#1_季節の変わり目

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“幸せのカタチなんて、人それぞれ。”


ありきたりなよく聞く台詞だなんて、誰が言い始めたんだろう。


いつしか、自分もそう思い始めてしまったのは何故なんだろう。


あの子みたいに割り切って考えられたら、

あんな風に生きられたら、

私は私らしく!と大声で叫ぶことができれば――。


「タラレバ言ったって仕方ないよ。」


「ある程度で妥協しなきゃ。」


そんなこと分かってるよ。もう聞き飽きた。うんざりだよ。


それでも、


「幸せになりたい。」


この気持ちに向き合い続けることは、そんなに寂しいことですか?


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 足が床に届かないカウンターチェアに座り、大きなカウンターテーブルで冷凍のオムライスを食べながらカラになったグラスをぼーっと見つめている。

 それが私の一番古い記憶。


「お母さん、」


 オレンジジュースが飲みたいと伝えたくて母を呼んでみても、私の小さな声は知らないおじさんが歌う演歌にかき消されていった。


 高校を卒業してから札幌で水商売をしていた母は21歳のときに私を産み、父親の顔は見たことがない。どんな人だったの?と聞いてもはぐらかされ続け、そんなやり取りを繰り返しているうち、思春期を迎える頃にはもう自分の父親という肩書きの人間に興味はなくなっていた。


 それよりも強く芽生えてきた、母のようになりたくないという感情がどんどん心を覆い尽くし、札幌の大学を卒業したあと、私はその環境から逃げるように東京で就職先を探し、引っ越してきた。


「大学まで卒業させてもらっておいて、母親を置いて東京に行くなんて申し訳ないと思わないのか。」


 いつの日か、酔っ払いの客に言われたことがある。

 東京へ引っ越しが決まったあと、私は"ママの娘"として母のお店でその勤めを果たそうとしていた。

 もちろん感謝している。当たり前じゃん。でもこれから、奨学金という名の負債を抱えて生きていくのは私なんだけどな。

 酔っ払いのこんな何気ない言葉に嫌悪を感じてしまうのは、私の中に母に感謝できていないダメな人間だと指摘されたと感じる負い目があるからなんだろう。

 感謝が足りない、育ててくれた母の仕事を恥ずかしいと思ってしまっているなんてひどい娘。こんなありのままの私では愛されるに値しないと自分で自分に呪いをかけている。

 「甘えるのが苦手なんです。」と口にして甘えるという技も使えないほど、いわゆるこじらせてしまった私は、これからも女というあらゆる武器を振りかざしては生きていけそうにない。


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「冬優ちゃ~ん!」


 待ち合わせの恵比寿駅で、ふと昔のことを思い出しながらボ~ッと改札を見つめていた視線が私を呼ぶ声の方へと動く。

 私の姿を見つけ、笑顔で駆け寄って来てくれたのは、小春さん。


「わ~!小春さん!お久しぶりです~!」


「元気してた!?」


 新卒で入った会社を辞めてしまった後もどうしても東京に残りたくて、慌てて登録した派遣会社から入社した先で出会った小春さんは、明るくて気さくで私が憧れるお姉さんだった。


 小春さんから仕事を習い、一年も経たない間に小春さんは契約満了で退職してしまった。

 貴女が会社を辞めてしまって寂しいと、私は同性にすら、そんな一言が言えない。


「元気です!」


 今日初めて自分から勇気を出して誘い、余計なことを言って面倒くさいと思われたくない私は、いつもの笑顔を作ってそう答えた。


「良かった~。行こ!」


 美味しそうなお店見つけたんだよね!と小春さんは予約しておいてくれたお店へと歩き出す。

 誘ったのは私なのにすみません、とお店を探してくれた手間に申し訳なくなり謝ると、小春さんがくるっと振り返る。


「もー、そこはありがとうでいいのっ!」


 無邪気に怒った顔を作って見せる小春さんはきっと、人に何かされたときに素直にお礼が言える人なんだろう。

 私が懲りずに申し訳なさそうに改めてお礼を告げると、「私が最後、ここのティラミス食べたいだけだから、付き合ってくれてありがとね。」と小春さんは私が出した申し訳なさに気付いたかのように笑いを作ってくれた。


 程よく周りの話し声が聞こえるオシャレなイタリアンのお店。

 小春さんは今日は少し飲みたい気分だとグラスワインを、お酒があまり飲めない私はノンアルコールのカクテルを注文した。


「彼氏さんとはどうなんですか?」


 席に着いてしばらくの間、話を聞かない部長の愚痴や、いつも仕事を頼んだことを忘れたまま長めのランチに出ていく先輩の文句を一通り聞いてもらったあと、何気なく尋ねた。


「え!全然変わんないよ~。むしろ何もなさすぎるくらい!」


 会社を辞めてから同棲し始めたという年下の彼氏さんがいるということくらいしか、私は小春さんのことを何も知らない。

 でも、こんな風に話を切り返されると何も聞けなくなってしまう。

 大人になると、仲のいい友達の作り方って、分からなくなる。


「いつ聞いても仲良さそうで羨ましいです。」


 これも本音。家に帰れば好きな人がいるって、どんな感じなんだろう。憧れはするものの、私は恋愛するにも自分から行動を起こせないタイプだから。


「誰か良い人が居たら紹介してください~。」


 冗談交じりにそんなことをお願いしてみるも、いざとなったら尻込みする自分が容易に想像ついてしまって、情けなくなる。


「そういえば、私の大学の時の友達、覚えてる?」


 唐突に、小春さんが電話が鳴るスマホに目を落としながら問いかけてくる。恐らく、その電話は彼氏からだと思う。


「え?あの、アキさんって方ですか?というか小春さん、電話大丈夫ですか?」


 いいのいいの、いつものことだから、と着信が止まるのを待って、小春さんは続ける。


「そう、そのアキって友達がね、前の会社で仲良かった人と最近また連絡取ったらしいんだけど、その人がさ、」


 言う前から面白くて仕方がないとでも言いたげな笑顔で話す小春さんに、つられて笑顔になってしまう。


「その人が?」と早く教えてほしくて尋ねると、


「その人がね、ナツキっていう名前らしくて。」


すごくない!?四季揃うじゃん!って笑ったの、と小春さんは無邪気に2杯目のグラスワインを飲み干す。


「でさ、今度その4人で集まらない?もし冬優ちゃんがヤじゃなければ!」


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この4人の出会いが、さらに大きな人間関係の渦を作って

私のこれからの人生が少し変わっていくことに、少し勘付いた。


同時に気付いたのはそれだけじゃなく、その変化が起こることにワクワクしている自分。


いつもなら新しく人と出会うことに抵抗を感じるのに、どうしてこのときは、あんなに胸が躍ったのだろう。


その答えが、今なら少し分かる気がする――。

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