第69話 フライドハンド

 翌朝。俺は両足に走る鋭い痛みによって目を覚ます。昨日バルコニーから飛び下りた時のが今になって効いてきたか。

 背中が寝汗でベトベトだ。今の季節は夏、このプレハブ....事務所には、エアコンがない。

 そのため毎年暑さを凌いでくれるのは一台しかない扇風機と、ローテーションで使っている二つの氷枕だ。


 何故か外から風が吹き込んでくる感覚がする。昨晩は確か窓は開けていなかったはずだ。

 ここは立地が手入れの行き届かない庭であるために虫がよく入ってくる。だから窓は換気以外で開けることはほとんどない。

 もっとも、俺の事務所が庭を占領しているせいで家族が手入れをそのまま俺に押し付けていったのだが。

 寝起きのぼやけた視界で辺りを見回してみると、すべての窓が開いている。玄関のドアまでもが。

 大方茜が寝ぼけたのか、暑さに屈したのかで開けたんだろう。


「茜...?どこ行った?」


「お~、起きたかショウゴ。」


 声が聞こえてきたのは、予想だにしない真下からだった。ベッドから下りると茜がその下から匍匐前進で出てくる。


「うぁッ!?お前、ちょっ!」


 頭から這い出てきた一糸纏わぬ姿の茜。情報整理をする前に寝てしまったのが裏目に出た、こいつは一般常識が欠けていたんだった。

 下半身だけは着ていてくれという淡い希望も砕け散り、立ち上がろうとするところに俺は掛け布団を投げつける。全身を見てしまう前に。


「むおっ!?なんだこれは!ショウゴか!?鬱陶しい!早くこれを外せッ!」


「その前に服を着ろ服を!!」


「俺様は服なんか嫌いだ!元々こんなもの着たことがないし...!」


「訳わかんねぇよ!早く着ろっつの!!」

「...水かけんぞ!」


「わかったァ!水はやめろ!着る、着るから早く寄越せ!前が見えない!」


 そこら中に脱ぎ散らかしていた服を拾い集め、茜を見ないように手渡していく。最初に下着を手に取る時が一番緊張した。

 しばらくすると元の格好に戻り、ようやく目をやることが出来るようになる。そこには憤慨したようなむくれ顔をしている茜が足を組んで座っていた。

 そして、ダメ元でぶつけた脅し文句がどういうわけか効いた。真偽を確かめよう。


「茜さ...水、嫌いなのか?」


「当たり前だろ。俺様は炎の神だ、そんなもの敵でしかない!」


 道理で。あの廃屋で現れた化け物も炎の姿をしていた。やはり深く関係しているらしい。

 炎の神、か。そりゃ水なんて飲むわけがない。イマイチ眉唾な話だが、この蒸し暑さなのに汗一つかいていないという点もあって何となく納得はいく。


「...とにかく、服は着てくれ。全裸の女の子を連れている男なんて即通報モンだ...」


「はあ?俺様は神だぞ?神が服なんて...」


「.....チャーハン。」


「あ?」


「お前が服を捨てれば、お前は二度と炒飯を食えなくなる...と言ったらどうする?」


「うぐっ...そ、それは、困る...!」


 本当は金さえ払えばどこででも食える。だが茜にはおそらくその程度の知識もないだろう。

 それをあえて利用してやった。炒飯程度で丸め込まれるとは、炎の神とやらも大したことはないらしいな。

 ...いやいや、たかが炒飯、されど炒飯だ。危ない危ない。そんなことうっかり口から滑らせたらおやっさんにブッ飛ばされる。


 ふと、俺の背筋は夏の暑さを吹き飛ばさん勢いで凍りつく。時計に視線をやるという行為が一気に恐怖の対象へと移り変わる。

 今日も、バイトがある。ただでさえ疲れで寝坊気味だったのに、このゴタゴタ。ヤバい。


「嘘...だろ。ヤバい、ヤバい...ヤバいヤバいヤバいヤバい...!!」


 三十分の遅刻だ。俺は寝汗も流せないままに事務所を慌てて飛び出し、自転車に乗っておやっさんの店へ猛スピードで走らせる。

 だがどこか車体が重たい。まるで二人分乗っているかのような。


「二人分...?っておいッ!!」 


「なんだなんだそんなに急いで。俺様の炒飯のためにか?」


 荷台に茜がいつの間にか座っていた。これじゃあトップスピードが出ない。これ以上時間を遅らせるわけにはいかないというのに。


 もうこうなったらこのまま茜を連れていき、それを証拠として謝り倒すしかない。そうだ、それしかない。流石天才名探偵!

 頭が冴えるのは脳天にゲンコツを食らってからじゃ遅いということだ。善は急げ、涼しい表情の茜をよそに俺はひたすら必死でペダルを漕ぎまくった。


 昨日よりも勢いをつけて車輪を滑走させて自転車を停める。そして茜の腕を引っ張りながら店内へ飛び込み、仕込み中のおやっさんに頭を深々を下げる。


「すみませんッ!!遅れまし...」


「ショウゴ!!」


「は、はい!!」


 鶏ガラを煮込む鍋も放っておいて、おやっさんはカウンターから飛び出すようにこちらに近寄り、茜には目もくれず俺の両肩をそのゴツゴツとした手でがっしりと掴んだ。

 頭突き?それともこのままブン投げられる?焦りに焦った頭で想像できる限りの凄惨な行く末が無数に脳内を錯綜している。


「無事だったのか!!」


「....え?」


 話によると、おやっさんは昨日町外れで出現した例の炎の塊のことを知り、今日の遅刻を俺が巻き込まれたゆえの事と勘違いしていたようだった。いくらなんでも優しすぎるだろ。

 てっきり仕込みかと思っていた鍋を見る行動は、不安を紛らわせるためだという。

 さらに扉を見てみろと言われ表に出てみると、ダンボールに黒マジックで作られた即席の「臨時休業」の掛け札があった。


 おやっさんは店を閉めてまで、俺を待ってくれていたのだ。この日に働く予定があるのなら、俺が生きているのなら、必ず来るはずだと。

 でもゴメン。俺はこれからその優しさに背くような行為をする。


「あの...おやっさん。」


「...なんだ。」


「俺に炒飯の作り方...教えてくれませんか。」

「俺...ずっと真似してたんです!おやっさんの炒飯を。だから...」


 おやっさんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、頬杖を手放す。そして意を決したような表情で冷蔵庫から食材を取り出していく。

 とうに見慣れた、普段提供している炒飯に使うものだ。それに加えて色んな調味料が付け足して置かれる。


「作ってみろ、ショウゴ。俺が味を見る。」


「...はいッ!」


「...その前に。その子について説明しろ。」


「....あ。」


 カウンターに座り、期待に瞳を輝かせている茜。そういえばすっかり置いてきぼりにしてしまっていた。

 俺はおやっさんに全ての説明をした。白ローブの不審人物を見つけ、探偵としての威信にかけて追いかけたこと。その先で茜を見つけ、助け出したこと。

 そして、俺が適当に食べさせた炒飯の味を気に入られてしまったことを。


「なるほどな...お前も無茶するもんだなァ。」

「その子も待ってる。早く作ってやんな。」


「...はい!」


 思わず手が震える。おやっさんの前なんだ、いつも以上のクオリティを出さなければ。

 何より、俺の味を待っている人がいる。そう思うと力が湧いてくる。

 これが料理人としての矜持なのだろう。俺は全身全霊を込めて鍋を振り、米を炒める。

 その様子をおやっさんはじっと後ろで見守っている。額に汗が滲む。そろそろ完成だ。


 緊張の大一番。オリジナルのアレンジ要素であるゴマ油を恐る恐る投入し、仕上げに渾身の鍋振りを見せる。

 いつものように半球形に掬い上げ、八角形をした皿二つに二人前をそれぞれ盛り付ける。

 ほとんど余らせることなく分割することができた。これはただのまぐれ。

 そして二人がレンゲを手に取り、俺の作った炒飯を口にする。


「ウマい!これだ、この味だ!」


「....ほォ。なかなか旨いじゃねェか。」

「ゴマ油か...盲点だ。勉強になった。」


「...恐縮です。」


「やるな。お前、店継ぐか?」


「いっ!?いやぁ~...それはちょっと荷が重いといいますか...」


 葛藤が思考を巡る。その誘いはとても嬉しいが、俺にはずっと抱え続けてきた、名声を持つ探偵になるという夢がある。

 もしも継ぐなら夢を捨てることに、いや、捨てるという言い方も失礼だ。確かにこの店には存続させるべき価値が存在する。

 俺なんかが担ってもいいのか。それもまた逃げる言い訳になってしまう。

 誤魔化すような言葉を並べ立てながら本心を言い淀んでいると、おやっさんは俺の肩を強く叩いた。珍しく見せる笑顔と共に。


「お前は迷うと思ったよ。今のは忘れろ。」

「お前は、自分の夢を追って生きろ。俺にそれを邪魔する権利はねェ。」


「ありがとう、ございます...」


 どこか寂しいような、突き放されたような気持ちになる。俺がこのままなにもしなかったら、この店はおやっさんの代で消え、誰の記憶からも次第に忘れ去られていくだろう。

 心の中で我が儘が騒ぐ。夢も叶えたいし、この店にもずっと残っていてほしい。両立は絶対に不可能だ。


 だから俺は、せめて自分で決めた夢ぐらいはおやっさんが生きてる内に叶えて、立派になった姿を見せてあげたいと思った。

 俺は強く頷いた。この気持ちを表すには、言葉なんかでは足りない。


「今日はこのまま店閉めておく。一日、ゆっくりその子と過ごしてやんな。」


「わかりました...!」


 とっくに皿を空にしてしまった茜は、やはりまだ物足りないといった顔でテーブルを爪の先でカツカツと叩いている。

 行こう。俺は、俺達は、まだまだ発展途上。羽を伸ばして、次なる飛翔へ備えるんだ。

 こんなに手を焼いたのは久しぶりだ。俺は出ていく時にも一礼し、茜と共に歩いて駅へと向かう。

 炎天下、ギラギラと光と熱を降り注がせる太陽が、数年越しの新たな門出を祝福してくれているようだった。

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