第61話 いえない儘

 俺は木知屋の家へ向かう。車の運転方法を忘れかけていたせいで縁石に乗り上げてしまいそうになり、かなり焦った。

 時折道を阻む赤信号が疎ましい。轢き飛ばしてしまいたくなる。しかしふと、俺はなんのために車を走らせているんだ?という疑問が浮かぶ。

 友を救うためなのか、保身のためなのか、その先にいる睦月なのか。

 ...いやはや、思考力が鈍っているな。その全てに決まってるだろうが。


 頭とタイヤを回転させながら辿り着いた、郊外の一軒家。実に数ヵ月ぶりだろうか、ここに来るのは。

 呼び鈴を押すが、返答はない。ここまでは想定内だ。ドアノブを捻ると、不用心にも鍵はかかっていなかった。

 靴を脱ぎ居間に入ると、すぐにその姿は目に飛び込んできた。あの紙袋を頭に被ったままダイニングの席に座っている、木知屋だ。

 紙袋、目のところには穴が空けられている。そうまでしてでも自分の本性たる素顔だけはさらけ出したくない、そうだろ。


 木知屋は俺の来訪に気づき一瞥しこそすれ、声をかけてくることはなかった。散乱した空のレトルトパウチやゼリー飲料の空き容器がその荒みきった食生活を窺わせた。

 部屋の中心には結ばれた太いロープがあり、傍らにはハサミ。その輪っかが示す用途は、一つしかあり得ない。

 だがまだ実行していなくてよかった。お前までいなくなってしまったら、俺は一体誰を頼りにしたらいい。


 だが目の前の光景から滲み出る狂気の片鱗は如何なる手段を以てしても隠しようがない。木知屋の座っているダイニングのテーブルにはカトラリーが並べられており、それは向かい側も同様だった。

 誰が座っているわけでもなく、誰が料理しているわけでもないのに、皿が差し出されるのを待っているかのようだ。

 強い危機感を覚えた。俺が、俺がなんとかしなくてはいけないんだ。


 俺はずかずかと家中を歩き回り、解決の糸口となりそうなものを探して探索する。戸棚を開けてみたりタンスを覗いてみたり。

 しかし見つからない。目に入るのは心を痛めるばかりの愛情の跡ばかりだ。

 俺はハッとした。この家に最後に訪れた夜のことを思い出した。

 廻神 琥珀の得意料理、ミネストローネだ。


 あの味を俺が再現できれば、あるいは。俺は調べる箇所を琥珀の行動範囲に絞った。

 だが自室らしき部屋からは全ての物が取り去られていて、もぬけの殻であった。机の一つなどあると思ったが、アテが外れた。

 ならキッチンだ。ありとあらゆる収納を手当たり次第に開けては漁って閉めてを繰り返していき、足下の端っこにあった扉を開き、俺はようやく見つけた。


 「レシピノート」のタイトルを持ち、色とりどりのボールペンで飾られた表紙。これで間違いないはずだ。木知屋に見つからないよう隠していたのか、並べられた調味料の空き瓶の裏に数冊が置いてあった。

 ペラペラとページをめくってみる。可愛らしくも丁寧な文字でマメにまとめられたレシピは、誰が読んでもその作り方を把握できそうなほどによく出来たものだった。


 ページの中頃に、ミネストローネのレシピがあった。ありがたい、材料や人数別の細かい分量も書いてある。

 元気一杯な「ミネストローネ!」の見出しには「お父さんのお気に入り」の文字が添えられ、さらにこのレシピに限って特別に言葉が添えられている。


 "お父さんの大好きなレシピ。これを作ってあげれた日はゼッタイどんな疲れも吹き飛ぶって言ってくれる!

 失敗は許されない!コハク、がんばれ!"


 まるでこれを作る自分を激励し、最良のものを常に食べてもらいたい気持ちが直球で表れたような明るい言葉だった。一歩踏み出すが、とどまる。

 これを木知屋に見せるのはよそう。あいつの心はボロボロで、今にも崩れ去りそうなギリギリの均衡を保っている。余計に現実を知らしめるような真似はしてはいけない。


「待ってろ、木知屋...!」


 俺はノートを手に家を飛び出した。向かう先はここから程近いスーパーだ。書かれている材料を探して、ノートとにらめっこしながら店内を走り回った。

 はたから見れば、ピンク色のノートを小脇に抱えながら息を切らして食材を買い集める三十路のオッサン。どこか哀れ、そう言われても仕方ないな。

 要るものは揃えた。会計を手早く済ませて家へ、全速力で戻る。


 とりあえず材料を並べてみる。俺は料理なんてからっきしだ、ほんの少し手伝ったことがあるくらいで、タマネギすらろくに切ったことがないレベル。

 それでも、それでもやらなければ。俺には、あいつの最愛だった琥珀の遺してくれたこのノートがついている。狼狽えるな。

 幸い調理器具は錆びてなどいないようだ、綺麗に整頓されて並べられていた。

 今し方俺が漁ってしまったせいでぐちゃぐちゃになってしまったが。


 人参、タマネギ、じゃがいもを2センチ角気持ち大きめに切る。このぐらいか?いや、デカすぎるか?

 ウィンナーを切らしてたらベーコンで代用、か。安心しろ、今回はちゃんと買ってきてある。

 同様におおよそ大きさを揃え、野菜と一緒に油を引いた鍋で炒めていく。

 そして、トマト缶、水、固形コンソメ、ひよこ豆を加え弱火でじっくり煮込む。

 手順は記述に沿ってしっかり踏めている気がするのだが、作っている最中はずっと落ち着かなかった。

 立ちっぱなしの疲れも最早感じなくなっていたし、無意味に火をチラチラと見たりしていた。そういえば、これが俺が初めてまともに作る料理になるのか。


 軽くかき混ぜ、仕上げに粉チーズと塩胡椒で味を調える。戸棚の中にあった、上等品らしき樫の木のペッパーミルを手に取って見つめる。

 ガリガリと回していると、琥珀がこれを扱っている心中をつい考えてしまう。そういえばノートには、このミルが初めての誕生日プレゼントだと書かれていたな。

 このくらいにしておこう。回す度に心まで削り取られるような気持ちになってしまう。


 白く深い器にゆっくりとよそい、それを持ち上げその暖かさを肌で感じる。ズボラな俺が作ったとは到底思えない出来だ。

 俺も、口にしたことがある。去年だったか。だがもう二度と確かめることはできない。

 俺の作ったこれは偽物だ。味だけ寄せた、いや、味すら異なるかもしれない。でもどうかこれで戻ってきてくれ。


「木知屋...これ食ってくれ。」

「ノート...いや、前に食ったのを見様見真似で作ってみたんだ...」


 項垂れていたように見えた木知屋が首をもたげ、俺が目の前に置いた器に視線を向ける。そしてゆっくりと、湯気を伝い立ち上る香りを吸い込んだ。

 病人のように痩せ細った手だ。その指を動かしてスプーンを手に取る。絞り出す枯れた声が、当然すぎる疑問を露にした。


「......君が、作ったのか...?」

「料理なんてできなかった君が、どうして...」


「俺も初心者にしちゃなかなかやるもんだろ?味の保証はしねェけど...」

「これ食って元気出してくれ。また戻ってきて、俺に力貸してくれよ、木知屋。」


 俺は察して、煙草とライターを手にキッチンの勝手口から外に出た。あいつは素顔を見られたくない。それがの時なら尚更だ。

 ディナータイムにシェフが同席するわけがねぇよな。

 あいつは一度狂気の淵で、真っ赤になった娘に出会い、二度目に踏み止まったところで、娘が遺した真っ赤なスープに出会う。

 こんな最低な皮肉を奇しくも作っちまったのは俺だが。思い出の色が偶然被っただけのことだ、悔恨ごと飲み干してくれれば幸いだが。


 煙草に火をつけると、スープにがっつく音が背の扉越しに聞こえ始める。啜り泣きの混ざる食いっぷりに、一度の紫煙の雲だけを残して、燻る灰が濡れた。

 スプーンが器にぶつかる甲高い音が止み、しばらくしてから頭の袋を被り直した木知屋は自ら歩いてきて、ドアを叩いた。

 シェフのお呼びだ。髪でも入ってたか、それとも不味かったか。なんとでも言ってくれればいいさ。ドアを開け、出てきた木知屋が隣に並ぶ。


「.....美味しかったよ。」


「そいつは良かった。正直心配だったぜ。」

「...どうだ、か?は。」


「....ああ、綺麗さっぱりさ。」






............






 こうして俺達は新たに出来た特殊事象対策課、通称「特事課」に入ることになった。今思うに、薊の口ぶりから木知屋が特事入りするのは最初から決まっていたことだったんだろう。

 この時は、更なる苦難が待ち受けているだなんて思いもしなかった。

 オカルトを扱う部署なんてどうせ色モノ扱いされて追いやられる、睦月を探すには打ってつけだ、なんて甘い考えを持っていた。


 何人も死んでいくところを見たし、何人も辞めていくのを見た。やってくる人間は給料泥棒目的だったり転げ落ちてきた元犯罪者だったり多様なもんだった。

 だから退屈はしなかった。いなくなっていく度に絆を紡ぐ気は失せていってしまったが。


 そして俺は15年の歳月を糧にようやく勝ち取った。ずっと探していた我が子を。

 でも郁梨はもういないし、睦月は記憶を失ってしまっていた。これは本当に取り戻したと言えるのだろうか?

 これがハッピーな結末だと、胸を張って郁梨あいつの墓前で言えるだろうか?


 キッドナッパーも行方がわからないし、睦月に関わりがある矢嶋だって取っ捕まえないといけない。

 未だに脳だけを生かし続けたまま眠っている藤波だって、元に戻してやらないと。俺はこれまで背負ってきた罪を人生を賭けて清算しなくてはならない責務がある。

 まだだ。俺はまだまだやることが山積みのままだ。なぜなら特殊事象対策課、人殺しの死神が集う窓際部署、その課長なのだから。






 ─────────────────────






「....で、今に至るってわけだ。」


 長い長い、中身の詰まりすぎた昔話が終幕を迎えた。"キッドナッパー"とやらが心眼らしき刀を使っていたり、聞きたいことは山ほどあったが如何せん疲労がそれに勝っていた。

 「イオド」の化身、またはその本人なのかわからないが、切り落とされた首はまだ課がオブジェクトとして厳重に保管しているらしい。

 なんでも近づく人間に触腕を伸ばして魂をのだとか。評議会の実施した試験の結果により、露出させた脳を掻き回すことである程度のコントロールが可能になったと言うが、操作する側には心底回りたくない。


 一時間ほど話していただろうか、すっかり日は落ちて窓の外は真っ暗だ。大きな欠伸をする橘は、突拍子もなくある提案を投げ掛けた。


「俺は、霞に今までのことを面と向かって謝りたいと思う。」

「そして、お前には休暇が必要だ。」


「...へえ、そりゃつまり...?」


「俺と霞、お前と尊で沖縄へ旅行に行こうと思うんだ。」


 本当に突拍子もないことだ。幸い骨折などはしていないから、その気になればすぐにでも向かえるが。

 しかしこんな話を聞かされてしまった後では些か行動力が削がれるというもの。


「もちろん間は置くさ。あいつは絶対に海で遊びたがるだろうから、その手に塩水沁みたらそれどころじゃねェだろ?」


「...治しとくわ。」


「おっ、自然に敬語取りやがって~。でも一応まだ評議会連中の釘刺しは継続だからよ、他の課員の前では敬語にしといてくれるか?」


「わかってる。ややこしいんだろ、色々。」


「ああ...それじゃ俺は帰るわ。しっかりメシ食うんだぜ。」


 橘、もとい親父が部屋を出ていく。それを確認してから枕に後頭部を落とし込んだ。

 凄まじい情報量に頭がパンクしそうだ。俺は今までこの場所を軽視していたのかもしれない。ここが誕生するまでには、あれほどの艱難辛苦が伴っていたなんて考えたこともなかった。


 スープの下りを聞いたら妙に小腹が減った。

 とりあえずあれこれ整理するのは次に目覚めてからにして、今夜のところは旅行のことを考えることにしよう。

 まともに休みを取れたのは怪我した時ばっかだったから、正直なところありがたい話だ。

 疲れに任せ瞼を閉じ、暗闇に誘われるままに俺は眠りに就いた。

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