290 「満州への資本参加?(1)」

善吉大叔父さんが持ってきた話は、場の雰囲気が少し悪いまま進んでいた。

 お父様な祖父は、鳳一族、鳳グループを代弁し、お兄様は陸軍の立場でモノを言う。それ以外の呼ばれた一族の者と、鳳グループの重鎮は今のところ聞くに徹している。

 勿論、話を持ってきた善吉大叔父さんは例外だ。


「あの、話はまだ水面下のさらに下と言ったところです」


「だが、善吉は探りだとは見ていないのだろう。理由は?」


「北満鉄道交渉」


 お父様な祖父の言葉に、善吉大叔父さんじゃなくてお兄様な龍也叔父様が口を挟んだ。その言葉に、何人かが軽く頷くなどの肯定的仕草を見せる。

 けど、お兄様が一言入れたおかげで、空気が少し変わった。


「露助の鉄道を飲み込んで満州全土の交通網を手に入れると、満鉄がますますでかく、そして厄介な相手になる。だからその先手を打ちたい、と言ったところか」


「そうです。既に前年暮れから関東軍特務部の指導のもとで、満鉄に設立された経済調査会が各種業務を担当させています。ですが」


「経済優先で、関東軍はもちろん陸軍が求める軍需生産最優先の歪な生産態勢の建設には否定的、と言ったところか?」


 お父様な祖父とお兄様のやり取りの最後に、お兄様が頷く。

 満鉄も陸軍も、双方予想通りの行動しかしていない、という事がこれで確認された。

 なお、こうした動きが出たのは「日満議定書」も影響している。

 「日満議定書」が6月15日に成立した事で、満洲の経営の中心は満鉄から日本政府、つまり満州の政府機関である関東軍にも一部が移った事になる。

 満州臨時政府にも、満州側からの要請という建前を作った上で、日本から政府中央の高級官僚が送られた。この官僚達は優秀な若手が選ばれていて、今年に入ってすぐにも満州での政策に深く関わるようになっている。


 そしてすぐにも満州臨時政府内で力を持つようになりつつあったけど、その彼らの最大の障害が満鉄、南満州鉄道株式会社だった。

 満鉄は国を富ませるのが目的だけど、軍と満州に来た官僚は満州を日本の生産拠点にするのが目的だからだ。

 だから満鉄の力を弱めて、自分達の制御が効く財閥に自分達の望む通りの開発を『許してやる』と考えたわけだ。


 そしてご指名を受けたのが、鳳グループ。陸軍が鳳グループを指名したのは、三井、三菱、住友の三大財閥の少し格下で、パワーバランス的に制御可能と考えたからだろう。

 それに、一族当主と一族内に陸軍軍人がいるし、鳳グループは石油を牛耳っているし、ここ数年の事業拡大は鉄鋼生産を始め軍需と重なるものばかり。利害一致は可能と見たのだろう。

 私には言いたい事が山ほどあるけど、陸軍の一部の人にはそう見えている。


「で、そこで、ご不満そうにしている財閥令嬢様は、何をお考えだ?」


 出光さんもいるから余計な事を口走らないように黙っていたのに、お父様な祖父が面白げな表情で問いかけてくる。

 そして一族当主に言われた以上、何か口にしないといけない。ただ、出光さんがいるのでお嬢様を装う。


「蹴ればいいでしょう。関東軍にそんな権限ないんですから。それにお金がないから、うちから毟り取りたいだけでしょう。熱河も内蒙古も関東軍が入れない国際公約結んだから、あそこでのアヘン栽培が出来ないものね」


「他で言うなよ。その通り過ぎて、宇垣さんはクズどもに相当睨まれている」


「言わないわよ。軍人の皮を被った武将気取りなんかに」


「武将ならまだマシなんだがなあ。責任取らない軍師様気取りの方が多いぞ。でなきゃ、真逆の国士様だ」


 そう言って肩をすくめるけど、私とお父様な祖父の関東軍への悪口に文句を言うものはない。

 けど、ガス抜きはここまでだ。


「それはともかくとして、今の鳳は石油事業以外で満州に手を出す余裕はないんですから蹴りましょう」


「内地では、周りが呆れるような大規模開発ばかりしているのにか?」


「だからこそです。国内でも人が足りてないのに、満州に人を回す余裕がどこにあるんですか?」


 私の言葉に、善吉大叔父様、虎三郎、さらには出光さんまでが肯定的な態度か表情になる。

 5年先ならともかく、今は無理だ。人がいない。

 そんな事は、お父様な祖父も十分知っている。けど、私には容赦なしだ。


「人なら向こうは用意すると言ってくるぞ」


「陸軍の意を反映する連中を、でしょう。グループの統制を乱す要因を抱え込むとか、有り得ないでしょう」


「うちとしてはな。じゃあ、断るに際してのうちから出す条件は?」


「それなら前から決めているわよ」


「ほう。是非聞きたいな」


 前にも似たような事を話し合ったので、もはや茶番になりつつあるけど、鳳グループのトップ会議に近いこの場で、言葉にする必要があるから聞いて来たって事だ。

 だから私は、悠然と言い切ってあげる。


「うん。けどね、何であれ石油事業は鳳が全部もらう。他では開発が無理ですものね。嫌なら、クーデターでもして日本全体の権力を握って、うちを国営企業にでもするしかないもの」


「そんな事してみろ、世界中の石油企業が怒り狂って、日本に戦争仕掛けて来るな。他には?」


 お父様な祖父が面白そうに笑う。


「その怒り狂うかもしれない人達が、資本参加する事」


 少し意地悪げに言うと、部屋にいる大半の人も苦笑する。

 お父様な祖父はニヤリと人の悪い笑みだ。


「うちとしては当然の選択だな。その二つか?」


 その言葉に首を横に振る。そしてさも当然と最後の言葉を紡ぐ。


「餅は餅屋。関東軍は、経済の事に口を挟まない事。挟む場合は、正式な手続きを踏んで満州臨時政府と日本政府を介する事。政府と陸軍にも、関東軍の手綱をちゃんと握ってもらう。満州の自治と自主性を維持する為にも必要な措置よ。以上ね」



 ・石油事業の独占

 ・アメリカ資本の導入

 ・経済の関東軍不介入



 最初の1つはともかく、あと2つは視野の狭すぎる関東軍の一部参謀様達が怒り心頭する条件ばかりだ。

 この場の全員が、何らかの苦笑を浮かべてしまうほどに。


「それで、石油以外を実際話す際はどうする? そんな事を直に話したら、連中途中で腰のものを抜くぞ」


「そうねぇ、アメリカ資本の方は、陸軍の目的は対ソ戦備だから、アメリカ資本を入れても大丈夫ですよねって線はどう?」


「一瞬、言葉に窮するだろうね」


 お兄様も苦笑ではない笑みだ。けど、すぐに皮肉げな笑みに変えて続けた。


「でも、満州は日清・日露戦争以来の父祖の血によって得られたものだ。外国人に利権を渡せるか、などと言うだろう」


「フンっ! 俺は奴らの父祖になった記憶はないがな。何もしてない奴らが偉そうに。その件で話すなら、武勇譚を交えて俺が話してやろう。どう言い訳するか、今から楽しみだ」


 お父様な祖父が、単に面白そうと言う以上の表情だ。確かにこの時代、40代の半ば辺りから上の世代は日露戦争に従軍している人がまだまだ元気だ。

 もう10年ほど先でも同じだ。私の前世の世界でも、自分達は何もしてないのに、当人達を前にしてよくも「父祖の血によって」とか言えたものだと呆れてしまう。


 そして軽く呆れつつも、さらに続けておく。陸軍将校を前にしていても、お兄様だから言える事だ。


「万が一アメリカと戦争になったら、差し押さえて徴用してしまえば良いじゃないですか。敵の戦力を削いで味方の戦力を高める、これ以上ない一手でしょう」


「お前、よくそんな悪どい事考えるな。純真無垢、謹厳実直な陸軍将校様には考えも及ばんぞ」


 相変わらずお父様な祖父は、面白そうな声色。よくこんなんで、陸軍少将にまでなれたものだと呆れる。

 けれども、続けた言葉は現実主義者だった。


「だが、満州経営の関東軍不介入は、現状では無理筋だ。言った途端、サーベルじゃあ済まん。冗談の通じん連中だからな」


「断る前提だから良いじゃない。油田以外はいらないし」


「少しは龍也の事も考えてやれ。甘えすぎだ」


「はーい。お兄様、生意気ばかり言ってご免なさいね」


「いや。軍が政治や経済に直接口を挟む事が無理筋なのは事実だよ。ただ、玲子が危ない目にはあってほしくはない。関東軍以外の2つを、鳳の条件とすれば良いだろうね」


 そう締めて、大筋は固まった。

 これでようやく、他の人も話しやすくなったと言うものだ。

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