160 「次の首相は?」

 私の言葉を受けて、爬虫類っぽい顔が上がる。


「はい。お嬢様と同じ回答とは思いますが、ご説明を。今回の騒動、統帥権、つまり陛下や皇室がらみです。当然、胡散臭い連中、海軍と関係のない様々な方面の超国家主義者どもが、元気に色めき立った筈。実際動いていた連中も、各所で確認されています。

 政府内では一部の右寄りの官僚と陸軍将校、右翼政治家あたりですな。市井だと、自称国士様、運動家、活動家、革命家とその予備軍と言ったところでしょうか。まさに、馬鹿の大行進」


「うん、それで?」


(……言葉が多い。それにこれ、長くなるやつじゃない? お芳ちゃんに聞くべきだったかなぁ)


「しかし陛下は、自ら統帥をお示しになられた上に、陛下の意に反する者を強く叱責なされた。その上、馬鹿どもの視点から見れば、君側の奸もごく一部だが取り除かれた事になる。

 何より、今回の件で陛下が君側の奸などの輩に操られない事を示された。同時に、陛下がお認めにならない事を勝手にしたらどうなるか、これも示された事になりますな」


「そこは分かるけど、陛下が首相や大臣じゃなくて、あえて皇族をお怒りになられた点については?」


「陛下の臣下に対する寛大なお心が示された、と言うのが表向き。皇族に責任を取らせる事で、今回の件でどれだけ陛下がお怒りだったのかが示されたのが裏面」


「真意は?」


「実はない。何しろ陛下と殿下の温情は本物だ。しかし、受け取る者の視野が狭いと違う解釈になる。手前勝手に統帥など陛下の権利に触れるな、と受け取る輩が多数出てくるのではないでしょうか。それが馬鹿どもにとっての真意となります」


「当人達の視点での皇室の為、日本の為に「余計な事」をしようとしていたお馬鹿さん達は、当分大人しくなる、で良い?」


「うん、だろうね」


「はい、お嬢様、皇至道(すめらぎ)嬢と同じ結論です」


「フム。……だと良いけど」


 そう呟きつつ、子供にはまだ大きな椅子に深く沈み込む。そこにシズがトレーを眼前に出してくれたので、そのままトレーの上のカップを手に取る。

 砂糖多めのお茶が、口の中と脳に染み渡る。


(どうせなら、革命ごっことか全面廃業してくれたら万々歳なんだけどなあ)


「お嬢はまだご不満?」


 そんな私をお芳ちゃんが覗き込んでくる。

 そして聞いてきたくせに、まだ言いたい事がある表情だ。


「まだご不満よ。貪狼司令、お芳ちゃんが政局について一言言いたそうにしているけど、そっちの意見なりはある?」


「御座います。すぐに選挙でしょう。今の政権、田中義一一人で保っていたようなものです。しかも既に腐りきっている。

 しかし次の選挙は、民政党に不利となった。政争を仕掛けたのに、大馬鹿者と陛下にご破算にされて怒りの向けどころがない。

 しかも首相が心労で倒れたと言う好機なのに、陛下が田中首相の事を心配していたという話が出てきているので、あからさまに付け込む事も出来ない」


「それに、軍縮を通したのが政友会で、緊縮財政、国際協調が売りの民政党は軍縮成功をむしろ認めないとダメだしね。

 対する政友会は、賄賂とか疑獄とか悪い事から民衆の目を逸らす為、正義は我にありで選挙戦を展開するのが目に見えてる」


「次の選挙は荒れそうねえ」


 半ば負け惜しみで言ってみたけど、二人の長広舌に対して、ぐうの音も出ない。

 そんな私を見て、お芳ちゃんが苦笑い気味に再び口を開く。


「でもさ、鳳にとっては良い事あるよ」


「ですな。政友会、民政党の両方にパイプがあるのが今の鳳だ。どっちの陣営も、せっせと鳳詣でをする事になるでしょうな」


「それに不景気が確実だから、景気対策が争点になる」


 「だよねぇ」と返しつつ、さらにソファーに沈み込む。もはやダラダラな姿勢だけど、そうもなりたくなる。

 そこにお芳ちゃんが、また上から覗き込んでくる。


「お嬢はどうなって欲しい? いや、どうしたい?」


「そうねえ。民政党が緊縮財政をほどほどにしてくれるなら、支持しても良いんだけどなぁ。政友会は、相変わらず腐り具合が酷いからねぇ」


「それはありませんな。図らずも綱紀粛清された民政党で首相になるのは、若槻礼次郎か濱口雄幸のどちらか。蔵相は残りの片方かもしれないが、共に大蔵省出身だ。庶民の敵のインフレ抑制の為、絶対に緊縮財政、国債なしを一度は通してくる筈だ」


「となると、国民人気を考えたら濱口さんが首相、若槻さんが蔵相、加藤高明さんは、裏方か政党の統制。あとは……安達さんが内相、幣原さんが外相あたりかな?」


「お嬢の言う線が一番濃いと思う」


「情報収集と研究をさせますが、恐らくその線が濃厚でしょうな」


 二人が私の模範解答に頷く。口にした私もそれしかないと思うけど、思わず天井を見上げてしまう。


「そうよね。これだけ見ると、今の民政党って人材揃ってるわよね。騒動のおかげで、おバカさん達が力を無くして、党中枢が統制も取り戻したし。けどなぁ」


「ご不満?」


「大いに」


「中心に大蔵官僚出身が多いからですか?」


「中心に軍出身の政治家がいない」


「むしろ良いんじゃあ?」


(お芳ちゃんでも分からないか。まあ、戦後を知らないとそうなるよねー)


 そう思いつつも貪狼司令を見るも、こちらは真剣に欠点を考えているけど、私と同じ回答を見つけられないでいる。


「今回の統帥の件も、多少は関係あるんだけどね」


 そのヒントで、二人が同時に回答に至った。

 さらにその視界の後ろでは、今回は専門外すぎてメイドに徹しているトリアだけど、話を聞いているのにまだ気づけていない。

 戦後のアメリカの政治に関わっていたら、そんな事はないだろうけど、20世紀前半のアメリカはある意味世界一の平和国家だから、さもありなんかもしれない。

 それに対して、気づいたうちの貪狼司令が私を眼鏡越しに覗き込んできた。


「お嬢様は、戦争もしくは事変がありうると?」


「これから不景気になるのよ。しかも世界規模で。協調外交が難しくなるだろうから、外交と軍事の両方が分かる人が政府の中心にいないと頓珍漢な事するわよ」


「なるほど。お嬢様は、明治政府の体制をお望みなんですな」


「理想はね。まあ軍人とは言わないけど、鉄火場をくぐり抜けた人が何人か真ん中にいないと、理想と現実がどんどん離れて空中分解するでしょうね。田中さんのいない政友会内閣でも同じだろうけど」


 貪狼司令への答えに、お芳ちゃんが苦笑した。


「それは、明治の元勲に墓から出てきてもらわないと無理でしょ。陸海の大臣に期待するしかないんじゃない? ……と言っても、海軍の年寄りは全滅したところか。これ、お嬢言葉の無理ゲーってやつだ」


「それに、軍人が前に出過ぎても問題ね。とはいえ、こんな所で何を言っても仕方ないんだけど。あっ、そう言えば、倒れた田中さんの代役は?」


「犬養毅です」


「ハァ? 今、引き篭もっていたわよね?」


「田中義一が倒れたので、慌てて担ぎ出されました。なにせ、今回の問題に無関係な大物政治家は限られておりますから。

 また、陸軍からも働きかけがあったらしく、田中義一が抜けて同じく空席になった外務大臣代行に1日だけ入れて、そこから首相代行です。西園寺公も、問題に無関係な政党政治家という点を汲んだらしく、認めました」


「ウワッ、すごい事したわね。他に人いなかったの? 床次竹二郎は?」


「床次は、そもそも田中義一が首相なのを反対してました。それでも田中首相が外相をしたのも、本来は床次を外相にするつもりで、いつでも席を空けていたせいです。それを断り続けたのは床次なのに、田中首相が倒れてすぐの露骨な総理代行狙いを周りが嫌いました」


「まあ、それは自業自得ね。となると、他に人がいないのか」


 前世の知識より、転生してから色々裏事情を知ったのだけど、納得できてしまう流れに微妙な感情を抱いてしまう。


「はい。年齢と実績からだと高橋是清ですが、当人が年齢を理由に固辞しました。原敬はまだ欧州外遊中です」


「じゃあ、井上準之助あたりは?」


「こちらも空席となった外相代行の打診が行われましたが、断っています。元々、田中内閣とはソリが合わない人物ですからな。それに結局のところ、田中内閣は良くも悪くも田中義一の内閣だったので、首相を代行できる者がおりません」


「だからって犬養毅かぁ」


(皮肉だなぁ。私の前世で攻撃した側じゃん。……ある意味、因果が巡っているのね)


「問題ありますか?」


「ありありでしょ。外様の犬養毅で、政友会は次の選挙勝てると思う?」


「腐敗で人気が落ちすぎています。まず、無理でしょう。とは言え、他の誰でも無理でしょうな。床次は腰が定まらない。井上はまともな選挙経験がない。原敬を始めとして他は年寄り過ぎるか、汚職まみれか、小物ばかり。有能な者はまだ若すぎる」


「お嬢ならどうする?」


 お芳ちゃんが面白げに聞いてくる。試しているというより、単に知的ゲームをしたいだけな感じだ。


「私が政友会だったら? そうだなあ、田中義一さんと同じ手法を取るかな? 能力だけなら、宇垣一成さん辺りが良いけど」


「能力だけなら、ね」


「嫌われすぎでしょ、あの人」


 今回も、二人して辛辣なご返答。

 こうして見返すと、今の日本の政界は何かが足りない人が多い。それだけ政治家、特にこの当時の日本のトップに立つのが難しい事を物語っているんだろうけど、もう少し何とかならないかと溜息の一つもつきたくなる。


「ホラ、溜息なんか付かない。どうすんの?」


「どちらを推すかだけでも決断しないといけませんな」


「決めるのは、一族としてはお父様よ。グループとしては善吉大叔父様。私は見てるだけ」


 言い切ってやったのに、貪狼司令とお芳ちゃんが顔を見合わせた上で揃って苦笑されてしまった。

 

 

________________


床次竹二郎 (とこなみ たけじろう):

1920年代、30年代の有力政治家の一人。

この世界では政友会の分裂がないので、恐らく政友会の中心人物の一人として過ごす筈。

史実では政友会が分裂した影響もあってか腰の定まらない政治家で、永遠の万年首相候補と呼ばれた。



井上準之助 (いのうえ じゅんのすけ):

日銀総裁から政治家に転身。一時は「第二の渋沢」と呼ばれた。

血盟団事件での暗殺が有名で、立憲民政党と思われがちだが、特に政党は関係ないタイプの政治家。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る