211 「満州事変前夜(2)」

「その年で世界各地に行ったなど、本当に羨ましい」


 清朝の姫殿下の川島さんが、本当に羨ましそうに私へと視線を注ぐ。対する私は、上海での話に続いて欧米旅行の話を話せる分だけダイジェストでしたので、いよいよネタ切れだ。

 それなのに、私だけが話すターンが終わらない。次は何を話せばいいのやらと、途方に暮れそうになる。

 そうすると、見透かしたように石原莞爾が笑みを浮かべた。


「さて、そろそろこちらも返礼の話の一つもしないとな。宜しいですかな、殿下」


「宜しくないな。私としては、このまま玲子と語り明かしたいところだ。それに石原、お前はろくに玲子の話を聞いていなかっただろ。それならば、楽しく聞いた私こそが返礼の話の一つもしないと、礼を欠くというものだ」


 めっちゃキッパリ言った。川島さん、イケメン過ぎる。この短い時間だけでファンになりそう。

 石原莞爾も「えっ?」て顔してる。相変わらず自信満々すぎる態度だから、ちょっといい気味だ。


「……これは困りましたな。では、日を改めますか、土肥原さん?」


「私はそれでも構わないと思うよ。玲子さんのお話は、とても面白かった。視点が私などとは全然違っていて、欧米の事が違った景色で見えてくる」


 石原莞爾は助け舟を呼んだのに、また裏切られた。やっぱり「えっ?」て表情が一瞬現れる。

 そして答えた土肥原賢二は、大陸での日本陸軍の謀略部門の中核人物なのに、見た目のイメージはタレ目な事もあってかそうは見えない。私の話もただ聞くだけじゃなくて、ちゃんと聞いた上で感想を言ったり質問をしてくれるし、ちゃんと社交辞令で笑ってもくれた。

 それに比べたら、石原莞爾は全然ダメだ。たまに反応していたけど、自分の興味のない事には相槌すら打たない。

 そして面白くなさそうな表情のまま、私に顔を向ける。


「鳳のご令嬢はどうお考えか? 大連くんだりまで、旅行記を話しに来たわけでもないでしょう」


「私は黄先生から、北に行きなさいとお示し頂いただけです。そして殿下とお会いし、親しくお話もできて、とても満足しておりますわ」


「……それは何より。では、我らの同席すら無用でしたかな?」


 ついに拗ねた。なるほど、天才とはこういう風にあしらうものなのだと、ちょっと分かった気になりそうな分かりやすさ。

 そして石原莞爾の態度に対して、川島さんは少しからかう感じがして、土肥原賢二はそれに対して特に表情を見せない。どうにも、人間関係が少し透けて見えそうにもなる。

 ただし、私にそう見せているだけと考える事もできる。

 そんな事を思いつつ言葉を探す。


「無用も何も、申し上げました通り私はここに来ただけの者です。それに皆様と私が互いに知己を得るのが黄先生の目的なのでしたら、十分に達成できたかと存じます」


「……鳳閣下そっくりだな」


 石原莞爾が少し憮然と言ったところで、隣の川島さんが「かんらからから」な感じで大笑いした。石原莞爾は、さらに憮然とした表情を強める。

 前回と違い、石原莞爾に勝ったらしい。そして川島さんは、石原莞爾にとってやりにくい相手なのだとも分かった。

 ただ、川島さんめっちゃイイ笑顔だ。


「ますます気に入った。石原を言い負かすとは、大した女傑だ」


「女傑などではありませんが、石原様は以前お会いした時、あまり真剣に私のお話を聞いていただけなかったので、鍛錬を積んで来たつもりです」


「世界を回ってくれば、確かに一皮も二皮も剥けようというもの。では、今夜はその辺りの話もじっくり聞かせてくれ」


「だそうだ、石原。今日のところは、我々はお暇(いとま)しよう」


「済まないな、土肥原」


「いえ、殿下がこれほど機嫌がよろしいのを、久しぶりに拝見いたしました。それを見られただけでも、今日は大いに価値があったと存じます。鳳玲子さんも、ありがとう。それと明日、改めてこちらにお伺いするから、明日はよろしく頼みます」


「はい、こちらこそ明日は宜しくお願い致します、土肥原様」


「では、また明日」


 土肥原賢二は丁寧な言葉をくれたけど、機嫌を損ねた石原莞爾は、川島さんにも儀礼的に頭を下げただけで部屋を出て行った。

 石原莞爾は、作戦や戦略の天才もしくは鬼才だとしても、ちょっと大人気ない。それに比べて土肥原賢二は、謀略が専門だから人と人との関係を重視しているんだろうと、私のような者にも理解できる。


 そして部屋に残された私と川島さんだけど、川島さんはのんびりとお茶に口を付ける。けど口をつけてすぐに人を呼ぶ。もう冷めているから、お気に召さなかったようだ。


「玲子も、自分の女中と部下を入れていいぞ。それと王は、しばらく借受けるので私の部下という事にしておいてくれ。正確には、私の夫の同盟相手の一つなんだがな」


「そうなのですね。ワンさんの素性は、私が帝都を出たら護衛をしてくれる人くらいにしか知らないんです」


「あの大男を「さん」付けか。部下じゃないのか?」


「親しくはしてくれますが、契約関係だと思います。詳しくは父しか存じません。そもそもあんな優秀な人、私の護衛には勿体無いですので」


「金で雇ったのなら、その分だけ使えば良いだけだろう。大陸ではそれ以上望まない方がいい。玲子は、あの大男にそういったものを期待しているのか?」


「せっかく知り合えたのですから、契約とは関係なく付き合っていければとは思っています」


「フム、玲子は面白いな。だが、今日はおかげで助かった。あの二人を、一旦は引き下がらせる事が出来たからな」


 土産話をしている時くらいから少し思っていたけど、やっぱり日本の軍人が疎ましかったらしい。そして単にうっとしいだけならそれで構わないけど、軍人抜きで何か話すくらいは、あの二人なら予想する以前で考えるだろう。

 この時代なら盗聴は技術的にまだ無理だから、日本陸軍の意に沿わない事は何も出来ないと見ている証拠だ。


「……少しお聞きしても宜しいでしょうか?」


「なんでも聞いてくれ。あの者達が帰った以上、ここには身内しかいない。玲子のお付きも大丈夫なんだろう?」


「はい、信頼しています」


 そう言いながら、部屋に入ってくる3人に視線を向ける。3人と一緒に、ワンさんと他数名の男性も入る。入れ替わりに、お茶と茶受けを用意した女中達が引き下がる。

 川島さんの方は、私の言葉に強めに頷いた。


「で、質問とは?」


「殿下が黄先生を通じて私をお呼びになったんでしょうか?」


「そうだ。鳳には、遼河油田の警備という名目で、援助を頂いている。石原を通じての援助もな」


「石原さんが殿下にも?」


「そうだ。知らなかったのか?」


「はい。用途については何も。関東軍が阿片商売を広げるよりは、というくらいに思って渡したもので、あまり期待もしていませんでしたし」


 そう言ったらまた豪傑笑いされた。

 笑いのツボが今ひとつ分からない。


「期待もせずにあんな男に金だけを渡すとは、それはそれで豪気だな。是非私にも、頂きたいものだ」


「それは勿論。こうして知己を得られた以上、出来る限りの事はさせて頂きたいとは思っています」


「フム、正直だな。こういう時、私におもねる奴はもう少し美辞麗句を飾りたてる」


「私は商人ですので、商品に対しては誠実でありたいと思っています」


「なるほど、当然だな。それで私は何をすれば良い?」


 そう言った川島さんの目は真剣だった。

 ここからが殿下との本交渉という事らしい。


(全然想定してなかったのに、どうしよう)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る