第85話 轍と鑪

 MECを完全無力化してから二ヶ月が経ち、鉄の心臓を持つ人間の主導権を握っていた詩郎が死に、宿主を新たに生み出す舟矢の力はこちらの手中にある。

 もうメンバーが動くことはないだろう。仮に俺を目の敵にしたとしても、特事課が奴らに勝利したという事実は揺るがない。

 掛かってきたとしてもたかが残党だ。俺は信念のない者の刃なんかに殺されるつもりはさらさらない。


 今はパトロール前の昼食に、最近行けてなかった喫茶店に来ている。もっぱら昼前の腹ごなしを利用して肉屋の惣菜ラインナップを開拓することに勤しんでいたためだ。

 今日は宗谷兄妹はいない。俺と四季、尊だけだ。そういえば尊と来るのは二度目か三度目だったっけ。

 いつも食べていたナポリタンを勧めたら、喜んで注文してくれた。奇しくも尊に俺のシナモン好きがバレた日と、同じ座席だ。

 アップルパイを食ってたらどこがいいのか聞かれたので、答えただけなのに。どうして弱味でも握ったような気になっているんだろう。


「ねぇ、睦月君。」


「...なんだ。」


「睦月君って、特事課辞める気ある?」


「あると思うか?俺はまだ木知屋あの野郎をブッ飛ばせてない。少なくともそれまでは辞めるわけにはいかねぇ。」


「蓮君から聞いたんだ。なんか、偉い人たち全員殺されちゃったんでしょ...?」

「課の人も次々死んでるって...私、心配で言ってるんだよ。」


 こんな時になんだ。本心から俺のことを心配するんだったら、俺をつけ回すような真似を今すぐやめろと言いたいね。

 いつその有り余る能力で何をしでかすかわかったモンじゃないような奴に心配されるほど、俺は落ちぶれちゃいない。


「何と言われようが辞めねえ。これから楽しく食うって時に、湿っぽい話すんなよな...」


「...ごめん。」


 やがて注文の品が運ばれてくる。うん、この感じだ。ケチャップの酸味のある香りが鉄板で火を通すことによって引き立てられている。

 湯気立つ麺を具材と共にフォークで絡め取り、口へ運ぶ。もはやこの熱々さも親しい。次来る機会があれば他のも頼んでみようか。

 鉄板の端でうまくフォークをかわし続けるピーマンに難儀していると、俺のスマホに着信が入った。


 画面を見てみると、坂田からだった。このタイミングでかけてくるのは飛び込みのお使いか万が一の有事くらいのものだが。

 どうせまたバターを買い忘れただとか、ハンドソープの詰め替えとかだろう。俺は二人に断ってから席を立ち、出入口付近の窓際に立って着信に応答した。


「もしもし?どうした?」


『もしもし!?睦月くん、今どこ!?誰と一緒にいる!?』


「え...?いつもの喫茶店。四季と尊といる...なにかあったか?」


『いい...?落ち着いて聞いて...』


 坂田が語ったのは、四季についての情報。ずっとモヤモヤしていたらしく、橘には黙って全支部にアーカイブされている過去の在籍データを洗い直してみたのだという。

 単刀直入に告げられた結果は、非正規課員N-Rとなってからのことを除いて四季は特事課とは全くの無関係であったこと。

 四季の身内とおぼしき人物は特事課どころか刑事課にもいなかった。

 それは俺と最初に出会った時の、「父親が殉職した特事課員」という発言が嘘だということを示していた。


 奴は一体何を考えている。振り返り座っていた座席を見ると、四季は尊となにやら楽しそうに談笑していた。

 一気に謎が深まっていく。とにかくは、尊に四季を近づかせてはいけない。

 やはり奴は危険な存在だった。類いまれなる戦闘能力、不気味な出で立ちと雰囲気。人の良心につけこんでまんまと騙してくれやがって。


「....とりあえずわかった。二人を連れて今からなんとか帰る。待っててくれ。」


『わかった...急いでね。』


 通話を切り、動揺を表に出さないように足に力を入れるよう強く意識しながら歩く。それでいて自然に。わざと遠回り。

 気づかれないように早く店を出て、パトロールを切り上げる言い訳を考えないと。顔が見えない内はゆっくりと動けるが、席を離れ続けるのにも限界がある。


 座席同士を隔てる仕切りを抜けると、食べかけのサンドイッチをそのままにして頬杖をつきながら外の風景を眺めている四季が見えた。

 尊は未だに大盛りのナポリタンを完食できていない。なんとか話を繋がなければ。

 座席に座り、声が震えるのを抑えながら俺は即興で話題を振ろうとする。


「...ねぇ、睦月君。」


 先手を打たれてしまった。視線がこちらに向けられ、四季はその屈託のない微笑みが張り付いた顔をやや傾ける。

 次なる一言に緊張が高まり、思わず汗が滲んでしまう。


「私と尊ちゃん、どっちが睦月君のことを強く好きだと思う?」


「...は...?」


 予想だにしていなかった質問に面食らう。この質問の意図はなんだ、それを読み取るんだ。

 しかしそもそも答えがどこを探しても見つからない。俺が返答できずにいると、四季はおもむろに座席から立ち上がった。


「尊ちゃん。私と勝負しよっか。」


「なんの勝負だぁ...?でもうさみんには絶対負けないから!」


 四季は小さく笑うと、突然テーブルに設置されている呼び鈴を押した。甲高い音が店内に響き渡る。

 しかし店員の声がこちらに届くよりも先に右手に広がる窓ガラスがいきなり粉々に砕け散り、同時に張本人の影も中へ飛び込んでくる。

 突然の出来事に怯む俺の耳を、尊の叫び声が打つ。ガラスの飛沫が止み左を見ると、侵入者は既に尊の首に腕を回し捕縛していた。


 その正体は、忘れもしない。右腕を侵蝕する液体金属に置き換えられ、顔面の7割ほどが波打つ銀色のヒダに覆われた姿。

 ニヒルに歪められた左目だけが見えている。リベンジマッチの時は、唐突にやってきた。


「冷水...!!テメェッ!!」


「はーいストップゥ~!!少しでも動いたらこの子、刺身にしちゃうわよ。」


 心眼を抜こうとする俺の身動きを、為す術のない最悪な手段を持って止める冷水。離れようともがく尊をさらに腕が締め上げる。

 心が、なにか黒いものに取り込まれていくのを感じる。真っ直ぐな怒りで埋め尽くされる。

 だがダメだ。今"炯眼"を使ったら、尊ごと斬っちまうかもしれない。コントロールできる確証なんてどこにもないんだ。


「丁重に扱いやがれ...このクソッタレ!!」


 すると冷水は、うねる右腕から分かたれた無数の糸を尊の身体に伸ばし、蜘蛛のように簀巻きにしてしまった。

 それを引き渡された四季が、テーブルの上に土足で立つ。どこか悲しげな表情を浮かべて。


「ごめんね、嫌いになった?」


「...ああ。今すぐに尊を放さねぇとお前をブッ殺す...」


「尊ちゃん、勝負はここじゃやりづらいから、少し離れよっか。」

「私の正体、教えてあげる。もっと嫌われちゃうだろうからイヤなんだけど、"ファーザー"の命令だから仕方ないよね。」

「睦月君ならわかってくれるでしょ?」


 四季が尊を肩に担ぎ、右手を高々と掲げる。そしてすうっと息を吸い込み、「穿傀センケ」と一言口にした。

 すると、手の中の空間がわずかに歪み、一振の日本刀が現れる。その桜の花弁のような薄桃色の美しい刀身を目にした瞬間、いくつかの辻褄が合った。


 柴崎がオークションの調査任務に向かった際遭遇したという、ポンチョコートの女。その正体が目の前に現れた。

 間違いない。あの刀が情報にあったドレイク殺しのオブジェクト。

 追っていた対象が二人自らやってきた。さらに仇敵、そして片割れは今まさに俺の理性を踏みにじるような真似をしてやがる。こんなに殺意を掻き立てられる状況が他にあるだろうか。


「冷水さん、睦月君の相手してあげて。私は尊ちゃんと一対一で話すことがあるの。」

「睦月君、もし冷水さんに勝ったらマンション前の公園で待ってるから。来てね。」


 四季は窓のへりから飛び降り、尊の身体を抱えたままどこかへ走り去っていく。戦場と化した店内、俺は冷水と対峙する。

 だがこの能力は魔術によるもの。迷わず心眼を抜き腕を潰そうとしたその時、俺達の間の床に一本のバタフライナイフが突き立った。


 柱の陰になったところからゆっくりと出で来る人物。大袈裟に開いた間隔で手を叩きながら、細い目から滲み出る値踏みの眼差しをこちらに向けてくる男。

 革製コートの裏から取り出した大量のナイフを次々と投げつけていき、それを弾きながら回避する投擲のターゲットとなった冷水は、窓から店の外へと追いやられた。


 今日は一体なんなんだ。厄日か。心の底から嫌っている人物に三人も出会うなんて。

 この顔を見たらもう一度首をへし折ってやろうと思っていたが、冷水を攻撃したあたりどうも今回は事情が違うらしい。


「ひっさしぶりや~ん!こないなトコで会うとは、なんちゅう偶然やろうな!」


石動イスルギ...テメェどの面下げて...ッ!!」


「まあまあ落ち着きや。俺はそん刀狙うて来たワケやないで?オカルティックハンターの嗅覚が、俺をここに吸い寄せたんや!」

「見てたであの刀ァ!おもろいなぁ、呼び出し機能かいな!そんなん出先で忘れたかて一発やろ?ごっつ便利やん!」

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