第114話 戦場の女神

「くそっ……どうして俺がこんな目に……」


 オルトリア王国とベゼルウス帝国の国境沿いにある、とある帝国軍の仮説拠点にて。一人の男がそうぼやいていた。


 彼の名はカフス。本来は軍人ではなく靴屋を営む普通の青年であり、皇命に基づく徴兵令によって集められた戦力の一人である。


「俺……生きて帰れるのかな……」


 これから始まる戦闘を思い、カフスは不安に押し潰されそうになる。


 頭に思い浮かぶのは、帝国に残してきた最愛の恋人。近々結婚の予定を控え、ついこの前までは幸せの絶頂にいた。


 それが、気付けば慣れない武器を取り、こんな場所にいるのだ。この世の理不尽を嘆きたくもなる。


 ましてや……。


「おい、聞いたか。オルトリアに侵攻した先遣隊は、既に陸も海も壊滅してるって話。だから、俺達が集められたんじゃないかって」


「しっ、声がでかい! 正規兵に聞かれたら問題になるぞ!」


 ここに来るまでの間に、何度も耳にしたこの噂。無敵だ最強だと国内ではやたら持ち上げられていた帝国軍が、オルトリア王国に大敗を喫し、その尻拭いのために徴兵隊が集められたというのだ。


 こんな話を聞いて、戦意など保てるはずがない。本当なら、今すぐ武器を捨てて逃げ出したかった。


 もっとも……そんなことをすれば、彼らの後ろにいる正規兵に殺されてしまうだろうが。


「なんで俺ら徴兵隊が最前列なんだよ……正規兵が前に行ってくれよぉ……」


 自分で口にしながら、カフス自身本当は分かっていた。

 帝国は、集めた徴兵隊を肉の壁として使い潰し、その隙を突いて正規兵達が攻撃を仕掛けるつもりなのだ。


 つまり……戦場に立てば、まず間違いなく生き残れない。


「ちくしょう……!」


 逃げても死ぬ。戦っても死ぬ。

 絶望に暮れる彼の心を繋ぎ止めるのは、生きて帰ってきて、と願いを込めて恋人から託された、肖像画入りのペンダントだった。


「こうなったら、やるしかない……勝って、生きて帰るんだ……!」


 なけなしの勇気を振り絞り、ペンダントを握り締める。


 そんな彼に、ついに出撃の指令が下った。


 震える体を叱咤し、初めて立った戦場の空気は、泥のように重く息苦しい。

 それでも、自らの役目を果たし生きて帰るため、雄叫びを上げて突撃し──その覚悟は、すぐさまへし折られた。


「は……?」


 最初に見えたのは、展開する王国軍から先行して駆け出すいくつかの影。

 噂に聞く、ユーフェミアの獣人戦士団だろうか。その中に、まだ幼い小さな少女の姿が二つもあった。


 一人は、黄金の髪を持つオルトリア人の少女。

 鎧に身を包み、腰に剣を提げているが、なぜかそれを抜くことなく拳を掲げる。


「はあぁぁぁ!!」


 拳一閃。魔力の込められたその一撃で、地面が捲れ上がる。


 一体何が起きたのかも分からないまま、爆心地付近の兵士達は空高く吹き飛び、少し離れた場所にいたカフスもバランスを崩して転倒した。


 その隙を突いて、もう一人の少女──青い髪と褐色の肌を持つ狼獣人の少女が、機械仕掛けの義手を変形させながら突っ込んでくる。


「んっ……!」


 義手から飛び出す、金属の槍。

 縄で繋がれ、尾のようにしなるそれが戦場を駆け抜けたかと思えば、先の少女によって陣形が崩れた徴兵隊を次々と薙ぎ払っていく。


 冗談のような光景に、カフスは開いた口が塞がらなかった。


「セオ、なんなのだその義手は? 変な機能だな、面白いのだ」


「ん……グレイが、“男のロマン”とかなんとかで、いっぱい詰め込んだ。けど……半分くらい、いらない。というか……リフィネこそ、なんで殴るの? 剣は……?」


「妾はこの方が性に合ってるのだ。剣を持っているのは、騎士が剣を持つ仕事だからだな。ようは、飾りなのだ」


「……えー」


 戦場には場違いなほど、明るく和やかな少女達の会話。

 しかし、それを油断だと指摘出来る者はこの場にいなかった。


 金髪の少女が拳を振るう度、次々と人がボールのように吹き飛んでは動かなくなり、青髪の少女が義手を振るう度、そこから伸びた小さな縄槍が次々と兵を切り裂いていく。


 もはや、徴兵隊では彼女達の足止めにもなっていなかった。


「おのれ、好き勝手はさせんぞ!!」


 散々な被害が出てようやく、正規兵が少女達に対処すべく前に出た。


 だが……それこそを待っていたとばかりに、少女達の表情から笑みが消える。


「……は?」


「好き勝手しているのはお前達なのだ。これ以上、オルトリアの地を……お前達の穢れた足で踏みしめるな」


 金髪の少女の拳が、正規兵の身に纏う鎧をガラス細工のように打ち砕き、吹き飛ばす。


 血反吐を吐き、ただの一撃で動かなくなったその姿に、帝国兵の誰もが恐れを抱く。


「ユミエには……手出し、させない……!」


 恐怖で動けなくなった正規兵達の只中に、褐色の旋風が駆け抜ける。


 義手を更に変形させ、大きな鉤爪状にした少女が駆け抜けるのに合わせ、戦場に血風が舞う。


 それを追い掛けるように飛び抜けた縄槍が次々と正規兵を刺し貫き、戦闘不能にしていった。


 見れば、他の場所でも似たような蹂躙劇が繰り広げられ、帝国軍はもはや徴兵隊も正規兵も関係なくただただ薙ぎ倒されている。


(は、はは……なんだ、これ……)


 カフスは思った。一体、帝国は何に喧嘩を売ってしまったのかと。


 こんな化け物達を相手に、勝てるはずがない。これでは、ただの無駄死にではないか。


 踏んではならない虎の尾を、祖国が踏みつけてしまったのだと理解し、呆然と立ち尽くしていると──彼の背後で、正規兵が悲鳴を上げた。


「う、うわぁぁぁぁ!!」


 恐怖と混乱で、周囲の様子も見えていないのか。滅多矢鱈に剣を振り回しながら、フラフラと近付いてきた彼の刃が、カフスの方へと向かってくる。


「あっ……」


 あまりにも突然のことで、カフスは避けることも出来ず。


 狂乱した仲間の刃に切り捨てられたカフスは、血溜まりの中に沈み──砕けたペンダントが、宙を舞った。






「う……うぅ……?」


 意識を取り戻したカフスは、自分がまだ生きていることに疑問を抱いた。


 自分が所属していた部隊は、完膚なきまでに叩き潰されたはずだ。それなのになぜ治療され、テントの中に寝かされているのか。


 あの状況から、仲間が自分を連れて撤退出来たとは思えない。

 帝国内で悪鬼羅刹のように語られているオルトリアやユーフェミアの者達が、侵略者たる自分を助けてくれたとも思えない。


 いや、あるいはもう死んで、都合の良い夢を見ているのだろうか。

 傷の痛みも分からないほど朦朧とする意識の中で、そんなことをぼんやりと考えて……そんな彼の目に、一人の少女が映し出された。


「気が付きましたか? 良かった……」


 まるで暗闇に輝く月のように煌びやかな銀色の髪を持つ、まだ幼い少女。

 心底ホッとしたように自分を見つめるその瞳に魅入られたカフスは、無意識のうちに震える声を絞り出す。


「きみ……は……?」


「私はユミエ・グランベル。オルトリア騎士団に、衛生兵として従軍しています」


 その名前を聞いて、カフスは思い出した。確か、オルトリアに不当に拉致された皇女だと喧伝されていたのが、ユミエという子ではなかったか。


 とても、無理矢理拉致された人間には見えない穏やかで優しい表情を浮かべる少女は、カフスの手をぎゅっと握り、己の胸に抱き締める。


「もう少しの辛抱ですよ。必ず助かりますから、頑張ってください」


「……どうして、おれに……そんな、ことばを……」


 建前や所属はどうあれ、カフスもまた帝国軍の一員として、オルトリアの侵略に参加した一人だ。

 そんな自分に、どうしてそんな言葉をかけるのか。


 問い掛けられたユミエは、それこそ何を言っているのかと言わんばかりに笑顔を見せた。


「あなたがどこの誰でも、関係ありません。だって……あなたにも、帰りを待っている家族がいるんでしょう?」


 手のひらに感じる固い感触に目を向ければ、そこには彼のペンダントがあった。


 戦いの中で砕け、どこかへ飛んでいったはずのお守り。恋人の願いが込められた宝物。


 見るからに不馴れな、下手くそな修理を施されたそれをカフスの手に握らせたユミエは、なおも語り続けた。


「私も同じです、オルトリアには、私の帰りを待っている家族がいます。だから、あなたと私に何の違いもありません。こんな戦いは終わらせて、みんなで生きて帰りましょう」


 ああ、と、カフスはようやく理解した。

 帝国が、一体何に手を出そうとしたのか。


 この血生臭い戦場にあっても光り輝く女神のような少女の笑顔を、永遠に奪い去ろうとしていたのだと。


「ッ、うぅ……!! ごめ、なさい……!! おれ……ほんとう、は……たたかいたくなんて、なかっ……!!」


「はい、知っています。みんな、誰だって平和が一番です。だから……一緒に、頑張りましょう。平和な日々を取り戻すために、あなたの大切な人の笑顔を守るために。あなたも……生きてください」


「ッ……はいッ……!!」


 そんな自分に、帝国人に、この人はそれでも慈悲をかけてくれるというのか。


 ならば、生きなければならない。

 残してきた恋人のために、幸せな日々を取り戻すために。


 そして……この可憐な女神の想いに、報いるために。


 後世に名が残ることもない、とある一般兵の小さな決意。

 これを最後に、オルトリア国内に残るは、完全に消滅するのだった。

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