224 「満州事変(2)」

(決戦は金曜日、か)


 遠い記憶で聞いた歌の題名じゃないけど、前世で事変が起きた1931年9月18日は金曜日。もっとも、決戦じゃなくて「D-day」か「X-day」と言った方が良いかもしれない。

 それはともかく、9月8日に満州党が廃帝溥儀を担ぎ出して『溥儀復辟』を成し遂げ、『満州臨時政府』を作ってからと言うもの、情勢が気になって仕方なかった。


 『満州臨時政府』に対して、今のところ世界の反応は鈍い。たいていの国では、満州など他人事だからだ。

 一方の当事者の日本と赤いロシアと中華民国も、反応は微妙だ。清朝の最後の皇帝を担ぎ出したからと言って、それだけと見られていた。他から見れば、新しい軍閥が一つ誕生したと言うくらい。しかも、海外からの情報では、張作霖の分派ではないかと言う意見すら見られる。

 赤いロシアからは、現地の領事館が日本は関わってないよな、と言う確認が一度あっただけ。


 一番の当事者である中華民国政府、と言うより張作霖は沈黙したまま。代わりに陸軍司令の張景恵が、水面下で日本に対話を求めてきた。これは満州事変の裏にいる陸軍で実務職を牛耳る将校達による「一夕会」に、お兄様こと龍也叔父様からの情報だ。

 蒋介石も、上海などの共産党を追いかけ回しているので、特に対外声明や日本、中華民国政府への接触はなし。それどころじゃないみたいだ。


 一方で、共産党が釣れた。

 『時代に逆行する清朝の復権など断じて許せない。同志達よ、今こそ立ち上がり、復活しようとしている過去の亡霊を倒せ!』と、世界に向けて発表してくれた。

 ただし満州ではなく、揚子江流域南部の山奥のどこかから。


 しかし何故? 私は意外と思ったけど、ある意味正常な思考だと、総研の貪狼司令が説明してくれた。

 要するに、「中華民衆」のナショナリズムに訴える作戦だ。

 何しろ清朝は満州族、つまり異民族。漢族じゃない。「太平天国の乱」のスローガンの滅満興漢じゃないけど、中華の民衆にとっては、清朝も敵だから自分達のプロパガンダに利用してしまえ、と言う事になるらしい。その後ろに日本がいるなら尚更だ。

 そして張作霖による中華民国政府の旧来の策源地が満州南部だから、とにかく混乱を大きくして自分達への注意を逸らそうと言う読みもあるようだ。



「ねえ貪狼司令、この共産党の動きって、うちのサクラも入っている?」


「いえ、ありません」


「上海の人達が独自に動いている可能性は?」


「それは否定しきれませんが、報告皆無という事はないので、ないと判断して問題ありません」


 断定が二回続いた。だから無いと見るべきだろう。気にはなるけど、何から何まで気にしていたらキリが無い。

 そうは言っても、気になるものは気になる。私はそんなに肝は太くはない。


「さっき説明は聞いたし、納得はしているけど、話が出来すぎてない?」


「お嬢様がそれを仰いますか」


 薄く笑みを浮かべての言葉なので、苦笑されたみたいだ。

 そして私を安心させる為だろう、貪狼司令の専門家としての言葉が続く。


「仮にサクラが動いたとしても、裏が取られる事はありません。満州で実際に動いている連中は、コミンテルンか大陸中央の共産党の指示だと頭から信じている末端の者だけです。また仮に、今回の動きが胡散臭いと思った勘の良い連中がいたとしたら、そもそも動いていません」


「うん。それは分かっている」


「上海の方については、大陸での行いで彼らが我々以上のヘマをやらかすとは考えられません」


 そんな貪狼司令の断定のすぐ後で、気の抜けたような声が続く。別の机で資料を積み上げているお芳ちゃんだ。


「そうだよ。お嬢を川島芳子に会わせた人なんでしょう、黄先生って人は」


「それもそうよね。ごめんなさいね、神経質になっているみたい」


 お芳ちゃんにまで言われたので、苦笑して返した。

 そういえばお芳ちゃんは、総研の奥深くでもはや常連化しつつある。知識と情報だらけな上に、地下深くだからお気に入りの場所らしい。表情が生き生きして、多分だけど透き通るような白い肌が少しピンク色になっている事だろう。

 多分というのは、この時代の電灯は白熱電球しかまだ無いからだ。私にとってお馴染みの蛍光灯は、発明はされているけど量産や商品化まで至っていない。


 そして地下三階にあるこの部屋は、戦艦の主砲弾の直撃にも耐えるように出来ているという謳い文句なので、ここより安全な場所は物理的には存在しない。少なくとも、鳳では用意できない。

 だから他の側近二人も、お芳ちゃんによく付いているリズも、この部屋にお芳ちゃんが居る間は手が離れるので、ある意味一石二鳥だ。


 そして鳳総研の奥深くの司令部の一室には、私とお芳ちゃん、それに貪狼司令をはじめとしたこの部屋の本来の住人達しかいない。シズも今は別室で休憩中だ。

 上の階にいるセバスチャンか時田は呼べるけど、今は普通の仕事中だ。お父様な祖父は、国内の政治工作のため奔走中。けど、まだ貴族院議員にはなれていないので、単なる伯爵様が動いているだけになる。


 なお、貴族院のうち伯爵は「伯子男爵議員選挙」というもので互選で選ばれる。そして次の投票は、来年の1932年(昭和7年)7月10日に予定されている。

 今年の春、お父様な祖父が議員になる1年以上前に軍を退いたのは、曾お爺様が亡くなってすぐに退く方が外聞が良いからだけど、これ以上軍にいても仕方ないとかなり前から考えていたかららしい。そんな愚痴を少し前に聞いた。

 そしてここ数日は、家に客を招くかどこかに出向くかして、政治工作に精を出している。

 昼行灯を装うお父様な祖父がこれだけ動くという事は、満州の件は勝算ありと見ている証拠だ。



「ねえ、もし今回鳳が川島さん、じゃなくて殿下にお金を突っ込まなかったら、どうなっていたかな?」


「そうですなあ、鳳抜きの満州党の資金は、累計で多く見て100万円程度でしょう。しかも28年から、鳳から出した金の一部を回して、その現状です。土肥原賢二など諜報担当の連中の資金だけだと、形だけの政党立ち上げが精一杯でしょうな」


「資料を探す限り、関東軍か陸軍から満州党に回っている資金が、最大推計で100万。石原莞爾から別個に約20万。満州党の自力の方はちょっと分からないけど、有力者への賄賂を考えたら辛うじて動ける程度じゃない?」


 貪狼司令をお芳ちゃんが補足している。けど、どっちにせよ少ない。3000倍にしても、40億平成円程度じゃあ確かに何も出来ない。逆に500万プラス諸々は出し過ぎたかもと思うけど、今の勢いを見ると正しいとしか思えない。

 関東軍や陸軍の関係している連中は、さぞ目を丸くしている事だろう。そして川島さんと鳳にしてやられたと、臍(ほぞ)を噛んでいる筈だ。


 けど、事態が一気にここまで動いた以上、計画時期を大きく後ろ倒しにしない限り、関東軍は流れに乗るしかない。

 主導権は、完全に川島さん達にある。お金だけじゃあ何も出来ないけど、お金がないと何も出来ないという典型例だ。


「満州に残っている張作霖軍閥が半壊したチャンスを捉えても、金がなければ北京に逃げるだけか」


「そうですな。ですが、今は全てが幸いしています。そもそも、お嬢様の夢では溥儀は後から言い訳のように担ぎ出されたのなら、最初の時点で良い方向に向かっていると考えるべきですな」


「まあね。けどその辺は、多分だけど軍の中で独断専行した先例がまだ無いから、ってのも大きいと思うのよね」


「夢の中の日本陸軍は、心のタガが外れていたというわけですな。確かに、自分が番犬だと自覚のない犬などただの野犬か狼ですから、タチが悪い事この上ない」


 貪狼司令は、苗字に狼と名がつくのに容赦ない。部下の人達は慣れているのか特に変化はないけど、お芳ちゃんまでが小さく苦笑いしている。


「その通りだけど、今回の一件が軍人が勝手に動く最初の事例になるかもしれないのよね」


 そう言ったところで、新しい情報が入ってきた。

 すぐに貪狼司令のところに、部下がメモを持ってくる。そしてそれを私に差し出しつつ、薄く笑う。


「ご懸念は無用のようです。次の『事件』が起きました。これで王手飛車取りだ」


 その薄い笑いは、悪巧みが成功した時の悪い笑いだった。そして私も、同じように笑い返しているのを自覚していた。

 それは9月17日の夕方の事だった。



__________________


決戦は金曜日:

アーティスト「DREAMS COME TRUE」の歌。1992年。

主人公が2020年代序盤でアラフォーなので、小学生の間に知った事になる。

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