


「なんだか順調だね。始めたばかりなのに凄いよ。今年の一年生は優秀だね」


 手持ち無沙汰の結芽はしみじみと、しかしどこか誇らしげにそう呟く。その上機嫌な結芽から少しでも情報を引き出そうと、大地はさりげなく質問を投げかける。


「ところで先輩、この後はどういった手順で進めていくのですか?」

「へ? 手順って?」


 結芽があっけらかんと聞き返すと、大地の表情は不安げに曇る。その表情を見て、『しまった』と思った結芽は慌てて考えを巡らせ、答えに辿り着く。この場面での手順など決まっているからだ。


「え? あぁ調査手順のことね! うんうん、分かってるよ。大丈夫、大丈夫だよ。手順はねぇ……えぇっと……み、みんなはどうしたいかな〜……なんて?」


 結芽のことを胡乱げに見つめていた秀一郎が深く長い溜息を吐く。その溜息には今まで辛うじて存在していた年長者への敬意も含まれていた。その結果、秀一郎は結芽を視界には入れずに、大地と律に向けてぞんざいに声をかける。


「おい、お前らは今後どうするつもりなんだ」


 秀一郎が声を掛けると、結芽の頼りなさなど端から気にした様子もない律が口を開く。


「私のやることは変わりません。入部時に取り決めた通りです。調査内容と、その経緯を脚色無く詳らかにするまでです」


 秀一郎にとって、律は部の運営に関しての問題を共有できる人材ではないということが明らかになった瞬間であった。


「大室、お前はどうなんだ?」


 大地はチラリと結芽に視線を遣ると、結芽は今にも泣きそうな顔で大地を上目遣いで見つめていた。


「……そうだな。先輩は俺たちにみたいだし、ひとまずはこのまま調査を重ねて、もう少し情報を集めるべきじゃないか? ただ最終的な記事の方向性はある程度決めておいた方がいいかもな」


「ものは言いようだな」


 結芽を立てるかのような大地の発言に対して、秀一郎は軽蔑を露わに大地を皮肉る。


「まぁいい。僕はウェブ関連に集中する。大室、お前がこいつらを主導しろ。だが、僕に急に大量に仕事を持ってくるな。定期的に進捗を報告しろ。僕はオンラインで情報共有できるように、近日中にプラットフォームを整えておく。以上だ」


 秀一郎は矢継ぎ早にそう言い残すと部室から立ち去った。結芽や律とは違い、ドアを閉める音も、歩く音も殆ど残さずに。


 残された部員のうち、結芽と大地は気まずげに顔を見合わせると苦笑いを交わし合う。


「律ちゃん、大地君、頼りない先輩でごめんね。秀一郎君も呆れちゃったかな?」


 結芽が自虐的な笑みを浮かべながらそう口にすると、律は首を傾げて、不思議そうな表情を浮かべた。


「そうでしょうか? 駒井君は随分とやる気が漲っているようですし、他意は無いのでは? 私たちも負けていられませんね」


 律の示した意外な見解に、結芽と大地は呆気に取られる。


「……そうだったのかな?」

「ふふ、そうだったのかもしれませんね」


 口下手で誤解を招きやすい秀一郎である。もしかしたら律の言うことは正しいのかもしれない。


 しかし、今の大地にとっては秀一郎の発した言葉の真偽よりも、自身の目先の調査が気になっていた。大地は不敵な笑みを浮かべ、今後の調査計画を頭の中で練り始める。


「面白くなってきたな」 

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