335 「執事の帰国」
今年の夏休みも残すところあと数日と言うある日、二つの朗報が入った。
一つは、満州北部で油田の試掘をしている出光さんから、試掘に大成功したというもの。しかも既に、私が示した場所を何箇所も追加で試掘中と言う報告だ。
もう一つは、欧州で買い物と、何よりナチスに弾圧されそうな人々を欧州の外に導こうと頑張っている、セバスチャン・ステュアートの帰国。
セバスチャンが帰国するのは、最初から3ヶ月程度の現地滞在という事で、7月下旬には便りをもらっていた。
その二つを祝うかのように、ラジオからは今年のお盆でブレイクした『東京音頭』が鳴り響いている。
なお、セバスチャンの方は、5月に向こうに着いてから、業務報告の形でほぼ毎週、定期的に手紙が届いていた。電報が届いた事もあった。
けど、身の危険や危機を伝えるものは一切無かった。そして多少の事くらいあるだろうけど、それを自力で何とか出来る人だから、好きなだけ好きなようにさせていた。
そうした中での可能性としては、鳳に有益な人材を一時的にでも日本に招けないかと言う事。
アインシュタインのように私が知っているようなネームドじゃなくても、ユダヤ人は優れた科学者、学者、技術者、医者、弁護士など知的職業が沢山いる。商人としては、言うまでもない。
そして今年の4月に、ドイツでは『職業官吏団再建法』が制定され、共産主義者等の左翼と併せて、ユダヤ人を含む非アーリア人とされた人々が公職追放された。
その1週間前には、ナチスのSA(突撃隊)、SS(親衛隊)がユダヤ系企業製品のボイコットを全国展開開始している。
そしてここから、ユダヤ人のドイツ脱出が始まる。
財産や知識、語学力がある者、もしくは血縁や知人縁者を頼れる者は、イギリスやアメリカを目指した。
しかしかなりの者が、ドイツ語が通じる隣国へと移住した。オーストリアやスイスが主で、旧オーストリア・ハンガリー帝国地域の大都市でもドイツ語が通じるので、そちらに向かった人も少数いた。
ドイツ語に言葉が近い、オランダに移住した人もいたらしい。また中には、ポーランドという人もいる。ポーランドのかなりでドイツ語が通じるし、ユダヤ人も多いからだ。
私は、私の前世でのナチスの悪行を知識としてそれなりに知っているから、セバスチャンには最低でもイギリスか中立国のスイス、スウェーデン、出来ればアメリカを目指させるように強く言ってある。
そして、能力、技術によっては鳳が積極的に雇うという書面も用意してあるので、多少不便でもいいなら日本に来るようにさせている。
日本で多少は生活しやすいように、ドイツの物産も輸入させたし、ドイツの料理人を何人か先に日本に招き入れ、鳳ホテルと横浜にレストランを開いてもらった。
ただ、このドイツ料理屋は、急にドイツを褒め始めた人たちに大好評という皮肉付き。さすがに、草も生えないってやつだ。
もっとも、店員とブン屋を使い情報収集に使っているので、結果オーライだろう。
それはともかく、6月くらいから鳳を頼ったユダヤ系ドイツ人が、人数は限られていたけど取り敢えずは労働者として、日本にやって来るようになった。
聞けば、多くはアメリカなどへの移民をしたらしいけど、セバスチャンが推薦したら鳳が必ず雇うとのことで日本まで来たという事だ。
そして約束しているから、私としては全力で諸々を援護、保証した。ただ日本には、ドイツ語が出来る人が少ないので、この点だけは苦労させられた。慌てて、鳳大学でのドイツ語教育を強化していたけど、もう少しかかりそうだった。
また鳳大学では、俄かにドイツ語を話す講師が増えた。逆に、ドイツ語を話す人向けの日本語教室も作らせた。
また一方では、セバスチャンと現地の鳳商事が買い付けた、ドイツやチェコの優れた工作機械が輸入された。
こういった物の大半は、ナチス政権成立以前のドイツ経済がどん底の時に買い叩いていたけど、日本での予想以上の事業拡大で足りなくなっていたので、ちょうど良い買い増しになった。
なお、貨物は欧州からインド洋経由で来るけど、人の方は北米航路でやって来る場合が殆どだ。
これは、欧州周りの方が遠いからだ。私も一度使った事のある欧州航路だと、ロンドン=横浜間が1ヶ月半程度かかるのに対して、北米大陸経由だと最短で3週間程度で到着できるからだ。
ただし、パナマ運河を通るわけじゃない。
北米大陸経由だと、北太平洋航路で10日から約2週間、大陸横断が3日程度、北大西洋が高速の大型客船で5から6日程度。乗り換えが面倒だけど、速度的には北米大陸をまたぐ方が早い。それに今回の場合、アメリカに移住する人も一緒に移動する場合があるので、北米大陸経由を主なルートとしていた。
なお、北太平洋航路は3つある。一つは横浜=シアトル間。こちらはシアトル航路と呼ばれる。もう一つは横浜=ホノルル=サンフランシスコなので、サンフランシスコ航路と呼ばれている。そしてカナダというかイギリスが、バンクーバーを拠点とした航路も有していて、船も一番良いものなのもあって時間的にはこれが最短だ。
そしてこの頃になると、欧州航路を含めて日本郵船の客船は全て新しい船に置き換わっていたので、船の大きさも快適さも大きく向上していた。
私の前世の世界で横浜港にあった貨客船の氷川丸も、シアトル航路を結んでいたという観光案内を覚えている。
そして8月末日。私の執事が帰って来た。
「只今戻りました、お嬢様」
約5ヶ月ぶり、春に同じ岸壁から旅立った時と変わりない、独特の慇懃な礼。小太り白人なくせに、妙にそれが似合っている。
ただ、オーストラリアに鉄鉱石を掘りに行ったり、アメリカで株の売買を再開させにいったりと、私に仕えるようになってからは、半分くらいは日本以外にいる。本当に、ありがたく貴重なデブだ。
だから私は、最大限の気持ちを込めて言葉を返す。
「ご苦労様。お帰りなさい」
「とんでも御座いません。移動中の往復の間は、休暇を頂いていたようなものです。その遅れを取り戻したいと存じます」
「じゃあその前に、1週間ほど家族と過ごしなさい。あっ、その前に、後ろの人達を紹介してくれる?」
「全て仰せのままに。皆様、こちらが鳳伯爵家ご令嬢、鳳玲子様です。そして私の主人であり、皆様が真に仕えるべきお方です」
「皆様、挨拶が後になり申し訳ございません。鳳玲子と申します。これからよろしくお願いしますね」
そこからは、数十名の一見白人な人達との挨拶となった。
この春からドイツ語は詰め込んだから、この体の優秀過ぎる頭脳のおかげで会話程度はなんとかなる。
ただ、一部の相手側に、少しおぼつかないドイツ語もある。他にも、英語、フランス語、多分オランダ語も聞こえたように思う。
そうした全員の挨拶を受けるだけで、セバスチャンがヨーロッパを広く動き回っていたのを知る事ができる。
もう40を超えたのに、本当に馬力のあるやつだ。
セバスチャンと一緒に移動して来たのは、合計約100人。家族も一緒なのが三割程度。残りは、家族や一族はアメリカなどに移住させ、職を求めた人だけが日本にやって来ていた。そうした人達は、それだけの給与を払う技術や知識を持っていると言う事なのだろう。
そしてこの中には、ラビ、ユダヤ教の司祭も居るので、シナゴーグ、ユダヤ教の教会を開いてもらう予定だ。
なお、日本でのユダヤ人を調査させてみると、神戸に小さなユダヤのコミュニティーがあった。
ただし詳しく聞いてみると、イラク系のユダヤ人らしかった。だから鳳が招き入れたドイツを中心としたヨーロッパ系ユダヤ人とは、生活習慣などに違いがある。
他にも調べてみると、幕末には横浜の居留地にかなりの数のユダヤ人家族が住んでいたと言う記録が見つかった。それもあったので、横浜の外国人居留地の近くの一帯を買うか借り上げて、新たなコミュニティーを形成してもらう事になっている。
ただ、セバスチャンの誘いで日本まで来た人達は、ドイツからばかりではなかった。オーストリアなどドイツ語を話す地域ならまだマシな方。ハンガリー系、ポーランド系、果てはロシア系のユダヤ人までいた。
こうなると、ヘブライ語が共通語になるんだろうけど、とりあえずは私達とのコミュニケーションは英語かドイツ語で勘弁してもらうしかない。
ただ、セバスチャンの元々の部下にもユダヤ系がいたので、その人が基本的には窓口という事になる予定だった。
また移住者の中には言語学者もいたので、通訳はその人がする事になりそうだった。
そうしてセバスチャンが日本に戻った時点で、日本まで来たユダヤ系の数は約300人。労働者となるのは、うち3分の2程度。それ以上の数がアメリカに移住し、さらに多くの数がドイツを脱出できた。
しかし日本には、今後も続々移動してくる予定。セバスチャンの言葉を信じ、1000人程度の受け入れを予定している。
そのうち、こども向けの学校も開く事になるだろう。
そして私がユダヤ人を逃すのは、何も人道上だけじゃない。ユダヤ民族に恩を売るのも、二次的な目的でしかない。日本とナチス政権下のドイツとの関係を、少しでも希薄化させるのが一番の目的だ。
だから皇国新聞など通じても、ドイツ、ヨーロッパでのユダヤ人に関する報道を日本で広く行っているし、今後も広げていく予定だった。
まだ日本政府からは黙認状態だけど、この件に関しては紅龍先生にも色々と話しているし、亡命労働者の中には医者もいるので、いずれ紅龍先生を通じて陛下の耳にも入るだろう。
そこでなるべく早く肯定的な言葉の一つも出てくれば、ナチスに妙な幻想を抱いている連中が画策している事も、吹き飛ばせるはずだ。
政治家へのロビー活動もしているし、今後はさらに広げていく予定だ。
善意を装った打算なのは百も承知だけど、これは私にとっての破滅回避の大きな一手だと信じて行動するしかない。
私の前世の歴史のドイツを知っていたら、避けるより他は考えられなかった。
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東京音頭:
1933年に発売、そしてブレーク。
ドイツ料理:
主人公は気づいてなかったが、第一次世界大戦で日本の捕虜となったヘルムート・ケテルが1930年に銀座でドイツ料理店を開いている。
この店の上の階にあったバーには、スパイのゾルゲの愛人が勤めていたそうだ。
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