第69話 獣人少女の心の扉・後編
私が銀髪の子を追い返した翌日、あの子はいつもの時間になっても部屋に来なかった。
まあ、一歩間違えば大怪我をさせてしまうようなことをしでかして、謝りもせずに冷たく突き放したんだから、それも当然だよ。
……そう思うのに、心の中でモヤモヤとした感情が沸き上がってくる。
あの子が早く来てくれないかと、気付けば扉の方をチラチラと見ている自分に気が付く。
「……バカみたい」
ボフッ、と、ベッドに顔を埋めて自嘲する。
あんなに好き勝手なことを言って、あんなに突き放しておいて、いざ来なくなったら気になって仕方ないなんて、あまりにも情けない。
「私はもう、国に帰って死ぬだけなんだから……あの子がいようといまいと、関係ない」
自分に言い聞かせるように、私はそう呟く。
私が今生きているのは、ここで投身自殺なんてしたら、曲がりなりにも私を助けて国に送り返そうとしてくれているオルトリア王国の人達に、迷惑がかかるからだ。
国について、誰もいなくなったら、どうせ一人で死ぬんだ。今一人だろうと同じこと。
だから、あと四日……早く国に着け──
そう思えば思うほど、一日というものがやたらと長く感じる。
この二日くらいは、あっという間に時間が過ぎていたのに……と思ったところで、私は枕に自分の頭を叩き付ける。
あの子がいたから、時間が過ぎていくのが早かったなんて……それじゃあまるで、あの子の話を聞いているのが、私自身楽しかったみたいじゃないか。
そんなこと、あるわけない。
そうやって悶々としていると、私はふと、ベッドの傍にクッキーが落ちていることに気が付いた。
あの子が作って、私に持ってきてくれたもの……私がはね除けて台無しにしてしまったそれに、私は恐る恐る手を伸ばし、口に運んだ。
「不味い……」
出来映えは、それはもう酷い。
あの手足じゃあ自力で作れたとも思えないし、他の誰か……あの赤髪の子にでも作ってもらったんだろうか? お世辞にも、美味しいとは言えなかった。
「……不味い……」
それなのに、私は落ちていたクッキーを拾い集めて、次々に口に運んでいた。
地面に落ちて、一日放置して、獣人じゃなければ間違いなくお腹を壊すような食べ物なのに。
お腹が空いたなら、他にちゃんとしたコックが作ったものの方が美味しいし、体にも良いって分かっているのに。
なぜか私は、いつまでもそのクッキーを齧り続けていた。
「起きていますか」
結局、銀髪の子が一度も顔を見せないまま一日が過ぎた翌朝。私の部屋に、赤髪の子が一人でやって来た。
「……何の用?」
この子に思うところはないけれど、私の態度が原因で苛立たせてしまっていることくらいは分かってる。
そんな彼女が、一人で一体何をしに来たのか。
警戒する私に、赤髪の子はフンと鼻を鳴らした。
「来たのが私で残念そうですわね? ユミエさんでなくてガッカリだと、顔に書いてありますわよ」
「なっ、違……!!」
私自身、必死に否定していた内心を言い当てられて、思わず声を張り上げる。
それに構わず、彼女は私に向かって手のひらを掲げた。
「来なさい、あなたに見せたいものがありますの」
「なっ……」
何かの魔法なんだろう、私の体が無理やり部屋の外へ引っ張り出されていく。
抵抗しようとしたけれど、ロクに食事も摂らずに弱った体じゃ、とても無理だった。
「何するの!?」
「声が大きいですわ。ユミエさんには秘密なのですから、黙ってついてきなさいな」
そう言いながら、赤髪の子はもう一度魔法を使い、私達の周りを薄い幕で覆った。
外の潮騒が聞こえなくなったから、きっと音を遮断する魔法なんだろう。この子が何を考えているのか、さっぱり分からない。
やがて、赤髪の子は私をとある船室の前まで運んで来ると、更にもう一つの魔法を紡いだ。
「《
その瞬間、壁越しにも部屋の中の様子が見えるようになった。
同時に飛び込んできた光景に、私は息を呑む。
銀髪の子が、松葉杖を手に必死の形相でリハビリに励んでいたのだ。
『はぁ、はぁ、はぁ……!! っ……!!』
『お嬢様!』
右足と右手が不自由な体では、バランスを取ることも難しいんだろう。船の揺れも合わさって、あっさりとバランスを崩す。
メイドに受け止められたその小さな体からは滝のような汗が流れ、もう限界に見える。
それでも彼女は、歯を食い縛ってもう一度立ち上がろうとしていた。
「……本当は、今日のリハビリは休むはずだったんですの。昨日、ユミエさんは熱を出して寝込んでしまっていましたから」
「そう、なの?」
「ええ。そもそも、顔の火傷もようやく傷が塞がったばかりですもの、無理が祟ったのでしょう」
心配そうな眼差しで、赤髪の子は呟く。
銀髪の子は、見るからにまだ小さい子供だ。
それなのに、辛いリハビリを耐えるどころか、自ら進んで鬼気迫る表情で取り組む姿に、私は目を奪われた。
……私と一緒にいる時と、全然違う。
「あなたは知らないでしょうけれど、ユミエさんの夢は、家族を守れる騎士になることだったんですのよ。でも、そんな彼女の夢はナイトハルトの……あなたの体を弄り回したのと同じ連中の手で、無惨に砕かれましたわ」
「っ……!!」
私の体を実験台にしたのと同じやつらに、あの子も体を壊された。
そう聞いて、私は目を見開いたけど……驚くには、まだ早かった。
「それだけじゃありませんわ。今、私達の国はナイトハルトが残した影響によって、大規模な政変が起こっています。それこそ、いつ内乱になるかも分からないほど不安定な情勢ですわ」
真剣な表情で語られる内容は、私みたいな外国人が本当は聞いちゃいけないんじゃないかってくらい、切羽詰まったもの。
それを話してくれたのはきっと、あの子のためなんだろう。
「ユミエさんは、あなたをユーフェミアに送り届ける使節の一員として、療養に向かうことになっておりますが……本当のところは、戦火を免れるための疎開のようなものですわ。それを、ユミエさんも分かっているはずですの」
戦火を免れるための疎開。つまり、家族を危険なところに置き去りにしたまま、自分一人だけ安全なところに逃がされたということだ。
それがどれだけ辛いことか、私にはよく分かる。
分かるからこそ……余計に、あの子のことが分からない。
「どうして、そんな状況で笑っていられるの……? 辛く、ないの……?」
夢も未来も失って、家族とも離れ離れで……今の私とほとんど変わらない状況なのに、それでも笑えるなんて。
理解出来ずに問い返すと、赤髪の子はギリッと歯を食い縛り──私の頬を、思い切りひっ叩いた。
「そんなの……あなたのために決まっているでしょうッ!!」
「……え……?」
そこでどうして、私のことが出てくるのか。
益々混乱していく私に、赤髪の子はこれまで積もり積もった鬱憤を叩き付けるように叫ぶ。
「辛くないわけありませんわ!! 必死に積み上げてきたものを未来もろとも失って、家族と引き離されて、毎日毎日怪我の痛みに喘ぐ夜を乗り越えて、それでもまだあんなに大変なリハビリを続けなければならなくて……!! そうまでしても体が元通りになることはないだなんて言われて、今すぐにでも泣き出したいに決まっています!!」
けど、と、赤髪の子は私の胸倉を掴み上げる。
まるで、銀髪の子が流さない分だと言わんばかりに、その瞳からボロボロと涙を溢しながら。
「それでもユミエさんは……今一番辛いのはあなただからと。あなたが少しでも笑顔になってくれるようにと願って。この船の誰に対しても甘えることなく、あなたに語って聞かせる“楽しい思い出”を一生懸命作っていたんですのよ!!」
どうして、と、私は思った。
私はただ、たまたまあの子と同じ船に乗っているだけなのに。
私のことなんて放っておいて、自分のことだけ考えていればいいはずなのに……どうして、そこまで。
「自力で立つことも難しい体で、あなたのためにと一生懸命にクッキーなんて作って……それを、あなたは……ッ!!」
ひとしきり叫んだ後、赤髪の子は私から手を離した。
荒れる呼吸を落ち着け、流れ落ちた涙を拭った彼女は、腰が抜けた私に淡々と告げる。
「……ユミエさんの優しさが“安っぽい同情心”だと言うのなら、あなたの自殺願望の方がよっぽど安っぽくてくだらないですわ。ただユミエさんの優しさに甘えているだけのあなたに……ユミエさんを否定する資格なんてありません」
言うだけ言って、赤髪の子は離れていく。
そんな彼女に、私は初めて自分から声をかけた。
「ねえ……」
「なんですの?」
「名前、聞いてもいい?」
この子の名前は、もう知ってる。
でも、私は……改めて、この子の口からもう一度聞きたいと思った。
「モニカ・ベルモント。いずれ、ユミエさんの花嫁になる女ですわ、覚えておきなさい」
「そう、なんだ。……私はセオ、青狼族のセオ。……あの子にも、伝えておいて」
「お断りですわ。直接名乗って貰えた方が、ユミエさんは喜びますもの」
「うん、分かった……絶対、伝える」
私の反応に、赤髪──モニカは、初めて満足そうな笑みを浮かべて去っていく。
その途中、もう一度だけ口を開いた。
「ああ、そうそう。私が張った遮音の結界は、もうしばらくはそこに残るので……好きに使うといいですわ」
「……ありがと」
やがて、モニカの気配が完全になくなると……私は、モニカが残してくれた結界の中で、思い切り、泣いた。
──私は、あなたに生きて欲しいです。あなたが死んだらとても悲しいし、思い切り泣いちゃうと思います。それじゃあ、生きる意味になりませんか?
「うぅ……ぐすっ、ひぐっ……うわぁぁぁぁぁん!!!!」
私にも、まだいたんだ。
いなくなったら、本気で悲しんでくれる人。私のために、本心から涙を流してくれる人。
こんな私でも……ここにいていいんだって、そう信じさせてくれる人が。
そのことに……私は今、ようやく気が付いた。
「うわぁぁぁぁぁん!!!!」
これまで積もり積もった悲しみを、全部吐き出すように──私は、泣きつかれて眠ってしまうまで、その場で泣き続けるのだった。
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