183 「水稲農林1号」

「コシヒカリ! キタ〜ッ!!」


「はい? また夢で何か見ましたか?」


「夢じゃないわ。現実になったのよ!」


「何がでございましょうか?」


「だから、コシヒカリよ、コ・シ・ヒ・カ・リ!」


「……腰が光るのでしょうか?」


 シズとの会話がさっぱり噛み合わない。けど、待ちに待っていた報告に、私は少し興奮していた。それに久しぶりの明るい話題に、必要以上に心が躍る。ただ、コミュニケーションは大切だ。

 一度深呼吸してから会話を再開する。シズも律儀に待ってくれている。


「コシヒカリのご先祖様になる稲の品種が生まれたのよ。その名も水稲農林1号!」


「ご先祖様の方は、随分と味気ない名前ですね」


「まあお役所命名だからね。けど、こいつは凄いわよ」


「沢山実ったりするのでしょうか?」

 

「そうよ。しかも寒さに強い寒冷地用の水稲で、成長が早くて、花が開いてから実の成るまでの期間が短くて、しかも美味しいの! 最高でしょう!」


「本当ですね。ただ、良いとこ取り過ぎるように思えます」


「ホントそうよね。けど事実なのよ。さあ、どんどんこれを広めるわよ。連絡して!」


「はい、畏まりました」


 そしていつもの、音のしない静かな一礼。

 シズとの会話は多くなったけど、このやり取りは変わらない。




 シズに命じてしばらく待つと、時田が鳳ビルからやってきた。珍しく、善吉大叔父さんまで一緒だ。


「お待たせしました、玲子お嬢様」


「お久しぶり、玲子ちゃん。朗報だって?」


「はい。新潟の農業試験場で、新種の稲の農林1号が生まれたのよ。資料はそっちを見てね。すぐに普及するように、手配したいの」


「以前からおっしゃっていた稲ですな。しかし、開発に資金を入れなかったのは何故なのでしょうか?」


 時田がごもっともな質問。

 この稲の開発は27年から行われていた。27年には知らなかったけど、28年には私も情報を掴んでいた。けど、しない理由があった。


「真面目な宮仕えの人に、賄賂積み上げるのは流石に駄目でしょう。相手が民間なら容赦しなかったんだけどね。けど、ここからは別よ」


「普及への資金援助ですかな? それともさらなる品種改良の方でしょうかな?」


「まずは普及。東北と北陸、それに出来るなら北関東、長野の辺りも。とにかく寒いところよ。32年に全部は無理だろうけど、34年の田植えまでに広められる限り広めてちょうだい。今後の日本の食料問題にも関わるから、総力を挙げてね」


「そこまでするのかい? 確かにこの資料が確かなら、素晴らしい品種だとは思うけど」


 善吉大叔父さんがごもっともな質問。

 けど私は知っている。私の前世の歴史では、戦時中と敗戦後の食糧難の時代も乗り越えさせてくれた、救世主とは言い過ぎながら、食糧生産にとても貢献してくれた品種だ。


 そして戦後、コシヒカリやササニシキなど、数多くの美味しいお米へと繋がっていく品種でもある。

 そんな説明は流石にしないけど、絶対に普及させないといけないお米だ。しかも可能な限り早急に。


「方法はどのように? 政府への働きかけと献金が常套手段になりますが」


「それはしないと始まらないわよね。けど、分かっている人は官僚にも政府にも十分にいる筈だから、話は通りやすいと思うの」


「通らない場合はどうされますか?」


「うーん……三菱様にご連絡して。先に加藤高明様にご相談してみましょう」


「その方が通りはよろしいかと」


「私もそれに賛成だ。それでだけど、三菱と加藤様には私が話を通しておこう。それで、他に伝えることはないかい?」


 善吉大叔父さんが、やたらと乗り気だ。

 そんな大叔父さんに、考え事をする振りを混ぜつつ少し半目で見つめてみるけど、軽く首を傾げられただけだ。


(これって、私が呼んだ理由、絶対知っていたわよね。ファンドからお金が出るかだけ、直接確かめたかったって事かな? ……ま、いいか)


「うん。詳しい人間も連れてくれたら、それで十分。餅は餅屋。私の言葉よりも専門家に話させて。出来るだけ普及に熱心そうな人を」


「委細承知だ。でも、この稲を何年も前から目をつけていたんだから、今更ながら驚かされるね」


「私は、先に見つけるくらいしか能がないからね。じゃあ善吉大叔父様、よろしくお願いします」


「うん。任せてくれ。今回の件は、是非早急に進めたい。何しろ私の出身は山形だからね。それとね、去年の豊作飢饉対策もそうだけど、一連の行動と計画には私個人として、玲子ちゃんには感謝しきれないんだよ。遅れたけど、本当にありがとう」


 そう言って、かなり薄くなっている頭を下げた。

 その寂しい頭を見つつ思い出す。


(そう言えばそうだった。経歴なんて、すっかり忘れてたなあ。けど、だから今日わざわざ私に顔を見せに来たのか)


「頭を上げて下さい。それに私の『夢』が正しかったら、これからの方が大変な事になるの。特に今年は東北・北海道はすごい不作だから、去年以上に気を引き締めていきましょう」


「うん、そうだね。本当にそうだ。頼りにしているよ。それじゃあ」


 そう言って、時田を置いて出て行った。

 そして時田が残ったということは、だ。


「時田は別件あり?」


 軽く首を傾けて聞くと、軽く頭を下げる。


「はい。同様の件も含めて、原敬様よりご連絡が御座いました」


「あー、盛岡だっけ、あの人」


「はい、盛岡のご出身で御座いますな」


「東北、特に岩手は大変な事になるから、お金突っ込む予定だったしなあ。含めない方は、その件?」


「左様に御座います」


 そこで私をジッと見つめてくる。

 それで何を言いたいか少し分かった。けど言葉にする前に、言いたい。私はまだ料亭に行く年じゃない。だから、確かめないわけにはいかなかった。


「えーっと、料亭に呼ばれたり、しないわよね」


「まさかまさか。玲子お嬢様には、ご報告だけに御座います」


 よかった。いつも通りの胸の前で両手を軽く横に振る否定のゼスチャーだ。ただ、それを見つつ疑問も出てくる。


「てことは、お父様と会合するのね。まだ一応軍人なのに、原さん的にいいのかな?」


「ご当主様は、既に予備役願いを出しておいでですから、その話もあちらには伝わっているかと」


「なるほどね。で、何か私にもご伝言あり?」


「はい。色々と骨を折ってもらって、鳳の御姫様(おひいさま)に是非宜しく伝えて欲しい、との言伝を頂いております」


「ホッ。よかったそれだけで」


「それと、もう一つ」


 一息ついたのもつかの間、時田から追加のオーダーが入った。絶対わざとの間の空け方だ。

 ジト目で見返すと、目が笑っている。悪い話ではないけど、いたずらに成功したって目だ。


「料亭は無理だろうが一度鳳のホテルに行きたいので、玲子お嬢様がよくおっしゃる『すい〜つ』をご馳走してくれないか、との事でした」


「それ、絶対に献金してくれって話よね」


 半目のまま断言して言い返す。

 原敬から彼の郷里に落とす献金の話を無くしたら、原敬ではなくなるほどだ。

 そして時田もそれを肯定する。


「恐らくは。原敬が甘いもの好きとは、聞いた事が御座いませんな」


「山吹色のお菓子は、大好きみたいだけどね」


「ご自分で食されないのですから、構わないのでは?」


「そうね。それに東北に金を落とすなら、原様を通す方が楽だものね。セッティングしておいて」


「畏まりました」


 時田の深い一礼が、会話の終了となった。



__________________


水稲農林1号 (すいとうのうりんいちごう):

後にコシヒカリなどの品種の交配親に用いられ、多数のイネ品種の祖先となっている。

1931年4月に参考成績書が出されたが、詳細はリサーチできず。

また、1月ほど早く察知したと想定。

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