132 「台風のいない日本」


■  132 「台風のいない日本」 


「知っているからこそ驚かされるよな」


 11月初旬のある日、大きな洋館の隣にある日本建築の離れの一室で、和服姿の老人と壮年の男性二人が、何とも言えない表情で言葉を交わす。

 老人は鳳蒼一郎、壮年の男性は鳳麒一郎。どちらも鳳伯爵家の長子であり、老人は隠居で壮年の男性は現当主になる。

 ただ蒼一郎には、老いの影が日に日に色濃くなっていた。

 ペリー来航の一年前の1852年生まれで、今年77歳。昭和初期なら十分以上に老人だ。それに、4年前の夏に風邪を拗らせてからは、体力の衰えが大きくなっていた。

 だから老人の姿は、和服といっても布団から起き上がって上から一枚羽織っていると言う状態だ。

 しかしその目は、まだ知性と覇気を失っていなかった。


「全くだな。それで時田は何と?」


「玲子は今腑抜けているらしい。夢で見たとは言え、相当こたえているそうだ」


「まだ10にもならない子供が背伸びをしているんだ、当たり前だな。では、すぐに帰国するのか?」


「いや、玲子は既に指示を出していて、時田と新しく雇ったアメリカ人は先に北太平洋航路で日本に向かわせるが、残りはヨーロッパ周りでのんびり帰ってくるそうだ。傷心旅行らしい」


「玲子らしいな。まあ、色々と見てくる方があれの為にもなるだろう」


「色々なあ。だからと言って、油田を掘り当てる事もないだろ。善吉が大慌てになっていたからな」


 そう言って互いに苦笑するが、それは当人達も同じだった。

 二人も、株の儲けと合わせて日本の中枢にいる人達から、色々な話や実質的なお叱りを受けていた。そしてこれからしばらくも、続く予定だ。

 しかし二人とも、それを言葉にしたりはしない。淡々と話を続ける。


「相当な規模らしいな」


「権利譲渡だけで数千万ドル。その後の利益を含めたら、さらに倍。円換算で、軽く1億円を超えるかもしれないらしい。株の儲けと合わせて、もう日本であいつを止められる奴はいないぞ」


「それでよかろう。鳳は、『夢見の巫女』である玲子の背中に乗ると決めて走り出した。あとは栄光か奈落かを選ぶなら、栄光へと突き進むしかない。下手に止めるより、玲子を走らせるより他ないだろ。最低限の手綱は、お前とあいつの周りの者が取ればいい」


「まあ、そうだけどね」


 諦め半分な声色で相槌をうって、膳の上の盃の中身を一気に煽る。酒は麒一郎の膳にしかなく、蒼一郎の横の膳にはお茶が置かれているのみだ。

 そして蒼一郎も、つられるように湯飲みを少し口につける。


「麒一郎、私はそう長くない。あとは頼むぞ」


「……そう言わず、出来れば俺が軍を退役するまで呑気に生きてくれよ。俺が60まで、あと4年半だ」


「こればかりは天命だが、ここ数年の命は玲子にもらったようなものだ。もう十分役目は果たしたと思うんだが?」


「まあ一族としてはそうだろうけど。今のは俺の願望だよ。麒一に先に逝かれたから、寂しいんだよ。龍次郎も一緒に逝ったし、虎三郎とは今ひとつ相性悪いし、玄二も綾子も、まあ、あれだからな」


 そう零す麒一郎の表情は変わらないが、声には陰りがある。


「紅家と、つながりを深めるか?」


「多少はね。でも、俺の代じゃあ深くは無理だろ。紅龍みたいな傍若無人な奴は男にはいないし、鳳の蒼と紅のわだかまりを解消するのは紅龍の代になるだろ」


「玲子は妙に紅龍に懐いているしな」


「変人同士だからだろ。鳳は変人ぞろいだが、あの二人は別格だ」


「違いない。では、変人の未来に乾杯だ」


「……俺も変人だけどな」


 そう言って盃と湯呑みを「チン」と鳴り合わせた。



 ・

 ・

 ・



「今年は静かだな」


「玲子がいないからな」


「お土産はどんどん送ってくれるけどねー」


「お手紙だと、今頃ローマって書いていたわ」


 龍一、玄太郎、虎士郎、瑤子の順に、巨大なクリスマスツリーを前に口を開く。

 全員鳳一族の子供で、曽祖父が同じなので直系に近い。ただし直系長子は、彼らの従姉妹の玲子一人だけ。まだその事を強く意識する年でもないので、ただ彼女がいない事を話題にしている。

 彼らの前の巨大なクリスマスツリーは鳳ホテルの前に鎮座しており、話題にしている玲子が去年設置させたのを始まりとしている。

 そして伝統や恒例にするべく今年も設置されたのだが、当の本人は海外に行ってしまっていた。


「次のお土産なにかしら」


「西海岸土産のアニメみたいなのだったら良いのに」


「面白かったよねー」


「ねー」


 虎士郎と瑤子が意気投合して話題を次へと移す。そして二人が話す通り、玲子が海外に出てからと言うもの、頻繁に現地の土産物が一ヶ月程度のタイムラグで送られてくる。

 

「あれは良かったけど、造形の悪い自由の女神像とかインディアン?のお守りとか、全体的にビミョーな奴多くないか?」


「英国製の万年筆は嬉しかったけど、確かにだいたい変かもな」


「私シャネルって人の服もらったけど、すっごく可愛かったよ」


「僕には、ジャズとか最新の音楽のレコードと楽譜一杯送ってくれた」


「うわっ! なんで皆んなそんな良いものなんだ?」


 龍一が裏切られたと言った表情を3人に送るが、妹の瑤子は半目で兄を見返す。


「そりゃあ、お兄ちゃんは趣味無さすぎだからよ」


「そ、そんなぁ。瑤子、俺、運動とか頑張ってるだろ?」


 大抵は繕っているが、最近妹の口撃が強まり始めているので、狼狽すると龍一は脆かった。

 しかも玄太郎、虎士郎が、面白がって追い討ちをかける。


「うん。けど、それじゃあお土産は選べないよ」


「なるほど。だから龍一向けは、微妙なのが多いのか」


「玲子ちゃんは、色々考えてくれるもんね」


「そうか? 適当な時は、すごく適当だぞ」


「そーかもねー」


 玄太郎が一瞬真顔に戻って考え込む。こうした詰めの甘さが玄太郎らしいと虎士郎は思うが、あえて何も言わないのが虎士郎だ。

 そして詰めが甘いので、龍一が精神的に復活してくる。精神的に叩かれ強いのは、龍一の特徴だ。

 

「だろ。きっと俺をからかってるんだ。そうに決まっている!」


「そうかもねー。玲子ちゃんのお友達と学校のみんなには、ちゃんとしたもの送ってくれてるみたいだよ」


「学校? あいつ全員に土産を送ってるのか?」


「うん。ちょっとしたものだけど、あの気配りは見習わないとなーって思っちゃうくらい」


 女子的に思うところがあるのか、瑤子の瞳は口調とは裏腹に真剣だ。


「土産といえば、勝次郎にも送っているぞ。凄く喜んでいた」


「えっ? 知らなかった。じゃあ、微妙なの俺だけなのか」


 玄太郎にとってはついでと言った言葉だったが、それを聞いた龍一がさらに落ち込んだ。そろそろ自分に対して冗談では無いのかと思い始めていたのだ。

 それを見た周りが、どうしようと言う視線を交わす。


「そ、それより龍一、来年春から側近は持つのか?」


 玄太郎が代表して話題を強引にねじ曲げる。

 それにギギーっと言う感じで首を曲げた龍一だが、完全には心の方向転換はできていない表情だ。


「いや、俺は持たないよ。何年かしたら陸軍幼年学校に入るから。玄太郎は持つのか?」


「父さんが五月蠅くてな。だから鳳の学校が選抜した者を春までに面接して、2人ほど住み込ませる予定だ」


「虎士郎もか?」


「ううん。僕はいらないって言って、こないだ喧嘩になったよ。友達は沢山欲しいけどね」


「俺の場合は父上も持ってないし、今は玲子だけで良いんじゃあ? そう言えば瑤子は、玲子の側近と仲よかったよな」


「え、ああ、うん。普通にお友達よ」


 瑤子は別のことに気を取られていたらしく、突然振られて返答がどこか曖昧だ。だから龍一はさらに言葉を重ねた。


「でも、男がいるだろ。確か涼宮とかって奴」


「輝男くんね。全然喋らないし反応が薄いから、あんまりよく知らないのよね」


「そうなのか。なら、まあ良いか。他は?」


 妹の側に男がいるのが気になったのだろうが、すぐに警戒を解くあたりは龍一もまだまだ子供だった。


「みっちゃんは、ハキハキした礼儀正しくて元気な子ね。お芳ちゃんは、髪も肌も真っ白で目が淡い色で、すっごく綺麗。玲子ちゃんは幻想的って褒めてた」


「アルビノって奴か、珍しいな」


「うん。それに凄く頭が良いの」


「玲子よりもか?」


「多分。話し方も大人っぽいし、玲子ちゃんも遠慮なく話してるから、相当だと思う」


 玄太郎に答える瑤子のこうした観察眼はかなり鋭い。見た目はフワフワした可愛いイメージだが、こう言ったところは華族らしい。真の上流階級の者は、一目で相手のプロファイリングが出来るよう鍛えられるからだ。

 

「それに来年の春からは、その3人を中心にもっと増えるらしいよ」


「だろうな。玲子には護衛を付けないとだが、学校だと大人は連れ添えないからな」


「うん。そんな事言ってた。あと、その3人は春から鳳のお屋敷に一緒に住むんだって」


「瑤子ちゃん、よく知ってるね」


「虎士郎くんが聞いてなさすぎなだけ」


「アハハ、そうかも。けど三人が住むなら、僕も鳳のお屋敷に住もうかなあ」


「えっ? それは父さんが許さないだろ」


 虎士郎の言葉に玄太郎が少し慌てるが、虎士郎は動じる事もなくニコリと綺麗な笑みを浮かべる。


「ご隠居様かお爺様にお願いすれば大丈夫だよ。父さんは、絶対に頭が上がらないし」


 天使な容姿だが、たまにこうして小悪魔と言うか策士な面を見せるが、それは虎士郎がどうしても必要と思った時だけなので、住む場所を変えたいという考えは、かなり本気だ。

 そしてそれを、兄の玄太郎も感じ取っていた。

 そして小さく溜息をつく。


「まあ、好きにしろ。でも僕を父さんとの喧嘩に巻き込むなよ」


「えーっ、応援してくれないの?」


「家には僕が残るって言うから、それでいいだろ」


「うん。流石お兄ちゃん」


 ややあざとい虎士郎の上げて落としてに対して、玄太郎が少しジト目になって虎士郎へ視線を返す。


「虎士郎、お前そう言う時だけ僕を持ち上げるよな」


「そうかな? そう言うのは玲子ちゃんの役目だからだよ、きっと」


「あ、それ言えてる。あいつ、たまにわざとらしいんだよな」


「女の子には色々あるから、詮索したらダメなのよお兄ちゃん」


「そ、そうなのか?」


「そうよ。それに玲子ちゃんに色々言われて、お兄ちゃん嬉しいくせに」


 妹の右から左からの攻撃に龍一はタジタジだ。

 シスターコンプレックスな上に精神的にも下位に置かれていると言うのは、かなり問題では無いかと他2名が静かに視線を送っているのにも気づいていない。


「そ、そんな事はないぞ!」


「龍一、そうだって言っているようなもんだぞ」


「玄太郎だって似たようなもんだろ!」


「なっ! そ、そう見えるか?」


「見えるよ。僕も玲子ちゃん大好きだよ。あ、瑤子ちゃんもね」


「はいはい。私も虎士郎くんは好きよ。それに、玲子ちゃんのそう言うのって、みんなが好きなのと、ずっと仲良くできたらなあって思ってるからだと思うの。私」


「まあ、それは俺も同じだ」


「結束の強さは、鳳の財産だからな」


「そう言う面倒臭いの抜きで、僕は玲子ちゃんに賛成」


「じゃあ、この話はこれまで。寒いからそろそろ中に入りましょう」


 その言葉を最後に、静かなクリスマスを祝うべく子供達はホテル内へと消えていった。

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