番外編◆巣立ちの日

教室に入ると

「美桜、おはよう!!」

今日も元気な麗奈の声が聞こえた。


窓際の席に視線を向けると

そこには満面の笑みを浮かべ手を振っている麗奈がいた。

その隣には今日も爽やかなアユム。

そして、もう1人。

こちらに背中を向けている見慣れない黒髪の男の子がいた。


……あの人誰だろ?

不思議に思いながらも、私は麗奈とアユムの元へと向かった。


「おはよう、麗奈、アユム」

「おはよう、紺野さん」

アユムが爽やかな笑顔を見せてくれる。


その笑顔を見た私は、とても清々しい気持ちになった。

……うん、やっぱりアユムは爽やかだな。

だけど、その清々しい気持ちは次の瞬間には踏み潰されてしまった。


「……おい、俺には挨拶無しかよ」

低くて不機嫌そうな声を発したのは見覚えのない黒髪の男の子だった。

後ろ姿には見覚えがないけど、その声には聞き覚えがあった。

私は、その男の子の顔を覗き込んだ。


「か……海斗!?」

私の驚きの声が教室中に響き渡った。


「……うっせぇな」

手で耳を塞ぎ、眉間に皺を寄せた海斗。

海斗が不愉快そうっていうのは私にも分かる。

分かるけど


「なに!?その格好!?」

私は、驚きを隠せなかった。


何があっても絶対に変えようとしなかった銀髪を黒くして

いつも見ているこっちが溜め息を吐きそうなくらい着崩していた制服をピシっと着こなし

おまけにネクタイまで締めている。

その変貌ぶりに私は瞬きすら忘れて呆然としてしまった。


「……おい、阿呆面を晒してんじゃねぇよ」

「……」

「シカトしてんじゃねぇよ」

「……」

「いい加減にしねぇと、その阿呆面を写メでとって神宮先輩に送るぞ」

「……ちょっ!!余計なことしないでよ!!」

「……お前って本当に神宮先輩にメロメロなんだな……」

呆れたように海斗が呟いた。


「……!!」

絶句してしまった時点で私の負けは確定してしまった。


「……」

それでも負けを認めたくはなかった私は、思いきり海斗の背中を叩いてみた。


「……痛っ!!」

私に背中を叩かれた海斗は苦痛の表情を浮べた。

その表情を見て私は思った。

やった!!なんとか勝てた!!

満足したのも束の間。

「……てめぇ……」

海斗の低い声に危険を察知した私は麗奈とアユムの陰に素早く隠れた。

そんな私を威嚇するように睨む海斗。


「ちょっとこっちに来い」

「いや!!」

「いいから来い」

「無理!!」

外見がどんなに変わっても海斗は海斗だった。

どんなに優等生バージョンに変身していても、口を開けばいつもと同じ。

そのお陰で私が海斗に抱いていた“違和感”はすぐに消えた。

「海斗、いい加減にしなよ」

「そうだぞ、海斗。大体、お前が突然そんな格好で来るから紺野さんだって驚くんだ」

麗奈とアユムがいつもと同じように私を助けてくれる。

「……ちっ……」

海斗が舌打ちをした。

これが合図。

もうこれ以上はなにもしない。

私が聖鈴に編入してからずっと一緒だった3人。

中等部に編入してから今日まで、およそ3年半。

ほぼ毎日を一緒に過ごして来た。


体育祭

文化祭

修学旅行

テスト


この学院での想い出には必ずこの3人がいる。

麗奈

アユ厶

海斗


生まれて初めて出会う事ができた“親友“と呼べる存在。

彼女達がいてくれたからこそ私は今日という日を迎えられたに違いない。


お父さんと交わした約束。

“友達を作りなさい。たくさんじゃなくていい”

あの時は分からなかった。

お父さんの言葉の意味が……。


でも、今なら分かる。

“学生時代の想い出は年を取っても色褪せる事はない”

みんなと過ごしたこの数年間は、毎日が本当に楽しくて、たくさん笑った気がする。


どの想い出も、私に取っては大切なもの。

何年経っても、想い出す度に私の心を幸せな気持ちで満たしてくれる宝物に違いない。


「美桜、どうしたの?」

私の顔を覗き込む麗奈。


「気分でも悪い?」

心配してくれるアユム。


そして、無言で私の顔を見下ろしている海斗。


そんな3人に私は3年半分の感謝の気持ちを込めて囗を開いた。


「……ありがとう」

私のその言葉に、3人は顔を見合わせた。

そして、ふとその表情を緩めた。


「なぁに?美桜、急に……」

そう言った麗奈の瞳に微かに涙が浮かんでるように見えた。

そんな麗奈を見て私も涙が込み上げてきた。


「……なんだよ……お前らは……」

呆れた表情の海斗。


「まだ、卒業式は始まってないよ」

アユムが、ポケットティッシュを1枚ずつ私と麗奈に差し出した。

そのティッシュを受けとった麗奈は、迷うことなく鼻をかんだ。

「……おい、お前は色気ってもんが全然ねぇな」

「海斗、うるさい!!」

2人のやりとりに私とアユムは思わず吹き出してしまった。


◆◆◆◆◆


「おーい、席に着け」

担任の先生が教室に入ってきた。


自由に席を立って話をしていた生徒達が一斉に席に着く。

私達4人も自分の席に着いた。

窓際の一番後ろが海斗の席。

海斗の隣が私。

私の前が麗奈。

麗奈の隣がアユム。

ピシッと黒のスーツを着た先生がこれからの予定について話はじめた。

そんな先生の目を盗んで隣にいる海斗に話し掛けた。

「ねぇ、海斗」

「なんだよ?」

「海斗も先生に感謝とかしてるの?」

「は?」

「だってその格好ってあれでしょ?」

「……?」

「ケンさんが卒業式の日にやった“お世話になった先生達に感謝の気持ちを表わす“ってヤツでしょ?」

「なんでお前がそれを知ってんだよ?」

「え?蓮さんから教えてもらったんだけど」

「……」

「……?」

「……感謝じゃなくて尊敬だ」

「は?」

海斗は自信満々って感じで言い放ったけど


私にはその言葉の意味が理解できなかった。

それでも、なんとか海斗の言葉を理解しようと頭を捻っていると


「紺野さん、海斗は別に先生に感謝をしてる訳じゃなくて溝下先輩を尊敬してるからあの格好なんだよ」

振り返った アユムがこっそりと教えてくれた。


……なるほど。

海斗は相変わらず“ケンさん命“なんだ。

私は妙に納得した。


◆◆◆◆◆


厳かな雰囲気の中で式は始まった。


前列に卒業生である3年生。

その後ろに在校生である2年生と1年生。

そして一番後ろに保護者席がある。


広過ぎる構堂が今日はたくさんの人で理め尽くされていて狭く感じる。


その所為か私は少しだけ緊張していた。


1人ずつ名前が呼ばれ、卒業証書が手渡される。

3年А組である私は順番的に最初の方だった。

自分の順番が近づいてくるに従って、鼓動は激しさを増す。


「……なんか、緊張する……」

思わず呟いてしまった私は隣にいる海斗に鼻で笑われてしまった。


『紺野 美桜』

「はい」

担任の先生に名前を呼ばれた私は返事をして立ち上がった。


背中にたくさんの視線を受けながら、壇上にいる学院長の元へゆっくりと迎う。

正面にある数段の階段を登り学院長の前で足を止め一礼。


『紺野 美桜』

場内に響き渡る学院長の声。


『当学院において課定を全て終了した事を証します』

差し出される証書を受けとり一礼。

そして、今度は脇にある階段を降りる。


『小柳 海斗』

場内に海斗の名前が響く。

私に向けられていた視線が次は海斗へ向けられる。

視線が逸らされた事で私が感じていた緊張感は少しだけ薄れた。


あとは担任の先生の後ろで来賓の人逹に一礼をして席に戻るだけ。

私は、みんなの名前を呼んでいる担任の先生の後ろで足を止め来賓席に視線を向けた。


……えっ?

なんで?

一礼をしようとした私は、そのまま固まってしまった。


来賓席。

そこには学院から招待された関係者が座る席。


年配のオジサンやオバサンに混じって見慣れた1人の男の人の姿があった。

その人は私をジッと見つめていて

自然と視線が重なった。

その瞬間、その人はニッコリと微笑んだ。


……。

なんで、蓮さんがそこにいるの!?

なぜか蓮さんは後方にある保護者席じゃなくて、卒業生席の隣にある来賓席に座っていた。


……しかも堂々と……。

私は呆然と蓮さんを見つめていた。


「……おい、紺野」

振り返ると焦った表情の担任の先生。

「早く席に戻れ」


その時、私の視界の端に映ったのは、脇の階段を降りる事のできない海斗の姿だった。

不機嫌そうに私を睨む優等生バージョンの海斗。

どうやら私がここにいるから、壇上から降りれず

そして、先生も海斗が壇上にいるから次の生徒の名前を呼べずに困っているらしい。

その全ての原因は私。

そう気付いた私は大慌てで来賓席に一礼をすると自分の席へと戻った。

私が席へと着き、海斗が壇上を降りると次の生徒の名前が呼ばれ、中断し掛かっていた式が何事も無かったかのように再び進行され始めた。


「……海斗、ごめん」

席に戻ってきた海斗に、私は小さな声で謝った。


「……こんな時まで見つめあってんじゃねーよ。見つめ合いたいなら家でやれよ」

「……いや……別に見つめ合ってた訳じゃないんですけど……」

「は?なら、何をやってたんだよ?」

「……ちょっと驚いて……」

「驚いた?なにに?……てか、神宮先輩のカッコよさに……とか言ったら殴るぞ」

「……いや、そんなんじゃなくて……」

「なら、なんだよ?」

「蓮さんがあそこに座ってたから……」

「あそこ?」

「来賓席」

「は?」

海斗は怪訝そうな目を私に向けた。

「えっ?」

「最初からずっとあそこに座ってたじゃねぇか」

「……」

「……?」

「……ウソでしょ?」

「いや、俺達がここに入って来た時にはすでにあそこに座ってたぞ」

「そ……そうなの!?」

「あぁ」

「……全然気付かなかった」

「……それ、神宮先輩には言わない方がいいと思うぞ」

「……そうだね」

もう一度、来賓席に視線を移すとオジサンやオバサンに紛れてやっぱり蓮さんがいる。

「……なんであそこにいるんだろ?」

「なんでって、親父さんの代わりじゃねぇのか?」

「お父さんの代わり?」

「親父さんって理事会の役員だろ?」

「……」

「……」

「……そう言えば……」

私が聖鈴に編入する時に蓮さんがそんな事を言ってたような……。

「……お前、相変らずボサっとしてんな」

「……なっ……」

「相変らず神宮先輩は大変だな」

海斗の嫌味を軽くスルーして、私は再び蓮さんに視線を移した。

黒いスーツを着こなしている蓮さん。

……うん、やっぱりカッコいい……。

私は緩む顔を必死で隠していた。


◆◆◆◆◆


式は2時間弱程で終了した。

一旦、教室へと戻り最後のホームルーム。

担任の先生からお祝いの言葉をもらった。

その間、泣いてる子が何人かいた。

私も、この学院での出来事を思い出し泣きそうになってしまった。

……でも、海斗に『おい、鼻水垂れてんぞ』と言われて涙はどこかに引っ込んでしまった。

最後のホームルームも終わり、残るは在校生と先生達による見送りだけとなった。

「昇降口に集合な」

担任の先生の言葉でみんながザワザワと席を立ち始めた。

「美桜、一緒に行こう!!」

麗奈が私の腕を取った。

「うん」

私と麗奈が並んで教室を出てるとその後ろを海斗とアユムが着いてくる。

当たり前だと思っていた、こんな日常。

それが今日で終わるんだと思ったら、無性に寂しく感じた。

この学院に編入する前、私は思っていた。

……友達なんていらない……。

……学校なんて行きたくない……って。

ここに編入を決めた時だって、蓮さんと一緒にいる為に仕方ないって思ってた。

出来れば学校になんて行きたくない。

それまでの学校生活にいい想い出なんてない私は、学校なんて大嫌いだと思っていた。

正直、あの時の私にはこうして卒業の日を迎えられるなんて想像すら出来なかった。

だから、今日という日を迎えられるのは、たくさんの人のお陰だと断言できる。

みんなに支えられて私は、お父さんとの約束を果たそうとしている。

こうして何かを達成できるのは生まれて初めてかもしれない。

傷付く事を恐れ自分の感情すらも隠していた私が、何か1つの目標を達成する。

その事実をなんだか信じられないのは私自身だった。


◆◆◆◆◆


校庭に向かうために訪れた昇降口にはたくさんの人が溢れていた。

卒業生を取り囲む在校生達。

お世話になった先輩とのお別れ。

泣いてる在校生もたくさんいた。

在校生から卒業生へ送られる花束はお祝いと感謝の気持ち。

……そう言えば、私もヒカルやアユちゃん、それに葵さんが卒業する時には花束を渡したな……。

面倒見のいい葵さんやアユちゃんは後輩から抱えきれないくらいの花束を貰っていた。

ヒカルはチームの後輩の男の子達からたくさん花束を貰って苦笑いしてたっけ……。

そんな事をふと思い出していると

『こ……紺野先輩!!』

聞き慣れない声が聞こえた。

その声に振り返ると、そこにはやっぱり見慣れない女の子が緊張した面持ちで花束を持って立っていた。

……誰だっけ?

私は首を捻った。

その子は緊張感を全身から醸し出しながらこちらに近付いてくる。

その緊張感がひしひしと伝わってきて、思わず身構えてしまった。

「……あの……」

「は……はい?」

「……おっ……」

「……?」

「ご卒業、おめでとうございます!!」


その女の子は震える声でそう言いながら手に持った花束を私に差し出した。


「えっ?私に!?」

「は……はい!!」

力一杯に頷く女の子を見て私は思った。


……なんで私に?

確かに、今、私の周りでは在校生から卒業生へ花束の贈呈式が行なわれている。

でも、それは部活やなんらかの学校生活で関わりを持った人達が行なっていること。

つまり、お世話になった先輩に後輩が感謝の気持ちを表している。


私だって葵さんやアユちゃんやヒカルに花束を贈ったけど、それはたくさんお世話になったからだし……。

面識のないこの子が、なんで私なんかに花束をくれるのか……。


その理由が全く分からない。

分からないんだけど……。

必死に差し出す彼女を見てると、受けとらないのもなんだか可哀想な気もするし……。


……どうしよう……。

チラッと辺りを見渡すと、一緒にいた麗奈や海斗やアユムも在校生に囲まれていて、そっちの対応で精一杯って感じだった。

……ってことは、この状況を自分自身でどうにかしないといけないって事で……。

それに気付いた私は、小さく深呼吸をして気合を入れた。

「……えっと、お名前をお聞きしてもいいですか?」

「えっ!!……あっ!!……すみません!!私、高等部1年C組の前田 里香といいます」

「りかちゃん?」

「はい」

「じゃあ、里香ちゃん」

「はい!!」

「1つだけ質問してもいい?」

「どうぞ!!」

嬉しそうに大きく頷いた里香ちゃんに私は尋ねた。

「なんで私に花束をくれるの?」

私の質問に、里香ちゃんは何かを思い出したような表情を浮べ

「すみません!!」

勢いよく深々と頭を下げた。

「り……里香ちゃん!?」

突然、謝られた私は状況が飲み込めず、かなり動揺してしまった。

「……私ったら、緊張しすぎて名前も言いたかった言葉もすっかり忘れちゃってて……」

「え?」

「あぁ!!もう!!本当にごめんなさい!!」

里香ちゃんは何度もペコペコと頭を下げている。

そんな里香ちゃんがなんだかとても可愛くて、思わず笑みを零した私は少しだけ気持ちが落ち着いた。

「里香ちゃん」

私の心を映し出すかのような穏やかな声が零れる。

私のその声に里香ちゃんは、一瞬動きを止め

「はい」

再び嬉しそうに返事をしてくれた。

「謝らなくてもいいんだよ」

「え?」

「私も緊張すると、頭の中が真っ白になっちゃって突拍子もないことをやっちゃうんだ」

苦笑いを浮べながら話すと、里香ちゃんはパッと表情を輝かせた。

「紺野先輩もですか?」

「うん!!あっ、里香ちゃん」

「はい?」

「紺野先輩じゃなくて美桜でいいよ」

“先輩”だなんて呼ばれなれていない私は、里香ちゃんにそうお願いした。

「えぇ!?でも、そんな恐れ多い……」

「なんかね、先輩って呼ばれると緊張しちゃうから」

そう言って、里香ちゃんに微笑みかけると

「分かりました」

里香ちゃんが大きく頷いた。

……なんか……。

里香ちゃんって……。

可愛い。

嫌味のないその態度。

その可愛さはブリっ子とか計算されたものじゃなくて、天真爛漫な性格が自然と染み出しているんだと思う。

そんな里香ちゃんに、私は好感を持った。

「それじゃあ、美桜さん……」

「なぁに?」

私が返事をすると里香ちゃんはとても嬉しそうに表情を崩した。

「私、出来るだけ手短に話すので聞いてもらえますか?」

「うん」

私が頷くと、里香ちゃんは小さく深呼吸をしてから言葉を紡ぎ始めた。

「私、この学院には高等部から入学したんです。それまでは普通の……公立の中学校に通ってたんですけど……私、人見知りがかなり酷くって、人と関わるのもすっごく苦手で……」

「うん」

「中学3年生の頃には、友達もいない学校に通うのが苦痛で不登校になっていました」

「うん」

「本当は、高校にも行くつもりはなかったんですけど、親が心配してくれて聖鈴の受験を進めてくれたんです。多分、環境が変われば、私も少しは変われるんじゃないかと思ったみたいで……」

「うん」

「親に言われるがまま、聖鈴を受験して何とか合格できた私は微かな希望を抱いてこの学院に入学しました」

「うん」

「でも、人って環境が変わったからって性格までは変わらないんですよね」

「……」

「この学院での新生活がスタートしてからも、私は人と関わる事が苦手で……」

「……」

「そんな私は、クラスの中でも孤立してて……」

「……」

「入学して1ヶ月も経っていないのに、私はこの学院を辞めてしまおうかと考えていました」

「……」

「そんな時、私は美桜さんと廊下でぶつかってしまったんです」

「え?私と?いつ?」

「……えっと、あれは入学式が終わってしばらくしてだったから……多分、ゴールデンウィークの少し前だったと思います」

「……」

……ゴールデンウィークの少し前って事は、4月の終わりくらいだよね?

里香ちゃんの言葉に私は記憶を辿った。

「お昼休みに1人でお昼ご飯を食べて、教室に戻る時、学食の前の廊下で……」

……あっ……。

……そう言えば……。

そんな事があったような気が……。

「ご……ごめんね!!里香ちゃん!!」

慌てて謝ると、里香ちゃんは首を横に振った。

「あれは、美桜さんが悪いんじゃなくて私が悪いんです」

「……?」

「私が、下を向いて歩いてたからぶつかってしまったんです」

「え?」

「あの頃の私は、人の顔を見る事が苦手でいつも下ばかりを見ていたから……」

里香ちゃんは、過去を思い出すように瞳を細めた。

……下ばかりを見ていたらしい里香ちゃん。

今の里香ちゃんからは想像すら出来ない。

……でも、もしそれが本当だとすれば……。

蓮さんと出逢う前の私と似ていると思った。

「ねぇ、里香ちゃん」

「はい?」

「どうやって変わったの?」

「えっ?」

「何かきっかけがあったんでしょ?」

人が変わる為には、きっかけが必要。

私も数年前までは、人と関わる事が怖かった。

……ううん、人と関わって傷つく事が怖かったんだ。

そんな私を変えてくれたのは、蓮さんだった。

蓮さんとの出逢いが私が大きく変わるきっかけだった。

だから、今の里香ちゃんがいるのにもきっと何かきっかけがあったに違いない。

そのきっかけを聞いてみたい。

私がそう思ったのは、里香ちゃんに親近感を感じたからなのかもしれない。

「きっかけですか?」

「うん、きっかけ」

「私が変われたのは美桜さんのお陰なんです」

……。

美桜さんのお陰?

美桜さん……。

……。

……。

……は!?

私!?

「な……なんで!?私がきっかけなの!?」

「あの時、美桜さんはニッコリ笑ってくれたんです」

「笑った?」

「はい、あの時、私が原因でぶつかってしまったのに……」

「……」

「『ごめんなさい』て言ってくれて……」

「……」

「『大丈夫?』って顔を覗きこんでくれて……」

「……」

「優しい笑顔を私に向けてくれたんです」

「……」

「あの頃の私は、人の笑顔なんて長い事見てなくて……」

「……」

「美桜さんの太陽のような明るい笑顔にとても惹きつけられました」

「……」

「それから私は美桜さんの笑顔に憧れて、出来るだけ笑顔でいるようにしたんです」

「……」

「学校はもちろん家でも……」

「……」

「そしたら、学校でも話しかけてくれるクラスメートも出てきたし、家でも親と話す機会が増えたんです」

「……」

「そして今の私がいるんです」

「……そっか……」

「はい」

「ねぇ、里香ちゃん」

「はい?」

「今、楽しい?」

「はい、とっても!!」

そう言って笑った、里香ちゃんの笑顔はとてもキラキラと輝いて、見ている私まで笑顔にしてくれた。

「……それで、今の私を作る勇気をくれた美桜さんにお礼の気持ちも込めてこの花束を……」

里香ちゃんは再び花束を私に差し出してくれた。

その花束を、私は素直に受け取った。

「ありがとう!!」

思いがけない里香ちゃんの気持ちとプレゼントに私の心はとても温かくなっていた。

それから、私は里香ちゃんとケイタイの番号とアドレスを交換した。

近いうちにゆっくりと話をする約束をして……。


◆◆◆◆◆


里香ちゃんから花束を受け取り別れた後、私はたくさんの在校生に囲まれた。

な……なに!?

あまりにたくさんの人に囲まれた所為で私は動揺を隠せなかった。

『おめでとうございます!!』

『これからも頑張ってください』

そんな言葉とともに差し出されるたくさんの花束達。


さっきの里香ちゃんみたいに1対1だったらなんとか大丈夫だけど


こんなにいっぺんにだったら、一体誰から対応すればいいのかすら分からなくてただ呆然とするしかなかった。


そんな私の腕の中には次々と花束が載せられていった。


1つとかだったら、大した重さじゃないはずの花束もこれだけあるとかなりの重さになる。

ずっしりとした重みにようやく私は我にかえった。

私は一体どうすればいいんだろう……。


そんな疑問が頭に浮かんだけど

「ありがとう」

固まっていた私の腕の中に花束を置いてくれた人

一人一人に感謝の気持ちを込めて私はお礼を言った。


「美桜、たくさんもらったね」

「麗奈だって」

私と麗奈はお互いの腕の中にあるたくさんの花束を見て笑った。


「美桜、そろそろ行こうか」

麗奈の言葉に

「うん」

私は大きく頷いた。


私や麗奈と同じくらいにたくさんの花束を抱えた海斗やアユムと一緒に校庭へと向かう為、私は靴に履き替えた。


「……なんか、外がうるさくない?」

不思議そうな表情の麗奈。


……そう言われていれば、賑やかな声が聞こえてくる。


「在校生と卒業生が最後のお別れをしてるんじゃない?」

「……なるほど……」

アユムの言葉に私と麗奈は妙に納得をした。


そんな中、海斗だけが意味ありげな笑みを浮かべていた。


「ねぇ、海斗」

「あ?」

「なんでニヤけてるの?」

「は?」

「なんか企らんでるの?」

「別に企らんでなんかねぇし」

「本当?」

「あぁ、それより早く行こうぜ」

海斗がスタスタと校庭に向かって歩き出した。


「ちょっ……待ってよ!!」

まだ、片一方しか靴を履いていなかった私は慌てて残りの一方の靴に足を突っ込んだ。


それから海斗の後を追おうとした私は

「美桜」

麗奈に呼び止められた。


「どうしたの?麗奈」

「どうしたの?じゃなくて、それ危ないよ?」

「それ?」

「うん、それ」

麗奈が指差したのは、私の足元だった。


「……?」

「靴、ちゃんと履かないと転けちゃうよ」

「……」

「在校生とか先生とか保護者が見てる前で盛大に転けちゃったらイヤでしょ?」

「……うん……」

「じゃあ、ちゃんと履きなよ。待っててあげるから」

「うん」


麗奈は大量の花束のせいでフラフラする私の身体をしっかりと支えてくれた。

麗奈だってたくさんの花束を持っているのに……。


「ありがとう、麗奈」

「どういたしまして、じゃあ、行こっか?」

「うん」

私と麗奈は肩を並べて昇降口の出入り口で待ってくれている海斗とアユムの元へと向かった。


◆◆◆◆◆


昇降口から1歩外に出た私は驚きの余り固まってしまった。

「……ちょっ……これって……」

私の隣にいた麗奈も固まっていた。

「……すげぇ……」

いつもは冷静なアユムでさえ校庭に視線を向けて驚いていた。

そんな中、海斗だけがいつもと同じように楽しそうな笑みを浮べていた。

校庭にいたのは

蓮さん

お父さんと綾さん

ケンさんと葵さん

ヒカルとアユちゃん

黒いスーツをピシッと着こなしている

それから旅行の時に仲良くなったマサトさんの奥さんとヤマトさんの彼女さん

B-BRANDのメンバー達。

そして、神宮組の人達。

たくさんの人達が集まってくれていた。

みんなの姿を見て私は胸がいっぱいになった。

嬉しくて、目の前がボヤけてしまう。

「なに、泣いてんだ?」

ぶっきらぼうに呟いた海斗が私の肩を叩く。

「紺野さん、はい」

アユムがハンカチを貸してくれた。

「美桜、撮影会が残ってるんだからまだ泣いちゃダメだよ」

「うん」

麗奈の言葉に私は、零れ落ちてしまった涙をアユムが貸してくれたハンカチで拭って顔を上げた。

「行こっ!!美桜」

「うん!!」

私と麗奈は再び顔を上げて歩き出した。

たくさんの人達が声を掛けてくれた。

『おめでとう!!』

その言葉に泣きそうになってしまったけど……。

私は、必死でその涙を飲み込んだ。

せっかく私の為に集まってくれたたくさんの人達。

その人達に泣いてる顔じゃなくて笑ってる顔を見て欲しかったから……。

長いようであっという間に過ぎたこの3年半。

蓮さんやたくさんの人達に支えて貰って私は大きく成長できたと思う。

……ありがとうございます……。

そんな気持ちを込めて私は、在校生達が作ってくれた“道”を背筋を伸ばしまっすぐに前を見て歩いた。

そんな私を蓮さんは少し離れた場所からずっと見守ってくれていた。

優しく穏やかな漆黒の瞳で……。


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