第5話:-秋の夜に嗜む大人-【03】
「そういえば『九月下旬の秋』って、何が美味しいのだろう」
十月や十一月ならば、松茸や果物などが美味しいということは容易に想像できるけれども、九月は何が良いのだろうか?
お月見があるので団子はまず一つ目に該当するだろうけど、食欲を満たす要素であるかときかれると、何とも断定しがたい私がいる。
月見は月見、飯は飯という区切りが私の中であるようで、すると消去法で九月の名物が私の選択肢が全くもって無くなってしまうのだ。
「もう少し、大学で農学を勉強するべきだったか……全然分からない」
インドア生活が長いせいで、季節関連と土地関連の情報が乏しい。
どこの何がいつ旬を迎えるのか、ネットを見ないと分からない。
「よう、先生。またこんな時間に来たのか?」
「んっ。あぁ、浜中くん」
私が少しだけ悩んでいる後ろから声をかけてきたのは浜中くん。
小中学校時代に同級生だったさわやか青年だ。
父親の経営するスーパーを継ぐべく、現在は現場の流れを見て修行をしている最中だと聞く。
「浜中くん、私が漫画を描いているからって、いい加減先生と呼ぶのは恥ずかしい」
「良いじゃんか。先生なんて呼ばれる人生を送れる人はそうそういないぜ」
「茶化すな。数年描いて、ようやく新卒レベルの給与が確保できただけよ」
有名漫画家にはほど遠い、質素で慎ましい生活を送るのが現状の私。
三万円の賃貸で、格安と評判のこのスーパーでちょっぴり贅沢できるのが、唯一の楽しみだ。
「へぇ、月刊誌の表紙飾れるようになっても厳しいもんだな」
「あらら、よく知ってるね。もしかして、私のファン?」
「このスーパーは雑誌も月刊誌も販売しておりますゆえ、まじめに仕事しているだけで表紙が見えちまうだけございますですはい」
浜中くんは茶化した様子で一階入口付近にある雑誌コーナーを指差す。
確かに、メジャーな雑誌関連は十数冊分ずらりと並んでいる。
「この辺の田舎に住む老人たちは意外と漫画が好きなんだ。だから置いておけば勝手に売れる」
「それは意外。クロスワードパズルかタレコミ雑誌ばかりかと思ってた」
「趣向が違うのか、柔軟性が高いのかは知らんがな」
浜中くんは「とりあえず売れりゃあいい」と一言言う。
「ところで浜中くん、九月にオススメな食べ物って何かな?」
「は? 九月? どうして?」
「急に今の時期にピッタリの食べ物を食べたくなった。二十分程前だ」
「それはそれは、随分と唐突で……」
浜中くんは肩をすくめる。
「漫画しか描かない私が季節の食べ物の知恵なんて持っているわけ無いし、浜中くんならスーパー長いから、いろいろ知っているんじゃないの?」
「まあ、詳しいっちゃ詳しい。客商売のもっとも重要なところだからな」
そう言って、浜中くんは生鮮食品売り場を指差す。
「九月の下旬は、夏の食材の終わりと秋の食材の初めが入り混じっている。夏を後悔したくなきゃ、巨峰や梨の果物類は食っといたほうがいいぞ。ナスとかゴーヤが好きなら、まだぎりぎり安い価格で買える」
「ふむふむ……」
それぞれ陳列された野菜や果物を眺める。
数は少ないものの、確かに奥の方に陳列されているのが見える。
「逆に仕入れ始めたのは、さつまいもやしいたけ、チンゲン菜だな。まだ出始めだから特別安くはしていないけど、秋の食材を食いたいってならオススメだ」
「へぇ、意外と野菜は年間を通して見かけそうだけどね」
「旬の時期に仕入れるものが一番うまい。需要があるから年間を通して置いているに過ぎん。食ってみれば分かるって」
「そういうものかな……」
あまり気にしてはいなかったが。
「俺的には、秋を堪能するというより、夏の食材との別れをきちんとしつつ、秋の食材を少し混ぜる食事がオススメだ。秋はまだまだ長いからな」
「ああ、確かに」
本格的な秋はまだ二ヶ月以上ある。
よくよく考えれば、今急ぐ理由はなかったかも。
「八月は仕事で缶詰をしていたから、全く夏を満喫していなかったんだ」
「それは羨ましいとも嘆かわしいとも取れるな。年中忙しい俺にとっては『羨ましい』がちょっと優先するけどな」
「このスーパー、正月以外はフル稼働だからね。いつ休んでいるのかずっと気になってた」
大体想像はつくが、きっとキツイワークフローなのだろう。
チェーン店という呪縛であるがゆえに、その方式を捻じ曲げることができないジレンマにもどかしさを感じていることだろう。
「俺はいいよ。あと数年のことだ。本社に行ったらワークライフバランスを改善するところから始める。今はその実例を作っている最中さ」
「身を挺した努力をご苦労様。浜中くんは正義感が強いから、最終的には実現できると思う」
「ああ、やってやる」
浜中くんの場合、どう転んだところで、言葉は最後まで貫く主義だ。
何かしらの影響は与えるだろう。
「さて。浜中くん、いろいろ教えてくれてありがとう。仕事を邪魔しちゃってごめんね」
「いいよ。クレーマー相手するよりよっぽど楽さ。強制はしないが、ちゃんと栄養ある飯くらいは食っとけよ」
「善処するよ。ありがとう」
浜中くんは私のカゴに梨とナスを入れると「まいどあり」と呟き、店の奥へと消えていった。
「……まったく、商売がうまいこと」
昔から変わらない押しの強さを見て、私は思わずくすっと笑った。
………
……
…
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