248 「引越し」

「本日は失礼致します!」


「こちらこそ。みんな、わざわざ休日にありがとう」


「とんでもありません」


 言葉と共に『ザッ!』と最敬礼のお辞儀。


(おかしい。私んち、今日も引越しの筈よね)


 ちょっと頭がクラクラくる。何しろ目の前では、私のお兄様な龍也叔父様が閲兵するかのように、20名ばかりの顔見知りの青年将校さんたち(と言っても、既にアラサーが中心)が鳳の本邸の敷地内で整列している。

 今日は日曜日で、帝都勤務の非番の人ばかり。全員私服だけど、一糸乱れぬ最敬礼とかされたら、誰が見ても素性はバレバレだ。しかも胸の内に抱えている事を考えなければ、これほど身元が信頼できる人達もいない。

 そして何をするのかと言えば、鳳龍也大尉一家の引越しを有志が手伝いに来てくれた。志願者はこの倍はいたらしいけど、大人数過ぎても仕方ないので、面識の薄い若手を中心にして断ったそうだ。特に、普段の言動から断った人も数人いたらしい。


 また、夕方からは、鳳ホテルに場所を変えて、手伝ってくれた事を労う宴会と、フランス留学から帰国してきたばかりの西田税大尉の無事帰還を祝う会も合わせて行われる。噂では、陸大同期の殿下のお一人もお忍びで来られると言う事だ。

 当然とばかりに、目の前の列の中に西田税もいる。


 仕切っているのは、既に青年参謀の中でも頭角を表しつつある服部卓四郎大尉殿。なんでも今は、参謀本部勤務だそうだ。

 お兄様は、陸軍省で永田鉄山の下っ端をさせられているから、まだ海外留学していない分だけお兄様より出世は早いくらい。だからこそ、お兄様と同期の先輩方を差し置いて仕切っている訳で、お兄様以外の同期の人は普通の出世速度の人しかいない。


 なお、お兄様を可愛がっている永田鉄山は、この4月に少将昇進が内定している。しかも、今の陸軍省軍事課長から参謀本部第2部長に栄転予定だ。

 これに連動してお兄様も春には異動して、久々の実戦部隊にして出世街道である近衛歩兵第1連隊の中隊長が内定している。そしてそこで1年ほど中隊長をしたら、陸軍省か参謀本部勤務。さらに1年すれば、同期の実質トップで少佐昇進になるらしい。流石はお兄様だ。

 実質というのは、留学するとその分は出世が遅くなる。けど、留学する時点でさらに上に登るのは確定だから、一時的に出世が遅くなるだけ。ドイツ留学となれば尚更だ。早ければ、40代前半で少将閣下の椅子が待っている。そしてもしそれを成し遂げたら、歴代最速になるらしい。


 そんな現実逃避をしつつも、見渡して少しホッとした。何しろ、辻政信がいなかった。それだけ心が安らぐ。後で調べてみたら、今は郷里の金沢勤務だった。

 金沢の第9師団は、私の前世の歴史だと確か第一次上海事変で戦った陸軍部隊だから、辻ーんの人生にも私は影響を与えた事になるんだろう。




(あんまり役に立ってない?)


 一糸乱れず最敬礼の後に、荷物運びなど重労働を買って出たんだけど、ここ数日の人の動きを見慣れた私としては、鳳が本邸に入れても大丈夫と太鼓判な労働者の皆さん、社員の皆さん、使用人の皆さんの方が動きが良かった。


(まあ、エリート将校って書類仕事ばっかりだから、こんなもんなんでしょうね)


 私はそんな風に思っていたけど、よく考えたら別の専門職を極めているリズとトリアは、メイドとしても優秀だ。シズも言うまでもない。というかシズは、青年将校の皆様の動きがかなり気になっているようだ。


「手伝いたい?」


「いえ。ですが、万が一お怪我などされては大事ですし、鳳として申し訳がありませんので、重い物や割れ物など、特にガラスの品を運ばせるのはお控え頂く方が宜しいかと」


「うん。満点解答。それでいきましょう。皆さん!」


 すぐに呼びかけ、有志の皆様のお心を傷つけないように、やんわりと慣れない事はするなとお願いしておいた。

 そしてWinWin案件なので、お互い内心ホッとしつつ次のフェーズへ。そして私にとって意外だけど、掃除の方は意外に手馴れていた。幼年学校時代から、身だしなみからベッドメイクなどをがっつり仕込まれるからだ。中にはセミプロレベルの人もいるらしい。そういえば、全員の革靴はいつもピカピカだ。


 そんな当人達のことはともかく、家の者に加えて20人も大人の男性が手伝いに来てくれたので、重量物の運び入れはあっという間に片付いた。

 お兄様は、財閥一族としては自戒としてあまり贅沢な暮らしをされていないのもあるし、新しい家具は業者が既に運び入れていたのもあるけど、まあ大人数による物量作戦の結果だ。


「みんなのおかげで早く終わった。あとは家の者で大丈夫だ。今日は本当にありがとう。まだ夕方の宴会には早いから、後はゆっくりお茶でもしていってくれ」


「「ありがとうございます!」」


「お礼を言うのは俺の方だ。本当にありがとう」


 と言った感じで、鳳ホテルへの移動までお屋敷の主に庭でくつろぐことになる。ただお兄様の新居は荷物だらけなので、野外でのお茶となる。

 これを見越して色々準備もさせていたので、全て滞りなく私服姿の将校さん達もくつろいでいるようだ。


「玲子、ありがとう」


「いえ、とんでもありません。お父様が『俺がシャシャり出たら、若い連中が煙たがるだろう』って言うから、代理を務めているだけです」


「ご当主らしい。でもまあ、休日にまで元上官の顔は見たくはないという点は、俺も賛成だ。ところで、変わったお菓子だね」


「抹茶が入っているんです。去年あたりからケーキから始めて、今では色んなものに広がっているんですよ」


「そうか。大人の口にも合う甘みと苦味が絶妙だね」


 そのまましばらくお兄様との甘い会話をと思っていたら、イガグリ頭より少し髪が長い男二人が近づいてくる。

 西田税と服部卓四郎だ。


「二人とも、今日はご苦労さん。それに西田は帰国したばかりなのに、本当に悪いな」


「勿体ないお言葉です。久しぶりにお会いできて、大変嬉しく思っています」


「いえ、とんでもありません。ところで、少しお願いがございまして」


「なんだ、服部?」


「はい。この鳳の屋敷は、かつての長府毛利家の屋敷だったとお聞きします。彼方に見える庭が」


「ああ。そうだ。庭見物くらいなら、いくらでもどうぞ。ただ、他にも工事や引っ越しもしているし、一応入らないで欲しい場所もあるから、隅から隅までってわけにはいかないけどな」


「ハイっ、心得ております。それでは」


 それだけ聞くとすぐに下がり、後ろにいた数名と一緒に、広くそして手入れされた日本庭園の方へと向かう。

 それに応じて、何名かの庭師と使用人それにメイドが、人知れず移動しているのが視界の隅に移った。

 更に言えば、私の側にいるシズとリズは、将校達から少なくとも私の姿をさり気なく遮っている。


「……玲子は、心配し過ぎじゃないか?」


「万が一に備えるのは、軍人の務めでは?」


「敵わないな。でも、あいつらが今ここで何かすると?」


「軽く見て回るだけで、屋敷の中の配置が見極められます。最近、お屋敷に出入りする人で、鳳が身元を洗っていないのは、皆さんだけですから」


「そしてその将校達が気になる、か」


 半ばため息をつくように話しつつ、少し遠くなった彼らを見る。

 お兄様にも、今後起きるかもしれない『夢』で見たクーデターやテロの話は全てしてあるからこその反応だ。

 そして私は、首を縦に振らざるを得ない。


「鳳は今や大財閥で、しかも伯爵家です。更に言えば、一時的であれ日本一の資産家とすら言えます。左翼にとっては言うまでもなく、右翼にとってすら格好の攻撃対象です」


「そして陸軍将校には、そのどちらにも傾倒する者がいる、か」


「海軍も似たり寄ったりだそうですけどね」


「どちらも庶民出身の将校が多いから、左翼的思想に傾倒しやすい者は必ず出てくるからね。右翼は言わずもがなだ」


「お兄様は啓蒙なさっているんでしょう?」


「出来る限りはね。とは言え俺も財閥、華族の人間だから、説得力に欠けること甚だしってやつだな。最近特に痛感させられるよ」


 同僚や後輩達を見るお兄様の目は優しげだけど、色々と苦労しているのが伺える表情だ。

 けどそれも一瞬で、いつもの穏やかな笑顔を私に向けてくれる。


「それより玲子、西田が出来るなら出席して欲しいって言っていたけど、どうするんだい?」


「えっ? ああ、夕方の食事会ですね。引っ越しも手伝って頂きましたし、顔だけでも出そうかと思っています」


 それに対してお兄様は、「そうか、気を遣わせて済まないね」と笑顔を向けてくれるだけだった。



__________________


右翼:

ファシズム辺りまで極端化すると、財閥を国家の統制下に置くべきだと言う考えもある。

軍人は統制するのが大好きだし、金勘定で動く者を嫌う傾向が強いから、財閥はある意味敵でしかない。

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