358 「変わる舞台」

 初夏の風は、どこか涼しかった。


 6月上旬、とても良い気候の時期なのに、今年は去年とは逆で良くなかった。去年とは全く違う天気に戸惑ってしまう。

 この当時のまだ未熟な長期予測でも、この夏は気温が低いと見られていた。私の歴史の前世同様に、冷夏、そして冷害はほぼ確定らしい。


 一方で、冷害に強い水稲農林1号の普及は、31年から大車輪で進められていた。この影響で、昨年の超豊作をさらに豊作にしてしまった、という研究報告もある程だった。

 それに、今までの東北のコメはかなり味が悪く市場でも不人気だったけど、それも汚名返上しつつある。おかげで、市場での売れ行きも好調だそうだ。


 そしてこの稲を開発した、当時の新潟県長岡市の農試水稲試験地主任技師だった並河成資さんは、さらなる研究をしているという。早くササニシキやコシヒカリを食べたいものだと思い、少しばかり口添えと支援をさせてもらってもいる。

 まあ、将来はともかく、今年は水稲農林1号の頑張りに期待だ。1%でも高い数字を期待したい。取れ高が1%違えば、9万トン違ってくる。


 それにこの数年の取れ高の乱高下で、庄屋や名主、それに米穀業者、穀物を扱う企業での備蓄が進んでいる。

 そして昨年は未曾有の大豊作だったから、食べても食べても食べきれず、備蓄としての分と合わせて100万トン近くあると推計されている。今年も豊作だったら、捨てるしかないと悲観論すら出ているほどだ。


 鳳グループは、そのうち150万石、21万トンを備蓄している。だから市場は、鳳というより米騒動での悪名高い鈴木の金子直吉がいつ仕掛けてくるのかと、戦々恐々としているそうだ。

 金子さんも、電話口で「うちの悪名も相当やな!」と大笑いしていた。


 けど、私の作戦は全然違う。

 不作確定となる夏には、2000万ドル分の金地金を政府に寄贈。これで政府は1億5000万円の国債を増発。さらに国は、これに合わせてもう少し積み増す予定だし、付き合いで他の財閥も乗ってくるだろう。だから2億円程度を見越している。


 そして鳳は、その金で鳳が持っている150万石を全部買い上げてもらう。ざっと4000万円だから、鳳は2000万円ほど献金しただけになる。

 この二つは合わせて伝え、そして広められるので、無茶苦茶な額の献金としてのイメージは多少は低下するだろう。


 そしてこのコメは、不作の場所に政府、行政の手により無償でばら撒いてもらう。配給という形になるという話だけど、諸々の備蓄と合わせれば、大凶作による東北での飢餓状態は何とか避けられる筈だ。


 それに他の金で、農村救済、農村部での公共事業の増発も大規模に行う。

 鳳は、もはや毎年恒例の様相を見せている、農家限定の赤字確定な超低利融資、雇用の紹介、斡旋などを実施する。


 諸々の政府の動きは、水面下で既に進んでいる。5月中頃から騒ぎ始めて、6月の時点で既に尻に火がついた状態になりつつある。夏に一縷の望みを託す人もいるけど、31年の悪夢が頭を過るから楽観する人も少ない。


 一方で、不作が予感されるようになったので、春先にあった政友会内での、未曾有の好景気を追い風にした解散選挙の機運が落ち込んでいる。

 逆に立憲民政党は、解散総選挙に向けて活気付いてはいる。けどそれは、犬養政権の凶作対策を見てからという向きが強い。

 そして私は、三菱を通じて民政党重鎮の加藤高明には、うちが何をするのかを伝えてある。また、吉田茂を通じて、幣原喜重郎にも伝わっている。だから、凶作に乗じて悪い方向で動く可能性は低い筈だ。



(そうなると、私の前世であった政権交代は遠のくのか。それにしても、犬養毅はいつまで首相続けるんだろ。36年までって事はないだろうけど、『五・一五事件』を回避したのに『二・二六事件』で暗殺されましたとか、シャレにもならないなあ)


「どうかした、玲子さん?」


「あっ、いえ、せっかくのオープンカーのドライブなのに、もっと晴れていたらなあって」


「本当にそうだね。せっかく湘南海岸まで飛ばしてきたのにね」


 そんな感じで、ただ今海を見ながらのドライブ中。

 お相手は、虎三郎の長男の晴虎さん。干支一周違いの年上の従伯父(じゅうはくふ)だけど、今の私の偽装彼氏さんだ。

 そして二人が乗っているのは、デューセンバーグの『モデルSJ』。超高級車メーカー・デューセンバーグの最新モデル。1932年に販売開始したのだけど、受注生産で半ば手作りだから、少し前にやっと手に入ったばかりだ。


 日本に5台しかない超高級車、というより超高級スポーツカー。改造すれば、レーシングカーにもなる。この前のタイプも、日本に5台しかない筈。そして全部、鳳一族の所有という成金ぶりを見せている。

 SJの5台のうち2台は、防弾車仕様のセダン。この防弾車仕様は、先代の2台と合わせて『サムライ・カスタム』とメーカーが名付けたらしい。


 他は、2台がスポーツタイプ、1台がノーマルのセダンになる。うちスポーツタイプの1台は、性能や技術を見るための試験用とされている。その代わり、先代の5台は全て使用できるようになった。ただ、誰乗るんだって感じだけど、リンカーンを押しのけて全部鳳一族が使っている。紅龍先生も、うち1台を乗り回すようになったらしい。

 そして今日、ハルトさんがハンドルを握り私が乗るのは、真っ赤なボディーのスポーツタイプのSJだ。


「しかもマイさんの車借りたんでしょう?」


「と言うより、今日は交換だね。僕のは白いセダンで、そっちは今日は舞が使ってる。なんでも、お忍びデートだから、外から見えないセダンの方が良いらしい」


 そう言って軽くウィンクが飛んでくる。この辺りは色男というより、単にアメリカンな雰囲気なだけだ。それ以上に、それにしてもと思わされる。


(この人がモテないわけないのに、何か別の理由あるのかな?)


「ん? どうかした?」


「それでも、マイさんがよく貸してくれたなあって。乗るの前から楽しみにしてたのに」


「それなら大丈夫だよ。こないだ、走行試験場で飽きるほど乗り回していたから。まあ、僕も同じなんだけどね。それでその時に、今日は交換しようって話になって、こっちの車も一通り慣らしておいたから」


「本当に運転がお上手ですよね」


「ありがとう。でも、舞には負けるよ。あいつは、普段から防弾仕様に乗っているし、たいていの車はすぐに乗りこなすからね」


「家族の中では、マイさんが一番うまいって虎三郎も言ってました」


「うん。それに最近は、沙羅も乗り始めただろ。今日も舞のお古のタイプJで、玲子さんの新しい執事の人と出かけているよ」


「し、知らなかった。エドワードと続いてたんだ」


「沙羅は嬉しそうにしてたから、良い関係なんじゃないかな」


「ヘーッ。エドワードも、海を越えてきた甲斐があったってもんですね」


「ほんと、そうだね」


「ええ。けど、それにしても今日は、逢引きが多いですね。瑤子ちゃんと勝次郎くんも、他の子達と一緒だけど会っていますし」


「アメリカならともかく、日本だとおおっぴら過ぎると後ろ指を指される事だよね」


 ハルトさんの言葉は正しい。この時代、恋愛婚をするにしても、ひっそり会う逢引きが精々。それですら、良くない事と見られる。

 お見合い結婚したら、十分に恋愛したと見られるくらい。写真とかだけで親同士が決めるのも、よくある話だ。


 今日だって、マイさん達と現地合流の予定になっていて、遊ぶ先では二人きりのデートではなく、一族、家族の集まりの一環という体裁を整えている。二人の時間を作ったのも、既に内々での決定事項で一族公認の仲だと見せる為だ。

 それに私の場合、後ろには護衛を乗せた車が同行している。



 そうして舗装道路に変わったばかりの湘南道路を走って潮風を感じたら、鳳一族が有している湘南の鵠沼にある別荘へと向かう。


「ハルト兄、おっそーい!」


「違うわよ。新しい車を楽しんでただけでしょ」


「いや、そこは玲子さんとのドライブを楽しんでたって、言って欲しいんだけどなあ。ねえ、玲子さん」


 現地に着くと、もうマイさん達とサラさん達が到着して、玄関ポーチで待っていた。

 一緒にいるマイさんの彼氏さんの涼太さんとエドワードが、それぞれ頭を下げる。どっちも、ウッキウキな表情なのが微笑ましい。こちらまで嬉しくなりそうだけど、そこで気づいた。

 私自身の内心も、似た感じだという事に。


「はい、ハルトさん。とても楽しかったです。ハルトさんは話題も豊富だし、ウィットにも富んでいるし、どうして今まで良いお相手がいなかったのか、とても不思議なくらいです」


「アハハッ、女縁がなかっただけだって」


「お陰で、玲子ちゃんとそうして仲良く出来たんだから、塞翁が馬よね、兄さん」


「本当に」


「けど、前の会社では、かなり言い寄られたって聞きましたよ」


「多少はね。でも、一族とグループから先方には強く釘を刺してもらっていたから、僕が隙を見せない限り問題なかったよ」


「じゃあ、問題あったんだ。まっ、その辺は、これから全員で聞きましょう!」


 サラさんの言葉で中に入っていくけど、その人達を見てまた一つ気付かされた。


 いつものプライベートなのに、ゲーム登場人物が一人もいないという事に。

 私の後ろに控えるシズですら、ゲーム上では私付きではない。つまり、全てが違ってきているのかもしれない。

 愕然とまではしないけど、考えさせられる情景であり、状況だった。



__________________


並河 成資:

水稲農林1号の開発者。開発してすぐの1932年に謎の自殺をしている。

戦前の農業研究の抑圧的な雰囲気が原因だという。



デューセンバーグの『モデルSJ』:

1932年登場。『モデルJ』のエンジンにスーパーチャージャーを搭載し、320馬力・最高時速208kmまで威力を高めた。

この時代としては、破格のモンスターカー。数十台しか製造されていない。

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