156 「鳳パーティーの袖にて」

「俺相手にそんな畏まる必要はないぞ。いつも通りの玲子で良い」


「なんだ、勝次郎くんか。一人?」


 聞きなれた声に、こちらも鳳の他の子はいないのかと思い気軽に返す。

 けど、それも一瞬だった。


「ではないよ。失礼するよ、鳳玲子さん」


「っ! 失礼しました小弥太様!」


「ああ、良い良い。今日は息子の友達を訪ねた父親だよ」


 思わず畏まって最敬礼状態になったけど、勝次郎くんのお父さんだ。

 三菱財閥の四代目総帥の小弥太さんで、財閥創始者の弟の息子に当たる。だから一族の主筋とは言い難いけど、二代目と四代目の財閥総帥を出している家柄だ。

 そして私の前世の歴女知識、ゲーム設定として知っているのだけれども、この四代目の人はお子さんに恵まれなかった。


 けどゲームの世界、そしてこの世界では、勝次郎くんという子供を授かっている。ただし遅く生まれた子供で、年はずいぶん離れていた。

 それに勝次郎くんは名前から分かる通り次男だけど、長男は生まれて数ヶ月で病没しているので、小弥太さんにとっては唯一の後継者だ。加えて、財閥一族の次男家の後継者の一番若手が勝次郎くんになる。


 ちなみに、母が島津家の分家筋で、曽祖父は後藤象二郎だ。

 だから勝次郎くんは、色んなところから色んな血を引き継いだ、とんでもないサラブレッド、所謂青い血の持ち主になる。

 私は、自分で言ってはなんだけど、特に目立つところのない公家や武士の血を引き継いでいる程度なので、鳳自身が伯爵家という以外で正直なところ釣り合う筈もない。


 一方で勝次郎くんは、一族内での次の次くらいの財閥総帥争いに勝ちたいと考えて行動している。だからゲーム上では、位に箔が付く上に一応は財閥(鳳凰院公爵家)との婚姻を考えた。


 この世界でも、私の体の主が三度体験した時間の中では、似たようなものだっただろう。伯爵家でも、それなりに価値はある。しかも鳳は、既に曾お爺様など数名の有力者が没している筈だし、財閥は壊滅状態の筈だ。取り込むのは容易い。


 けど今は、鳳一族の状況が全然違う。

 鳳一族に、関東大震災以後の欠落はない。玄二叔父さんがその身代わりのようになってしまったけど、死んだわけではないし子供も居るから大きなダメージにはならない。


 しかも鳳財閥、鳳一族は、株で大成功して鈴木商店を飲み込んだ。今や3大財閥に匹敵する資本力、財力を持ち、3大財閥を凌駕する勢いで急速に拡大中だ。

 そして何より、私の今の手持ちが20億ドルという事を知っているので、他の財閥、華族、政治家などに出し抜かれでもしたら一大事と考えているんだろう。


 一方の鳳グループも、一人で日本中の財閥を敵としては勝ち目はゼロだ。政治力にも欠けている。だから味方とは言わないまでも、同じ方向を向いてくれる財閥が欲しい。けど、パートナーになりうる財閥は限られている。

 三井や住友など江戸時代から続く財閥は、相性や方向性からも無理だ。他の大財閥で、今の鳳を完全に凌駕するのは唯一三菱くらい。


 今や鳳は、三井、三菱、住友、安田と並ぶ「五大財閥」の一角だ。次にくる浅野、川崎、古河、大倉、そして1930年代に急拡大する日産よりも巨体だ。

 何より、産油量ではダントツの一位になったので、『石油の鳳』の名も定着していた。


 そんな感じの情勢下で、三菱財閥総帥が「父親」として私に会いに来た。

 ただ、曾お爺様、お父様な祖父、善吉大叔父さんとは、何度も会っている。私も他の人と一緒に挨拶くらいはしている。


 何と言っても、小弥太さんのお家は1929年に鳳の本邸のすぐ近くの鳥居坂に越して来ている。場所的には、互いの屋敷の大きさを考えなければ、大きな道を挟んだ斜め向かいくらいだ。

 山崎家内だと分家筋になるというのもあるだろうけど、財閥総帥なので敢えて屋敷を構えたと見るべきなんだろう。

 けど、よりにもよって鳳が隆盛し始めてから近くに屋敷を構えるとか、肝の座り具合が桁外れだ。



「さてと、一度化けの皮を被らせてもらうよ。父親としてではなく、財閥総帥、一族代表として、お詫びとお礼を言わないといけないからね」


 一通り社交辞令なやり取りが終わると、小弥太さんがそう切り出した。そして私にお詫びとお礼と言われれば、すぐに察しはつく。


「再三再四忠告を受けていながら、話半分に聞き流していた。だが最低限の忠告を聞き入れたお陰で、一族の方は良いところで売り抜ける事が出来たよ」


「俺は最初から言ったぞ。この件では玲子が絶対に正しいと」


「ああ、その通りだったな。その通り過ぎて、もうぐうの音も出ないよ」


「それで、財閥もしくは銀行の方は?」


「最初の大暴落には巻き込まれた。だが、26年、27年に主に投資を進めていたお陰と、今度は忠告通りこの冬に一度持ち直すという言葉を信じて売り抜ける事に成功した。お陰で、結果的には大儲けだ」


「そうでしたか。念のため、勝次郎くんに伝えておいて良かったです」


「ああ、この件は生涯感謝を忘れないと誓おう」


 そう言うと勝次郎くんが、90度な感じで頭を下げる。

 この誠実さは、ゲーム上でもたまにあるシーンだけど、こんなところで見るとは思わなかった。

 ただし小弥太さんは、半目モードで息子さんを見下ろす。


「勝次郎、何を偉そうに言っている。うちがどれだけ助かったか、分かっているのか」


「分かっている。でなければ、父上をここで玲子に引き合わせたりはしない」


「構いませんよ。勝次郎くんがいつも通りでないと、私の方が調子が狂いますから」


「そう言って貰えると、助かるより嬉しいね。何しろこの通りのドラ息子だから」


 私の言葉に勝次郎くんが我が意を得たりと頷き、小弥太さんは「このドラ息子はしょーがねーなー」的な父親の表情になる。

 そして会話の通り、三菱が鳳の後追いで相応の額をアメリカのダウ・インデックスに突っ込んでいるのを知っていたので、勝次郎くんにだけ何度かの忠告と最後の売り抜けるチャンスを教えていた。

 また他のルートを使い、三菱には一族と財閥双方のルートに忠告を何度か行っていた。


 そして今のダウ・インデックスは、春に一度300ドル近くまで値を戻した後またすぐに下落。さらにまた少し戻って、現状では最大で250ドル近くまで戻った。

 けどそのすぐ先には、次の奈落が待っている。その後も小さな盛り返しもあるけど、必ずその先に奈落がある。そして奈落が続く。

 その事を『知っている』のは、私と鳳の一部だけだ。その情報の上澄みの一部を、三菱と勝次郎くんに伝えた事になる。


 これは私個人の主に勝次郎くんへの好意ではあるのだけれど、一方では共犯者を増やしておくという計算の上でもある。

 そして誰しも、大負けするより勝つ方が良いに決まっている。

 だからだろう、一通り話した小弥太さんはここで私人としての笑顔を収める。


「ところで、うちのドラ息子に教えたような事は、他に誰か話したりしているのだろうか?」


「それは父親としてお聞きになられているんですか?」


 言外に「鳳の巫女」に聞いてんじゃないのかと含めたつもりだが、分かっていないわけないだろう。

 だから小弥太さんの表情が変わったりはしない。そのまま、静かに返答が戻ってくる。


「うん。玲子さんが、ドラ息子にだけ教えたというのなら、頷くか首を横に振るだけで良いから答えて欲しい」


 言葉と共に真剣な眼差しも注いでくる。

 私もそれに向かい合うが、小弥太さんの目は冷静ではあるけれど確かに父親のものに思えた。

 だから私は、静かに一度首を縦に振る。


「そうか。……で、次はあるのかい?」


 小弥太さんの雰囲気が、すぐに砕けたものに戻る。

 もちろん、別の真意にも気づいていないわけないだろうけど、それでも笑顔を向けてくれた価値は私にとって大きい。

 そして私としては、少なくともゲーム主人公が現れるまで勝次郎くんを敵とする気は無い。


「勝次郎くんが私の婿養子になってくれるなら、次もその次もあるかもしれませんわね」


 なるべく茶目っ気を含めた声と表情で返した。

 そして予想どおり、勝次郎くんが吠える。


「なっ! 玲子を嫁に取るのはこの俺だぞ! 逆はない! 絶対イデッ!」


 言葉の最後に「ゴツッ!」という音と共に、小弥太さんのゲンコツが勝次郎くんの頭に落ちる。昭和の親父はこうじゃないといけないと思わせる見事さだ。

 同時に、思わず「プッ」と吹き出すほど見事な音だった。喰らった時の勝次郎くんの表情もたまらない。


「馬鹿者! 本当に済まない玲子さん。うちではもう少し大人しいんだが、玲子さんの前だとはしゃいでしまうらしい」


「構いませんよ。私も言い返す機会を狙っていたので、スッとしました」


「それは何よりだ。勝次郎、謝りなさい。公人としての玲子さんは、お前なんかよりずっと上の立場だという事は分かっているだろ」


「……それは」


 上目遣いに小弥太を見る勝次郎くんは、珍しく言葉に窮した珍しいショットだ。ゲームにもこんな表情はないので、すごく貴重だ。


「今日は構いませんよ。勝次郎くんがゲンコツ貰うのも見れましたし」


「そうか。なんなら、もう一発くらいお見せしておこうか?」


 お父さん、実にいい笑顔だ。そしてその笑顔は勝次郎くんに似ている。

 一方で笑顔になれないのは勝次郎くんだ。


「なっ! 父上、それは理不尽だ。それに俺は、友人、そう友人としてしか玲子とは接していない。だから立場とかは、持ち込みたくないんだ」


「嫁などと言って戯言を言うか!」


 言うと同時に再び「ゴツッ!」っと豪快な音。目に火花が飛び散っただろう勝次郎くんの目に、少し涙が浮かぶほどの見事な一撃だ。

 そしてそんな親子の情景を私に見せてくれる事こそが、小弥太さんの気持ちや誠意なのだと深く感じさせられる。


「玲子、酷いぞ! そんなに笑うな!」


「わ、笑いもするわよ。い、いつもと全然違うんだから! あーっ、可笑しい!」


 頭を自分で撫でる半泣きな勝次郎くんを見ていると、さらに笑いがこみ上げてきた。小弥太さんも笑っている。そんな二人を見て、勝次郎くんも半ばヤケで笑い出した。

 遠巻きに控えているシズなどのメイド達も、口元を押さえている人がいる。


 たまには、こんな話し合いがあっても良いだろう。



________________


岩崎家 (ゲーム世界上、主人公の脳内変換では山崎家):

岩崎小弥太は実在の人物。お子さんに恵まれず養子を取っている。

あと岩崎家だが、男子の名前に「弥」を徐々に入れなくなっているので、本作の勝次郎はそれにならった。

また勝太郎という人が、ほぼ同時期に実在している。

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