第46話 スナッチスイッチ

 夢の中。俺は奇妙な幻影を見た。無数の星々が瞬く、正方形をした暗い苔むしたコンクリートの室内。

 身体は宙に浮かんでいて、周囲にはヒレの生えた半透明のミミズのような生物が飛行し、空中を泳ぎ回ってはじゃれついてくる。さらにそんな異様な状況の中、どこからか声が聞こえてくる。


 低く響くその声は、俺を「招かれざる客人」であると称した。確かに、呼び出された覚えもなければこの場所への来訪を望んだこともない。

 "君はあるアクシデントによってこの場所にいる、とてもとても稀薄な存在だ。

 俺の精神は今、外部より侵入したによってを脱し、辺りをさまよっている。ここはそのような者の、言わば待機場所だ"。

 とその声は語る。何者だと問いかけようとしても、掠れた息が漏れるばかりで声を出すことができない。


「無駄だ。今君は、神、大帝の前にいる。私の意思一つでその首をはねることさえ容易い。」

「これから少々雑音が混じる。狂いたくないのなら、せいぜい備えたまえよ。」


 その抽象的な警告の直後、俺の脳内に幻覚のように映像が次々とフラッシュバックした。

 妻子を刺し殺す男の様子、猛吹雪の中で怪物に遭遇する重装備の軍団。異様な幾何学模様、自身を俯瞰的に見つめる冷たいレンズの瞳。

 瞬時に駆け巡ったそれらの光景には靄のようなノイズがかかっていて、詳細なことはまったくわからない。なにより、併発する激しい頭痛によって思考どころではなかった。

 神だか狂うだか知らないが、この程度で俺がくたばるとでも思ったか。


「ほう、よく耐えたな、人の子よ。」

「今現在、君は言わば幽霊のような存在だ。他者の身体に入り込み、肉体を得なくては動けない、淡く曖昧な存在。」

「決してうろたえるな。原因を暴けば、必ず取り戻すことができるだろう。」


「手筈は整えてある。生き残れ。」


 その言葉を皮切りに、目が痛むほどの強い白光が虚空から溢れ出して部屋を瞬く間に埋め尽くしていく。

 そして視界が晴れた頃には、俺はどこか既視感のある無機質な白い廊下につっ立っていた。しかし、すぐ自分の身に起こった違和感に気づく。目線の高さが違う。妙に低い。


「はァ....?」


 思わず漏らした疑問の声まで、全く違うものに変わっている。首に提げられたキーカード、顔にはガスマスク、腰にはホルスターに収められた拳銃を身に付けていた。

 纏うのは図書室で目にした警備員の防護服。俺は焦ってガスマスクを外し、目の前にあった鏡に映る自身の顔を見た。

 おい待て。このオッサンは誰だ。身体が誰かと入れ替わっている。ふざけるな、漫画かなにかじゃねぇんだからよ。


 ふと、シューシューという物音に振り返ると、鉄格子のついた扉越しに椅子に座らせられていた。口には天井から伸びる長い太いパイプがフルフェイスヘルメットに似たヘッドギアに繋がり、眠らされたままなにかを流し込まれている。

 あの神とやらが言っていた「手筈」が、こんなにも無責任なものだとは。警備員の身体を乗っ取らせて代わりに脱出させる術を探せというわけか?


 いや、待て。落ち着いて考えろ。俺達の身柄が押さえられている場所ということは、ここは教団の根城なんじゃないか。その懐に、意図せず潜り込めたということなんじゃないか。

 そうとわかれば、この機を利用しない手はないな。俺はガスマスクを被り直して、廊下をゆっくりと歩き始める。

 扉がいくつかあったが、厳重なことにその全てがキーカードで電子的にロックがかけられているようだ。

 俺達が囚われているところも同様で、ダメ元で首にかかっていた「LEVEL:LOW」のカードを扉のリーダーに通してみるが、「クリアランスレベルが不足しています」と言われ通用しない。


「クソッ...やっぱローじゃ開かねぇか...!」


 何度聞いてもこの声は慣れる気がしないな。こうなったらやるしかない。俺はキーカードを握り締めて、手当たり次第に扉に通していく。

 すると、三つ目の扉である「実験チャンバー」のところでついにクリアランスが承認され、ピピッと機械音を発したドアがスライド、壁の隙間に滑り込む。

 向こう側は手すりのついたバルコニーのような場所で、一面の窓からその下の空間を見下ろすことができ、左手にはもう一つ、タッチパネルのついた扉がある。


 そこでは他の警備員が一人、手すりにもたれ掛かってなにやら見物しているようで、入った瞬間に目が合い思わず身体を強張らせる。

 いや違う、気にすることはないんだ。なぜなら俺は今ここの警備員、その内の誰かの姿をしているのだから。

 そいつは片手を上げて、気さくにも俺に話しかけてくる。


「よう。アレ、こんなとこでなにやってんの?収容室の門番じゃなかったっけ。」


「い、いやァ....ちょっと気分転換にな...」


「ああそう。まぁ俺は知らねーぞ。今回のは耐久テストみたいだぜ。見てけば?」


 自然体を装いながら下を見下ろす。すると眼下の空間はかなり広く、白い無機質な金属の壁、床に囲まれて、奥には両開きの大きなゲートが見える。

 しかしそれらは深紅の血潮と、解体され散らばった人体によって汚されなんとも惨たらしい光景となっていた。

 中心には虚ろな目をした一人の少女がおり、両手には血錆びたナイフを握っていた。

 少女は全身に傷を負っているようで、至るところから流血しながら肩でぜえぜえと息をしている。それでも、その傀儡を体現したような生気のない表情は変わらない。


 そこへ、ブザー音と共に抑揚のないアナウンス音声が流れる。


『実験体コード"空箱ヴォルト"素体No.4。戦闘トライアル・B-2。開始、5、4、3─────』


 そのアナウンスと共に、少女の背後にあるゲートが開く。そこから現れたのは、拳銃とボディアーマーで武装した、少年や少女が合わせて五人。異常なことに、戦場と化したこの空間に立つ人物は一人残らず子供である。

 俺は、ゲートから現れたその子供たちが不規則にグネグネと身体を小さく跳ねさせていることに気づく。なにかに寄生されているとかいうことでなく、自らの思考を見えない障害に侵され、阻まれているかのようだ。


『2、1、0。』


 カウントの終了と同時に、ナイフを握った少女が地面を蹴って動き出す。ボディアーマーの干渉しない喉元を狙って素早く切り裂き、瞬く間に二人を殺害してしまった。

 しかし、距離の離れていた残る三人が放つ弾丸を少女は一挙に全身で受ける。声一つ上げることなく、少女はその場に踊るように四肢をくねらせながら倒れ、絶命してしまった。

 あっという間の出来事だった。俺は観客としてただここにいて、いとも容易く行われる殺戮ショーを眺めていることしかできなかった。

 広がっていく血の海を震える目で見つめ、鉄の手すりを無意識にギリギリと握り込む。


『No.4、ロスト。戦闘トライアル終了。処理班を投入。』


 何の感慨もなくショーの終幕を告げるアナウンスが響くと、再びゲートが開き、奥から数体の存在が姿を現す。それは、ピンク色の甲殻とハサミを持った、奇妙な甲殻類のような生物だった。

 俺はその姿を見た瞬間に、思わず声を上げそうになった。照らし合わせるまでもない。記憶がその答えを告げている。

 あれが、報告書にあった「シュリンプ」だ。尋常のものならざる異様な姿、全員がそのツメで挟むように持っている、黒い楕円形をした謎の機械。


 暴徒のように雄叫びを上げながら攻撃を仕掛けようとする子供たちに向け、その生物たちは機械のスイッチを押した。

 瞬間、機械から激しくバチバチと音を立てる青っぽい火花のような塊が一斉に発射され、引き金を引かんと銃口を向ける子供たちに容赦なく命中する。

 眩く閃光を伴いながら電気が走り、全身が一瞬宙に浮き、落下する。手早く機械を仕舞った生物たちは、バタバタと倒れた子供たちの身体を運び出す者と、死体の処理、飛び散った血糊を拭き取り始める者に分かれていった。


「あ~あ、やっぱ連戦はキツイわな。」


「じゃ、俺は戻るわ。お前も早く戻らねーと殺されるぜ。」


 あり得ないことばかりが目の前で連続して起こっている。一切の情もなく部屋を後にする警備員の背中を見送り、俺は奥にあるもう一つの扉にキーカードを通す。


『認証不可。クリアランスレベルが不足しています。』


 アナウンスが告げるこの残念な結果と、目撃した惨状の精神負担によるダブルパンチが、俺に一際大きい溜め息を誘発させた。

 俺はなんて無力なんだ。身体一つ入れ換えられただけでこうも動きを制限されるなんて。

 焦燥に任せて手すりを殴り付け、俺はまたカードの低いクリアランスをただ信じて歩き回るだけの作業に戻る。

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