068 「天才との対決(1)」
7月末頃。
そろそろアムステルダムオリンピックが始まるという頃、私は一人の人物を鳳ホテルの客室最上階、要するにVIPルームに招待していた。ここより上は、帝都中心部を一望できる大人気の展望レストランだ。
何故そんな場所かと言えば、鳳本邸に呼ぶのが憚(はばか)られたからだ。
ご招待はお父様な祖父にしてもらったので、お父様が招いた事になっている。けど、お父様な祖父にお願いして私も同席する。そうしないといけない人を呼んだからだ。
その人はこの5月から7月にかけて中耳炎で入院していて、それが癒えたばかりの病み上がりだが、この機を逃すと以後長期間満州に行ってしまう。
そしてそこで歴史を動かしてしまう人だ。
「どうする? 話は一通り聞いたし、俺一人で構わないぞ」
「いえ、私が話しますので、お父様はむしろ立会人の立場をお願いできますか」
「それは構わんが。せめて龍也がいれば良かったんだがな」
「お兄様が?」
「ああ。龍也の総力戦論にあいつが惹かれていて、親交を持っていたと話していた。で、龍也でも、あいつの底は見えなかったそうだ。強敵だぞ」
(えーっ。お兄様でも底が見えないとか、どんだけよ。まあ、ネタも武器も用意したし、なんとかなるでしょう)
「大丈夫です。切り札もありますから」
「まあ、これだけ菓子を積み上げておけば、あいつも満足するだろう」
来客を待つ二人の前には、有名店から取り寄せたり、このホテルで作らせた様々なお菓子がテーブルに山盛りで載せられている。中には日本では珍しい洋菓子もある。
勿論和菓子も手抜かりなく、とらやの羊羹などライナップは十分だ。
そして二人してスイーツの山を眺めていると、来客を告げるシズの声がした。「お客様がお越しです」と。
そうして音もなく扉が開かれると、シズを押しのけんばかりの勢いで、ズンズンと一人の男性が勢いよく入ってきた。
明治の書生のような和洋折衷な格好だが、もう40近いオッサンだ。
「鳳閣下。お呼びにより、石原莞爾 罷(まか)り越しました。珍しい菓子を食せるとの事、大変楽しみにしております」
そう言いながら、視線の最後は私に固定される。
まさか本気で菓子だけを食べに来たのではないだろうけど、私の存在は予想外だっただろう。
(まずは天災、もとい天才に奇襲成功ね)
「鳳玲子と申します。常日頃お父様がお世話になっております。本日はそのお礼をと考え、こうしてお呼びだてさせて頂きました」
「いや、こちらこそ厚かましく罷り越し、恐縮の極みです。しかし、意外ですな。まさか鳳閣下ではなく、伯爵令嬢が俺を呼ばれるとは、さすがに一本取られました。それで閣下、本日はどのような趣向で?」
奇襲成功かと思ったが、そこまで動揺は見られない。むしろ面白がるように私とお父様な祖父を交互に見る。
「とりあえず、3人で菓子を楽しもう。うまい菓子を食うのに、難しい話もないだろ」
「全くですな。流石は鳳閣下」
お父様な祖父の言葉に石原莞爾が破顔する。一目見て分かるが、独特のカリスマ性を感じる。同時に、これは好き嫌いの分かれるタイプだとも強く感じた。
けど、お父様もその声から楽しんでいる事が伺えるので、二人の関係は良好なのだろう。
「お父様と石原様は親しいと伺っておりますが、本当なのですね」
「玲子、俺は軍でそんなに嫌われてないぞ。単に昼行灯なだけだ」
「ご自分で昼行灯はないでしょう。伯爵令嬢、俺と鳳閣下は杓子定規な連中から、同じく嫌われておりましてな。要するに、同志の連帯というやつだ」
「そうなのですね。では、遠慮なくお召し上がりください。お父様から石原様の好みをお聞きして、選ばせて頂きました」
「それは有難い。それに見た事ない洋菓子も沢山ありますな。では早速!」
そう言って、両手で掴む勢いでお菓子を食べ始める。
食べっぷりは気持ちいくらいだけど、ちょっと雑すぎて可哀想なお菓子もある。見た目を愛でたりするのもスイーツの楽しみなのに、と女子的に思ってしまう。
「うん、うまい。これもいけるな!」
私の心など全く知らず、喜色満面のおっさんがスイーツをむさぼり食っている。
(まさか、おっさんとスイーツパーティーする事になるとはね。しかもあの石原莞爾と)
そうは思いつつも、魂と体の双方がスイーツを求めるので、私も負けじと手を伸ばし口を動かす。これがあるので、今晩の事は考えなくても良いという許可もシズからもらっている。
だから後顧の憂いなしだ。
そして小一時間後。3人のスイーツパーティーはひと段落し、お茶の時間となる。お父様な祖父は少し酒を飲んでいるけど、石原莞爾はシズの入れた紅茶に砂糖を山盛り入れて飲んでいる。
そしてその手から、「チンっ」と小さく音を鳴らしてティーカップがソーサーに置かれる。
「さて、心も胃袋も大いに満足させていただきました。感謝の言葉もありません」
「何、退院祝いのようなものだ」
「中耳炎とはいえ、まあ厄介ですからな。ですが、鳳の天才が発明したという薬に私も厄介になりました。誠に有り難く思っております」
(そうか。中耳炎でも抗生剤使うんだ)
考えてみれば、紅龍先生に作ってもらった薬は、一体どれだけの人に変化を与えたんだろうか。
もうそれだけで歴史が変わりまくっている筈だけど、意外に私が知るほどの歴史の変化は見られない。恐らく今後、色々と出て来るのだろう。
そして今日は、薬以外での歴史の書き換えへの挑戦が目的だった。
「今日呼んだのは、菓子を用意した玲子の方だ。俺は付き添いの保護者で、基本口出しはしないよ。二人で存分に話し合ってくれ」
私がぼんやりと別の事を思っていると、お父様な祖父が言葉の最後に立ち上がり、横に1脚あるソファーへと席を移す。
そうすると、机を挟んで対面する長いソファーに私と石原莞爾が向かい合う形になる。
目の前の半ばハゲたようなオッサンの顔には、終始面白がるような表情が浮かんでいる。
(そういえば、この人も私を最初から子供扱いしてないよね)
そう思ったので、飾らずに話すことにした。
「今日お呼びしたのは他でもありません、石原莞爾様あなたにお願いがあるからです」
「鳳の伯爵令嬢の頼みだ。出来る限り聞き届けましょう。それで?」
「聞いてくださるのなら、秋にも赴任される満州の石原様のもとに、飛行機便で毎週お菓子を届けさせて頂きます」
「そりゃ有難い。それにお菓子の為に飛行機を飛ばすとは豪気で良い。しかし、鳳といえどもお菓子一つにかける金額としては小さくないでしょう。何をせよと?」
まだ次の任地は決まっていないのに、秋に満州と言った事がスルーされた。当然だけど、あえてスルーしてきたんだろう。多分だが、カードを見せろと言ってきているのだ。
だから石原莞爾の言葉に答える前に、ごく小さく深呼吸して息を整える。
そうしないと話せそうになかった。
「単刀直入に申し上げます。石原様、歴史を動かすのをお止め頂けませんか? もしそうして頂けるのなら、お菓子以外に鳳は出来る限り石原様に便宜を計らせて頂きます」
一瞬意表を突かれたような表情をするが、すぐに興味深げな表情に戻る。いや、先ほどより口元のつり上り具合が上がっている。
面白がっているんだ。この天才は。
(私の言いたいことも理解してるんだろうなあ)
そう思いつつ答えを待っていると、少し考えるそぶりを見せてから口を開いた。
「歴史を動かすとは、まるで予言ですな。つまり俺は満州で何か歴史を動かすような事を仕出かすか、もしくは大きな事件に遭遇するといったところか?」
「あなたが動かすんです。他の同志の方々と一緒に」
はぐらかされそうなので、ここが勝負と一気に畳み掛けた。
けど、石原莞爾の笑みは崩れない。
「同志ですか? 鳳閣下も龍也君も関わってない筈なんだがなあ。あ、いや、永田さんが龍也君を可愛がっていたか」
「だそうですよ、お父様。龍也叔父様から何か聞いておられますか?」
「龍也が永田君らの二葉会に参加している程度だな。あいつは、こいつ並みに頭がキレるくせに人が良いから、永田や東条にこき使われてたぞ」
お父様な祖父が、ニヤリと笑みで言葉を締める。
そうすると石原莞爾の顔が露骨に歪んだが、それも一瞬だった。
(この人と東条英機とじゃあ、性格が水と油よねえ。お兄様とも反発しそう)
歴女としては興味深い人間関係だが、余裕ぶっている場合じゃない。何しろ目の前には、ある意味日本で一番危険な男がいるのだ。
そしてその危険な男が反転攻勢を試みてきた。
「まあ、言葉遊びは止めましょう。そういうのは趣味じゃない。それで、鳳財閥いや鳳一族、それとも鳳の巫女様は、俺が何を仕出かすとお告げを頂いたのですかな?」
石原莞爾の言葉に、すぐにお父様な祖父麒一郎に視線を向けると、軽く肩をすくめる。
『鳳の巫女』の話は、ごく一部だが既に噂として存在している。天才石原莞爾が知っていても不思議はないという事だ。
(だったら、まだ戦える)
ニヤリと、なるべく不敵な笑みを浮かべてから私は告げた。
「石油を掘り当てますのよ」
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石原 莞爾 (いしわら かんじ)
満州事変の人。頭のキレすぎる人。先の見えすぎる人。辻や服部にも崇拝される人。
そして自分の行動に足元を掬われた人。天才は足元が疎かという典型例かもしれない。
それとも組織人には向いていないから、失脚したのかもしれない。ついでに、奇人変人。
なお、史実でも同じ時期に中耳炎で入院。そして10/10に関東軍主任参謀就任する。
めっちゃ甘いもの好きらしいが、頭が糖分を求めていたんだろう。
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