3

 次の日の放課後——。

 昨日の遅れを取り戻そうとしてか、葵くんは、いつも以上に気合が入っているみたいで。すたすたと歩く速度も、いつも以上に速かった。

 そんな葵くんに付いていくのは大変で。置いていかれないよう、わたしは必死に歩いた。

 わたしたちが向かった先は、日和山ひよりやま公園だ。

 日和山公園は、市内で一番大きな公園で。港町であったこの町の繁栄の歴史を示す遺物が園内に点在しているの。だから、ちょっとした観光スポットにもなっている歴史公園だ。

 わたしと葵くん、それからマサキとダイゼンで、広い園内を見て回る。

 まずは方角石を見に行って、次に木造六角灯台の周りをぐるりと回って、それからポニー小屋にも行ってみるけど、

「なあ、水引」

「なあに?」

「なんで公園にクジャクやポニーがいるんだよ?」

「えっ。なんでって……」

 あれ、どうしてだろう。そんなこと、今まで一度も考えたことなかったな。確かに他の公園では、クジャクもポニーも見たことがない。

 葵くんは、さすが田舎だな、と言うけど。田舎だからは関係あるのかな。わたしには分からないや。

 ポニー小屋にはいなかったので、わたしたちは芝広場に移動する。広場には修景池という名前の池があって、水上には千石船が堂々と浮かんでいる。

 千石船と言っても、本物の船ではなくて半分のサイズに縮尺して再現したものだ。だけど半分のサイズでも十分大きいの。このサイズでも大きいんだから、本物の船は、もっと大きいってことだよね。さすが米千石相当の積載量があったから千石船と呼ばれていただけのことはある。

 その船の中に……、いた、神様だ。神様が船の中の帆柱の側に立っていた。

 その神様は細長い頭をしていて、真っ白で長いヒゲを生やしている背の低い老人だ。左手に宝珠を、右手には巻物をくくりつけた杖を持っている。

 それから、そんな神様の後ろには亀と鶴がいた。

 マサキは、

「あの神様は、福禄寿様ね」

と教えてくれる。マサキが言うには、福禄寿様は、幸運と金銭に恵まれ、長生きをもたらす神様なんだって。

 修景池の縁ぎりぎりの所まで近寄って、わたしは福禄寿様に向かって声をかける。すると福禄寿様は、わたしたちの方を振り向いた。

 福禄寿様は、にこりと微笑む。すると足元が急にふわりと軽く、不思議な感覚に包まれて……。

「きゃっ……!??」

 浮いた……!? うそっ、わたしの体、浮いてるの!? 信じられない!

 隣を見ると葵くんの体も、わたしみたいにふわふわと宙に浮いていた。

 福禄寿様は一つ大きくうなずくと、

「我を捕まえてみよ」

と言った。

 えーと、それってつまり、おにごっこってこと?

 訊ねるけど福禄寿様は返事をしないで、代わりに、

「制限時間は一時間だ」

と言うと砂時計がぽんっと空中に現れ、中央がくびれている容器の上側に入っていた砂が、さらさらと下側に向かって落ち出した。その間にも福禄寿様は、空に向かって飛んで行ってしまった。

 わたしが説明するまでもなかったみたい。状況を理解した葵くんが、

「水引、早く追いかけるぞ!」

「うっ、うん!」

 葵くんはわたしが指差した方へ、宙の足元を蹴るようにして飛び出した。わたしも先に飛び立った葵くんの後に続く。

 福禄寿様を捕まえられたら、皇神社に戻ってくれるんだよね。だったら絶対に捕まえないと!

 なのに……。

「えいっ。あっ、もう、そっちじゃないのに……!」

 うえーん、どうしよう。全然上手に飛べないよ。その間に福禄寿様は、どんどん小さくなってしまう。

 そんなわたし比べて葵くんは、もうコツをつかんだのか、すいすいと空中を自在に飛んで行く。

 葵くんってば、どうやって飛んでいるんだろう。わたしは体が思うように動かなくて、まるで水の中で溺れないよう、必死に手足を動かしてもがいているみたい。葵くんみたいに速く進めないどころか、行きたい方向にさえ進んでくれない。

 その上、強い風がびゅうっ……と吹いて……。

「きゃっ……!??」

 ちょっ、ちょっと待って! どうしよう、風のせいで体が流されちゃう……!??

 わたしの体は風に絡め取られて、ますます福禄寿様との距離が遠ざかる。

 だけど不意にがしりと腕をつかまれて、

「葵くんっ……!?」

 葵くんだ。いつの間にか葵くんが目の前にいて、

「水引、しっかりつかまってろ!」

 そう言って、葵くんはわたしの手を強く握った。わたしはその圧力に、なんだか胸をどきどきと鳴らしながらも、

「う……、うんっ……!」

 どうにかその一言をしぼり出した。

 葵くんと手を繋いでから、不思議なことにスピードが出るようになったみたい。そのおかげか、

「葵くん! 福禄寿様が見えたよ!」

 福禄寿様に追い付いた。

 でも福禄寿様は、とっても速い。追い付いたとは言え、まだ福禄寿様との間に距離がある。

 それでも、わたしたちは神様を追いかけ続ける。すると神様でも疲れてきたのか、福禄寿様の飛ぶスピードが落ちてきたみたい。徐々に距離が埋まり出した。

 あと少し、もう少し……!

 なのに、わたしも葵くんも必死に手を伸ばすけど、なかなか神様に届かない。

「くそっ。あと少しなのに……!」

 葵くんも悔しそうに歯ぎしりをする。

 せっかくここまで追い詰めたのに。なにか手はないかな。

 ふわりと後ろから吹いた風が、わたしの髪をいたずらにかき乱す。

 ……あっ、そうだ!

「葵くん、わたしのこと、思いっ切りぶん投げて!」

「はあっ!? なにを言い出すんだよ!」

「葵くんの力で加速して、それから、うまく風に乗れたら、福禄寿様に追い付けると思うの。このままだと時間切れになっちゃうよ!」

 わたしたちの側に浮いている砂時計を見ると、上側に入っている砂は、残り少なくなっていた。

 時計を眺めて葵くんは、ためらっていたけど、「よしっ!」と小さな声で言うと、

「水引、頼んだっ……!」

「うんっ……!!」

 追い風が吹いたタイミングで、葵くんは、つかんでいたわたしの腕を、ぶんっ……! と力いっぱい振った。わたしの体は、ねらい通り風に乗り、福禄寿様の方に流されて行く。

 福禄寿様との距離が一気に縮まり、

「えーいっ……!!」

 わたしは福禄寿様に向かって思い切り腕を伸ばす。

 わたしの指先が——、福禄寿様の体に触れた。

 やっ、やったあっ……!! 福禄寿様、捕まえた!!

 鬼ごっこに勝って、うれしさのあまり気が緩んじゃったんだと思う。あれ……。あれれ。急に体が重たくなって、なぜか地面に向かって落ちていく。

 どうしよう! このままだと地面に激突だ。

 なのに体が言うことをきいてくれない。その間にも地面との距離が縮まっていく。

「きゃっ……!??」

 土の色一色の光景に、わたしは思わず目を強くつむる。だけど、いつまで経っても予想していた衝撃はおそってこない。おかしいな……?

 ゆっくりとまぶたを開かせていくと、

「水引、大丈夫か?」

「う、うん。ありがとう、葵くん……!」

 間一髪のところ、葵くんがわたしの腕をつかんでくれていた。どうにか地面への衝突はまぬがれたみたい。

 ほっと胸をなで下ろしていると、福禄寿様がわたしたちの元にやって来た。すると葵くんが持っていた御朱印帳がひとりでに開いた。

 福禄寿様は、にこりと微笑むと、開かれたページの中へと入っていった。福禄寿様の姿が見えなくなると、ぱあっ……と文字が浮かび上がる。

 神様との縁が——、繋がった。

 新しい名前が刻まれたばかりの御朱印帳を見つめていた葵くんだけど、それを閉じると、

「ところで、ここ、どこだ?」

と辺りを見回しながら言った。

 福禄寿様を追いかけて、わたしたちは日和山公園から離れて、中町商店街の方まで来ちゃったみたい。空を飛んでいたわたしたちが着陸したのは、商店街の中にある小さな公園の茂みの中だった。

 中町商店街から皇神社まで、そんなに離れていないから歩いて帰れる距離ではある。そのことに、ほっと胸を撫で下ろしていると、傍らから聞き覚えのある声が聞こえてきた。そちらを向くと、初穂ちゃんがお母さんと一緒に歩いていた。

 初穂ちゃんは手にソフトクリームを持っていて、ベンチにお母さんと並んで座った。ピアノの教室の帰りなのかな。初穂ちゃんは肩にかけていたピアノのデザインのカバンをベンチの上に置いた。

 そうだ。初穂ちゃんのお家は、中町商店街なかまちしょうてんがいの近くだっけ。

 初穂ちゃんは、とけ始めているソフトクリームをちびちびと小さな舌を使って食べ出す。だけど、その顔は、ソフトクリームを食べている顔には、ふさわしくなかった。

 だって初穂ちゃんが食べている緑色のソフトクリームは、商店街の中にあるお茶屋さんの、特製抹茶ソフトクリームなんだもん。あのおいしいソフトクリームを食べているのに、元気がないなんて。初穂ちゃん、まだお母さんに言えてないみたい。

 わたしは茂みの中から初穂ちゃんを見つめて、

「がんばって……!」

 心の中でつぶやいたつもりだったのに、つい声が出ちゃってたみたい。あわてて口をおさえて茂みの中に隠れた。

 初穂ちゃんは振り返ったけど、どうにか見られなかったみたい。小さく首を傾げさせたけど、頭を元に戻した。

 初穂ちゃんがソフトクリームを食べ終わると、お母さんは立ち上がる。けれど一人ベンチに座りっぱなしな初穂ちゃん。

 お母さんに、「どうしたの?」と訊かれて初穂ちゃんは、下げていた頭をぐいと上げて、

「あ、あのね、お母さん。私ね、そのね、……ピアノ、やめたいの!」

 言えた……!

 すごい、初穂ちゃん。ちゃんと自分で言えたよ……!

 どくどくと、わたしの心臓は、興奮から跳ね上がる。

 突然そんなことを言われて、初穂ちゃんのお母さんは驚いちゃったみたい。目を丸くさせていた。

 だけど初穂ちゃんは一層お腹から声を出して、

「私、ソフトボールをはじめたいのっ!」

と続けて言った。

 お母さんの声は、わたしたちの所までは届かなかった。だけど浮かべていた表情から、なにも問題ないって。そう分かって、わたしは「よかったね」と心の中で初穂ちゃんに告げた。

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