272 「秘密会談」
6月某日。
鳳ホテルのスイートで、秘密会談が行われていた。
ホストは、お父様な祖父の鳳麒一郎伯爵。話し合うのは、現参謀総長の閑院宮載仁親王殿下と、元陸軍大将で現外務大臣の宇垣一成。それに見届け人として、原敬と加藤高明が同席していた。
そしてなぜか私も。
(……に、逃げたい)
そうは思えど、原敬が私にお礼を言いに来たというシチュエーションで呼ばれたので、逃げ出すわけにもいかない。
さらに、お父様な祖父からも同席してくれとお願いという名の命令をされたら、是非などありはしない。何しろお父様な祖父は、鳳一族の当主だ。
なお、閑院宮載仁親王殿下はたまにお父様な祖父と会っているので、今日は歓談をするべくホテルに訪れた設定。何しろ二人は戦友にして乗馬友達だ。それに殿下の邸宅は鳳ホテルのすぐ近くで、数百メートル先にある。
宇垣一成は、野党立憲民政党の重鎮の加藤高明に、今回のソ連との北満鉄道の話をする為に、別の部屋もしくは会議室で会っている設定。
そしてホテルのごく一部の者しか知らない経路を辿って、さらには従業員、警備員、鳳家の使用人の一部が厳重に警戒する中で、こうして一堂に会した。
首相官邸の実質隣で、よくこれだけの人達が人目を忍んで会えると思えるけど、そこにはもう一つカラクリがある。
うちのグループが抱える皇国新聞のブン屋と雇った探偵達が、他のブン屋を徹底的にマークし、行動の裏をかいていた。ブン屋は追う側で、追われる側の立場に慣れてないから、意外に効果的だ。
そして皇国新聞は、昔からカウンター・インテリジェンスの一環で、同業者のマークを重視していた。当然だけど、お父様な祖父の指示だ。そして鳳にお金が出来てからは、全ての面で強化されている。
だから新聞を売ることしか考えてないような所とでは、所属する人間も、会社組織自体も大きく違っている。
私としては、満鉄の調査部のような情報収集組織をちゃんと作ればと思うけど、総研があるから不要なのだと思うしかない。
一方で新聞自体は、ハーストの手法を取り入れたような「誰が読んでも分かる」新聞としての側面を強めていて、文字はひらがなを多くして文字も大きくさせた。さらに、私の前世の新聞っぽく写真と絵を増やさせていた。
もともと売れ行きも低空飛行だし、新聞単体での運営は赤字になるけど、鳳グループの広告を一杯入れて採算面をカバーさせた。
一方では、新聞配達に頼らない鳳グループのネットワークをフル活用した販売に力を入れている。このせいで、新聞配達が普及している都市部では駅売店、本屋などでの販売が殆どで、売れ行きは寂しい。けど反面、地方、特に農村部では販売数を伸ばしていた。
ついでに言えば、お金が出来てからは新聞としての情報収集と発信機能の強化はもちろん、新聞以外の出版にも手を出している。『タイム』を真似たニュース雑誌も発行しており、海外情報を中心として精度の高い情報発信で売り上げが伸びている。
そんな「うちのブン屋は頑張ってるなあ」と現実逃避している間にも、参謀総長と外務大臣の「お話」が行われている。
「左様に御座いましたか」
「もはや軍から離れた宇垣に、愚痴を言って済まぬ」
「とんでも御座いません。軍から離れた身に内情をお伝え頂き、感謝の念に堪えません」
「宇垣も、親しい者が随分と要職から離れたので辛かろう。鳳が軍に残っていたら、少しは違っていたのか?」
「私など要職に就く事すら無理でしょう」
「そうか。陸軍には、もう少しものの見える者がいると思っていたのだが」
そんな感じで、基本的に殿下が宇垣外相とお父様な祖父に語りかける形だ。何しろ相手は皇族の中でも重鎮と言えるし、名誉職とは言え陸軍の元帥で、さらに役職としても陸軍のトップだ。さらに貴族院議員としても長らく務めていたりと、もう雲の上のさらに上にいる人だ。
二人程度では、質問する事も積極的に話しかける事も憚(はばか)られる。
(私って、何のためにいるの? 生け花を置いておく方が役に立ったんじゃない?)
目の前の情景を見つつ、本気でそう思えた。
なお、話している内容は、派閥抗争により鳴り物入りで陸軍参謀総長に就任された殿下だけど、蓋を開けてみると陸軍大臣の荒木貞夫と少し遅れて参謀次長に就任した真崎甚三郎によって殿下は完全にお飾り、より悪い言い方をすれば傀儡にされてしまっていた件だ。
しかも荒木と真崎の後ろには、陸軍の実務職を牛耳る永田鉄山、小畑敏四郎を中心とする高級将校たちがいる。つまり、二重の意味での傀儡だ。
そしてその事に殿下はすぐに気づき、そして不快に思われていた。けれども殿下は、皇族という事もあって何も出来ない。何しろ皇族だ。発言一つで、人の首が簡単に飛ぶ。下手に動けば、政治的な意味すら持ちかねないから、自重しないといけない。
それでも優秀で自身の意を正しく汲んでくれる者が次官など側近にいれば、間接的であっても動く事もできる。
にも関わらず、直属の真崎参謀次長が勝手に動いていた。しかも荒木陸軍大臣は、閣議では役に立っていないときた。
そして荒木陸軍大臣を半ば無力化しているのが、宇垣外務大臣。さらに、荒木と真崎を傀儡にしているのが、宇垣外相の天敵となっている陸軍中堅要職を牛耳る一夕会だ。
そんな状態の二人をこうして会わせる事に成功したのが、お父様な祖父。お父様な祖父の鳳麒一郎は、陸軍内では一応長州閥。さらに宇垣軍縮でも頑張ったらしいので、宇垣閥と見られている。
そして鳳一族にとって面倒なのは、一夕会の中核にいる永田鉄山らに可愛がられている陸軍の俊英の一人が、私のお兄様な鳳龍也大尉だ。
だからお父様な祖父は、甥っ子の出世を妨げない為、一夕会には積極的に敵対しないと見られている。鳳一族として陸軍内での発言権が後々得られるのに、それをフイにするわけがない、というのが秀才軍人さん達の読みだ。
(けど、お父様を甘く見過ぎよねえ。現にこの有様だし)
私を置物にして話がされているから、もう完全に傍観モード。挨拶だけは最初にしたけど、二人に対してはそれだけ。あとは話だけ聞いておいて、後でお父様な祖父が意見や感想を聞いてくるだけだろうと高を括る。
原敬と加藤高明と似たポジションだ。二人も、具体的な話は一切していない。
「そういうわけで、我が娘玲子は川島芳子様とも親しい間柄なのです。なあ、玲子よ」
「は、ハイ。満州に旅行した時に親しくして頂きました。今でも、手紙をやり取りさせて頂いております」
突然お父様な祖父が話を振ってきた。
付いて来いとしか事前に話を聞いてなかったのに、ちょっとあんまりだ。
けど、そんな事はおくびにも出さずに、話し終えるとニッコリ笑顔。子供の特権を最大限行使する。
そうしたら「髭の参謀総長」と呼ばれる立派なお髭を持つ殿下も、柔らかく微笑まれた。慶応生まれの今年67歳。もう老人と言える年齢だけど、騎兵をしていたからか年齢より若く見える。
「お小さいのに立派な事だ。鳳も良い娘を持ったな」
「はい。ですが、やんちゃばかりするので、こうして行儀見習いをさせております」
「子供はそれくらい元気な方が良いだろう。ましてや鳳の子なら、尚更だ。馬もするのか?」
「はい。7歳の頃より乗馬を習っています」
「そうか。私も馬は好きだ。機会を見て、鳳と、いや親子で乗馬をしよう」
「光栄に存じます。その折は是非に」
話は振られたけど、それでおしまい。流石は皇族。流石は殿下。こういう場ですら、当たり障りのない事しかおっしゃらない。おかげで命拾いした。
また、色々とぶっちゃけられるかと思ったけど、これで私の役目は終わりだろう。
(そんなふうに考えていた時期が私にもありました)
会談が終わり殿下が帰られた後、それぞれバラバラにホテルを出るべく待機しているものと思っていたら、違っていた。
(ここからが実質的な本番かあ)
閑院宮載仁親王殿下を除く、4人のジジイに囲まれてしまった。
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