180 「悪党は私」

 1931年春、この春は色々と事件が多かった。

 私個人としては、1年早く入学した小学校が6年に進級したくらいだけど、世界情勢、日本の情勢は激しく動き始めていた。


 鳳グループとしては、日本の各地での大規模な工場建設とその準備が大車輪で進んでいる。半ば連動して、田中政権の間に作られた優遇税制と公共投資もあって、日本各地で土建業が盛んだ。


 道を作り、工業用地、宅地の整備、上下水道の敷設などその他諸々の社会資本の整備。何もかもが不足する日本だから、一度手をつけ始めるとキリがないほど何でも工事対象がある。


 そして豊作すぎて困窮する貧農、小作農が、一時的な出稼ぎ労働力として駆り出されて、冬場の建設現場を埋め尽くした。

 全ての余剰労働力、困窮者を吸収するまでには至っていないけど、効果は確実に出ていると分析されていた。


 もっとも、他の財閥の殆どが、鳳がしている事に殆どドン引きだ。

 政府の公共投資の何割かも、私がポンと政府に献金した2000万円もの金塊が元手となっている。つまり、鳳の金で公共投資しているわけだ。


 そしてその鳳は、不景気の最中に社会資本と設備投資を中心にしてどんどんものを作っていた。しかも、今までの調子の良い時の日本の経済状況ですら不要なほどのものを作ろうとしているのだから、引いて当たり前だ。


 しかも他の財閥、企業は、今回の不景気で前世の私ならドン引き間違いなしの大規模なリストラなどの企業防衛策を実施中。まるでアメリカみたいだ。

 この時代、終身雇用なんて役人か職業軍人くらいだから、財閥中枢の本社社員ですら結構簡単に首を切られる。しかも今回は、各財閥が万単位で切っている。首切り祭り状態だ。


 けど、それこそこちらの思う壺。


 1年か最大3年ほど我慢する必要はあるけど、その時に必要となるのは私達、鳳グループだからだ。そして今の鳳だけが、不況に耐えるどころか大きく前に進む力がある。


 他の企業が不況で首を切った人材も、一定程度の基準さえクリアすれば雇い入れている。その中には、今まで鳳など見向きもしなかった、各地の帝大卒の人たちも多く含まれている。


 そして私が、前の総選挙と政権交代を傍観した本当の理由がこれだった。

 自分からアクティブに動く気はゼロだったけど、歴史の揺り返しか何か知らないけど、この時期に政権が変わる事を最大限利用した。


 つまり、鳳グループを有利にする為、わざと政権交代を傍観したに過ぎなかった。全部、計算ずくだった。全てが成った時、鳳はさらに大きな力を持つことができる。

 今後の為にも、あった方が良い力、必要な力だ。

 鳳の大人達、側近達が、選挙の傍観について実質的に何も言わなかった理由も、鳳に利すると分かっていたからの筈だ。


 それでも、あぶく銭と大衆扇動で選挙や政党をどうにかできるかもとも思った。しなかったのは、これ以上政治を腐敗させたり流動的にしたら、今回は良くても今後収拾が付かなくなる可能性が高いと、総研からの強めの予測が出ていたから。

 そして私には、その先に政党政治崩壊のフラグが見えるような気がした。

 

 そんな二つの理由、特に自身への嫌悪感から、自然と愚痴が出た。方々で愚痴った。

 一方で濱口雄幸には、本心で身を案じて欲しいと思ったにせよ、贖罪や免罪符のような言葉を口にしてしまった。後でこれに気づいて、自身への嫌悪感が大きすぎて吐き気を催したほどだ。


 要は、罪悪感の心のガス抜きを無意識にしていたに過ぎない。そして諸々の重荷から逃げた、忠告はちゃんとしたと内心で考えた方が、鳳を大きくする為に多くの人に不幸が訪れるのを傍観したと考えるよりはるかに楽だ。


 けど、色々自身の内心に気付かされたので、少しは肝も据わったと思う。

 そして私が愚痴っている間にも、打った布石は実を結んでいた。私と鳳が破滅しない為の布石、少し先に日本の行く末を捻じ曲げられる可能性を高める布石が。



 鳳グループがアメリカから大量に輸入した、ブルドーザー、ショベルカーなどの重機、ダンプカー、大型トラックなどなどが、工事現場を中心に大活躍。人力の何十人分の労働を一気に進める。

 そして工事の進捗状況も、桁違いに早くなった。現場では、人力しか知らない人達が、建設速度の早さに目を丸くしているという。


 そうした情景は、今までの日本にはあまり見られなかったもので、目ざとい人は重機や大パワーの大型車を手に入れたり、レンタルしたがった。おかげさまで、鳳の重機、トラック関連の商売も大繁盛だ。


 農村では、庄屋や名主、富農が、先を争うように農業用トラクターもしくは耕耘機を購入して、牛もしくは馬を処分し小作人との労働関係を希薄化させている。

 そしてそれにより生まれた農村部の余剰労働力を、各種工事現場が吸収していった。今まで土起こしのシーズンだったのが、工事シーズンになった。


 さらには、今後建設される各種工場での労働力確保を目的として、臨時の技術学校を各地で開設した。この中には、現在進行形での重機、トラックの免許学校も多数あった。

 教師、教官が全然足りない状態で、それらですら促成栽培で育成している有様だった。


 けど、それで十分だった。

 私が目指しているのは、三ヶ月で使い物になる小卒の労働力で回る生産現場だ。だから誰でも簡単に扱い方を覚えられる、単機能で使いやすいアメリカ製の工作機械を大量に購入する計画で、技能習得用に既に一部購入しているのも同じ機械だ。

 熟練工の手により、1つで何でも出来るような複雑な機械は必要ない。


 勿論、熟練工は希少だし、いてくれたら頼りになる。天才や秀才だって、いくらでも欲しい。けどそう言う人たちは、開発・設計に欲しいだけ。生産現場だと、現場の要に必要なくらい。

 私が目指しているのは、日本的な職人が生み出す100分の1の精度の匠の技じゃない。1000分の1の精度を出す機械を操る、どこにでもいる、にいちゃん、おっちゃん達だ。


 必要なのは一騎当千の熟練工じゃなくて、蹴散らされる千の方だ。1人の天才じゃなくて、100万のどこにでもいる労働者達こそが、最終的にチートを生み出すのだ。

 アメリカのように。

 もっとも、アメリカはハードル高過ぎるので、目指すのはアメリカ以外の先進国列強水準だ。


 そして私は、そして以前からの鳳は、さらにそうした工作機械を国内で自力生産する体制を可能な限り構築する事を目指しているけど、現状では全て過渡期でしかない。

 私が現場に関わるまでの10年ほどは、虎三郎が中心になって頑張っていた。けど、人を育てるとなると10年20年単位の時間が必要なので、産業としてはまだ芽が出るくらいが精一杯。


 それでも、資金的にも余裕が出てきた26年あたりから大きく動き始め、去年からはどんどん金と人を突っ込んでいるから、去年の秋辺りからは加速度的に物事が動いている。

 去年の暮れには、一部の工作機械を製造するための工作機械、所謂マザーマシンと言うものを作る研究所を兼ねた生産工場が立ち上がった。

 アメリカやドイツとは言わないけど、欧州の先進工業国のレベルに手が届くまであともう少し。


 他にも挙げたら色々変化してきている。何だか、石が坂道を転がり落ちていき始めているようなイメージで、私の予測を上回る規模、速度で物事が進んでいた。

 私がお金をさらにばら撒かなくても、事態が勝手に、私が考えていたのとは違う方向に進んでいた。

 けど不況を前にして、止まるわけにはいかない。私がするべきは、私が必要と思うところへのさらなる投資、そして軌道修正だ。


 この流れに欠点があるとすれば、やはり現時点での濱口内閣の政策になるだろう。

 何しろ次年度の予算は、27年から4年続いた政友会内閣の放漫財政によるインフレ抑制を目的とした、緊縮予算編成が確実だからだ。


 しかも言っている事は、ある側面から見れば実に正しい。4年間の放漫気味な財政政策により、確かにインフレは進んでいた。インフレを警戒する預金者の不安も高まっていた。


 あのままのインフレと金本位制を停止した場合の為替相場を制御できるのは、高橋是清しかいないので本当に仕方ない。それにあの人は、いい加減引退させてあげないといけない。それが無理でも、せめて休んで欲しい。


 そして金本位制もまだそのままだけど、貿易する会社にとって、安定した為替相場は大きな安心材料だ。

 政府、大蔵省は金地金の減少に顔色を青くしているけど、政府への維持してくれという懇願があとを絶たないという。停止しろと言っているのは、鳳グループくらいだ。




「以上になります」


 鳳の総研の会議室で、貪狼司令の低音ボソボソボイスによる報告が終わった。

 会議には、私のメイドのシズとリズは席を外して隣の部屋に待機している。他の使用人、護衛も同様だ。逆にお芳ちゃんは、私の求めで隅っこに座らせている。

 他、貪狼司令、時田、それに珍しくお父様な祖父の麒一郎がいた。


 ただしセバスチャンは、トリアを連れて良質で無尽蔵の鉄鉱石を掘るべくオーストラリアに出張中。

 白人の有能で信頼できるスタッフを持っていると、こういう時は有難い。それに世界一周旅行のおかげで、こうしてオーストラリアで鉄鉱石を難なく掘る事業が展開出来るのだから、何が幸いするか分からない。

 もっとも、まさかオタク的行動が幸いするとか、私的にも斜め上すぎた。


 おかげで、あのチャーチルと顔見知りどころか、ペンフレンドになれた。あまりに嬉しいから、お手紙と一緒に鳳銀行の小切手まで同封してしまったほどだ。

 ただチャーチルは、『金額が一桁多くないか』と確認の電報がすぐに来たりもした。存外、まだお金には苦労しているみたいだけど、もう少ししたら裕福になって動き始めるに違いない。

 次は、あの人の著書を沢山買ってあげよう。あの人相手なら、良心の呵責なく献金も賄賂も贈れるというものだ。

 それはともかく、今は日本の情勢だ。


「それぞれの方面から何かある?」


「軍部はカンカンだ」


 この春で軍に予備役願いを出す予定のお父様な祖父が、お手上げゼスチャーと共に口にしたけど、表情はいつも通りの昼行灯。

 私も、邪険を装って手をヒラヒラさせつつ返す。


「けど、予算全体を減らすんだから、比率の高い軍事費が一番減らされるのは当然でしょ」


「馬鹿どもは、そんなもの見やしませんよ。税収など連中にとっては、ただの数字だ」


「貪狼司令、言い過ぎ。お父様、弁護は?」


「ない」


「……義理ってものがあるでしょ。それに苦労するのは、もうすぐ帰国するお兄様なのよ」


 取り付く島もない言葉に思わず半目になるけど、お父様な祖父は気楽なものだ。

 何ていうか、退職を決めた後のリーマンって感じがする。なんか、背中に翼が生えてそうな心の軽さが見え隠れする。


「龍也ならうまくやるだろ。それに海軍はやらかしたばかりだから、大人しいもんだ」


「その海軍なのですが」


 そう合いの手を入れたのは時田。全員が今の海軍が問題を起こすわけないと思っていたので、時田に注目する。けど、貪狼司令は少し何かを知っている表情を僅かに見せている。


「川西飛行機に、強く手を出す動きがあります」


 時田の声色からすると、事態は鳳にとって深刻というサインだった。

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