Misty 比翼の呼び聲

かごめ

プロローグ

 落ちる。


 意識が落ちていく。


 片翼を求めた意識が落ちていく。


 そこは闇と霧に包まれた世界。


 命あるモノたちを拒む世界。


 草は枯れ、命は尽き果て、水は腐り、存在するのは全て命を棄てたモノばかり。そこに命あるモノたちが存在する余地などないにも関わらず、今夜だけは命の気配がそこにはあった。


 脈々と湧き出た水は果て、水脈みおの流れは途絶え、永遠の停滞によって汚水と化した湖の上で、夜行性の昆虫のようにチラチラと揺れる人工の光が見える。


「さぁ、視聴者の皆さん……付いて来ていますか? ワタシ、みんなのTaoちゃんは、ついにこの廃村の最深部へ辿り着きました〜!」


 墓場を通り越した静謐の中で、またも姦しい大声が響いた。


「Taoちゃんがいるのはですね〜何と! 湖の上に建つ大きなお社にある船着き場なんですよ〜! 少し小さいですけど、小舟程度なら二つ三つは並べられるんじゃないでしょうか〜?」


 そう言いながら、自身を見つめるカメラに向かって視線と身振りを送るのは、黒いマスクを付けた金髪の女性だ。朽ちかけた木造の船着き場には似つかわしくないゴスロリ風の派手な服と踊り、サラサラのボブカットを揺らし、アイシャドウで主張された目元を瞬かせ、その声音は男ウケを狙っているような感じが浮き出ている。


「ほら、ワタシたちはあの小舟でここまで来たんですよ! なかなかにチャレンジャーだと思いませんか?!」


 ほらぁ、とTaoが指差した方向へカメラは動く。その先には今も水面で騒ぐ波紋によって微かに揺れる木製の小舟と、湿気と長い月日を受けて所々が朽ちている桟橋と彼らの周囲を包む深い挟霧と、水面へ続々と生えてくる顔認証の表示――。


「ん? 何だ……?」


 カメラを回していた男性が画面を足下へ向け、自分の目で水面を見た。当然そこには機械へ人の顔だと認識させるようなものは無く、彼はすぐに画面を戻したが、そちらにも顔認証は機能していなかった。


「何だよ……またかよ」


「また顔認証しちゃった〜? 凄いね、ここはマジでお化けが出る場所なんじゃん♪ トモさ〜その辺のやり取りもきちんと視聴者に見せるんでしょ?」


 メインでカメラを回しているのはトモという男性だ。着飾っているTaoとは違い、タンクトップにジーパンという出立ちで、その姿勢から画面に出るつもりはないようだ。


「ああ、今回はマジでアタリの場所に来れたからな。これで動画の視聴数もチャンネル登録者も一気に増えると思うぜ。テレビにも呼ばれるだろうし、お前にお熱なキモオタとかチーぎゅうたちも増えるだろうからな」


「ちょっと、ワタシのファンは独り言をブツブツ吐き出したり、人として気遣ってやっただけで自分のことが好きなんだ〜って盛り上がったりする気持ち悪い人たちじゃないんですけど」


「何だよ、違うっけ?」


「違うっつーの!」


 そう言って笑ったTaoを見てトモは一緒に声を出して笑った。そんな光景を尻目に、サブのカメラで周囲の様子を撮っていたストライプシャツの男性が背中を向けたまま二人に近付いた。


「ねぇ、こっちのカメラでも一瞬……水面に向けて顔認証が機能したんだけど……」


「ああ!? 何だよ、俺とTaoのことを後ろから撮ってたんじゃないのかよ!」


「あっ……ごめん。周りが気になってて……」


「シン! カメラは俺とお前しかいないんだからさぁ……!」


 もう一人の男性はシンという。スポーツ刈りでやや粗暴な顔付きをしているトモとは裏腹に、彼は気弱そうな顔付きと鉛筆のような身体付きをしている。


「ごめんって……また起きるなんて思わなかったんだよ」


「まぁまぁ、シンちゃんがヌけてるのは昔からじゃん? それにさっきのは撮れてるんでしょ? それならまだいいじゃん」


 Taoからの宥めもあって、トモはやや不承不承ながらも「しょうがねぇな……」と、溜め息を吐き出すとまた撮影を再開した。


「Tao、とりあえずこの船着き場はもういいや。そこのドアから中を見てみようや」


 彼らがいる社の船着き場はコの字をしている。桟橋はコの上部から中へ突き出しており、小舟はその中心に浮かんでいる。トモが示した木造の引き戸はコの右端に位置している。二画目の右端にも同じ引き戸はあるが、彼が示したのは上の方だ。


「ああ、あの壊れてる方ね」


 懐中電灯と二人が持つカメラに取り付けられているライトが集中し、Taoは片側が室内へ倒れ込んでいる引き戸に近付く。


「うわっ……近付いただけでもうカビ臭いなぁ……」


「この湿気だもんな。シン、俺らもマスク付けようぜ」


「ああ……うん」


 トモから押し付けられていたボストンバッグを床に下ろし、中からジッパー付きのビニール袋を引っぱり出した瞬間、マスクや絆創膏などが入った目当てのものとは別のビニール袋を床に落としてしまった。それは、


「おおい! 落として壊すなよ?!」


「ごめん……っていうか、本当に持って帰るの?」


 忌避するように摘まみ上げたビニール袋には、人の形をした藁人形が入れられている。汚い布に描かれた顔が被さり、陣羽織のようなものを着た胴体は太く、四肢に至ってはガガンボのように細いという気味の悪い人形だ。


「当たり前だろ? それを持ち帰って怪異が起きればさらに儲けもんだって」


「そうだけどさ……何もこれじゃなくてもいいんじゃない……?」


「だから〜他に何も無かったからそれなんだろ? お前の家に置くわけじゃねぇんだからさ、グダグダ言うなよ。そういうことでもやらないと視聴数が増えねぇだろ?!」


 トモが気にしている視聴者数と登録者数というのは、動画サイトに登録されている自分たちのチャンネルのことだ。


「ハッキリと幽霊とか怪奇現象が起きれば……その瞬間に俺たちは金持ちだ。シン、お前だってサラリーマンなんて嫌だからこうして動画配信してんだろ? だったらそれくらいで怖じ気づいてんじゃねぇよ」


「だから……それはわかってるよ……」


 そう言われてしまえばシンに文句は言えない。藁人形を壊さないようにボストンバッグへ戻し、トモへ黒いマスクを手渡した。


 外見や性格的に接点はなさそうだが、この三人は幼なじみだ。小中高、と学生時代から動画サイトが隣にいた三人にとって、成功すれば生活が成り立つ程の稼ぎを得られる動画配信者を目指すことは当然の流れだった。だが、最初にトモとシンで始めた『○○をやってみた』や『大金を使って○○』などは三ヶ月も続かず、大金に至っては友人や両親からの借金をしてまで掻き集めたものだった。そうしてトモは起死回生として、心霊系に舵を切った。


 心霊系の動画はいつでも需要があり、固定されたファンも出来やすいということを信じ、歌を配信していたTaoを誘って今日まで人気者と金持ちの夢を追いかけて来た。その夢が今夜叶うかもしれないのだ。


「トモ、どうすんの? 入り口に近付くまでも撮る?」


「おう、何かあったらリアクションよろしくな」


 それに頷いたTaoは、また姦しい声で話し出した。


「さぁ、ワタシたちはようやく村の最深部にある奇妙な社の中へ足を踏み入れます。ここまで意外と長かったですし、皆さんが驚くような場面もたくさんありました! このお社の中ではさっきまでのハプニングが子供騙しだった、というぐらいに怖いことが起きてほしいですね〜!」


 ほらほら、とカメラの向こうにいる視聴者を誘うようにTaoは件の引き戸へ近付く。その誘いに乗ってカメラも彼女の背中越しに社の中を覗き込み――。


「うぎゃ!!」


 中を覗き込んだ瞬間、キャラを棄てたTaoがカメラ越しにトモへ激突してしまい、そのまま二人は勢いよく倒れてしまった。


「どっ……どしたの?!」


 その光景に圧倒されたシンは、録画することを忘れたまま二人に駆け寄った。案の定、カメラが記録するのは社の中でも二人の姿でもない明後日の方向だ。それでも、駆け寄ったシンの目にはTaoをひっくり返した元兇が見えた。それは、


「人形……? 何でこんな感じに……」


 社の中へ倒れ込んだ引き戸の奥に、人形たちが転がっている。光を当てただけでわかるほどにどれもこれも朽ちていたり泥まみれになっていたりと酷い有様だ。Taoが驚くのも無理はないだろう。

 

「マジでビビった……さっきの藁人形よりもずっと……」


 汚れを振り落としながら立ち上がったTaoは、後ろで尻餅をついているシンを起こすと改めて社の中を覗き込んだ。浮かび上がる人形たちの外見は朽ちていてもそれなりに綺麗で、壁に背中を預けている人形に至っては着ている着物の所為か人間そのものに見える。


「藁人形の次は……球体関節人形? 人形の村じゃん」


「金を握らせたばあさん曰く、この村はそれが有名だったんだとさ」


 驚かせやがって、とトモは引き戸を退かした。それと同時に船着き場へ一体の人形が倒れ込んで来た。カシャリ、とか細い悲鳴をあげたその人形は、和服の隙間から球体関節のような躰を露にした。


「うわっ……何この精密というか……気味が悪いというか……」


 Taoがそう称したのはあながち間違いではない。倒れた拍子に右肩の球体らしき関節が砕け、中から千切れた血管と神経のようなものが飛び出しているからだ。加えてそこから滲み出る腐臭が三人の眉と鼻を歪ませた。


「人間の死体みたいで気味が悪い……行こ」


「待ってくれ、もうちょっと詳細に撮りたいから」


 鼻を塞ぎながら人形の遺体を撮っているトモに肩をすくめたTaoは、ようやくカメラを構えたシンに向かって「行こ」と、合図して社の中へ入った。


「先に行ってるよ」


 退けられた引き戸の枠を抜け、あちこちに人形が散らばる廊下を進む。一文字のシンプルな廊下に窓は無く、照明は横たわる行灯しかないようだ。その暗闇の奥には別の引き戸あり、人形に辟易のTaoは足早にそこへ手をかけると、ガラガラと引き戸を開けた。


 懐中電灯とカメラのライトが影絵のように動き、二人の目の前へ広大な四角い部屋を浮かび上がらせた。


「ひろ〜いけど……何の部屋?」


 意外にもこの部屋に人形は散らばっておらず、その代わりに二人の視線をまず集めたのは、部屋の中をグルリと取り囲む上段の席だ。席とは言っても部屋の外側に向かって段々と伸びる段差に座布団が敷かれているだけのシンプルなものだ。


「観客席みたいだけど……ここで博打でもしてたのかな」


「でもでも……部屋の中心には……」


 博打をやるような場所は部屋に無い。あるのは部屋の中心にぽっかりと口を開けた四角い穴と、波紋の水面へ沈む向かい合った階段だけだ。形としては座布団に座った人たちが穴を眺めている、というものだろうか。


「……禊ぎとか沐浴で使っていたのかな」


 シンの脳裏には、都市伝説で有名な秘密結社の姿が浮かぶ。ここに住んでいた人たちはこの水面で何をしていたんだろうか。


「こんな湖で禊ぎかぁ……ワタシは嫌だね」


 腐蝕も朽ちてもいない床に四つん這いになったTaoは、波紋一つ起きない水面に顔を近付ける。


「しかも臭いし……ヘドロみたい」


「当時の湖だったら」


 キャラを忘れているTaoと、この奇妙な部屋を回り撮りするシン。

すると、入り乱れる光と影の中に三つの引き戸が浮かび上がった。それはどこも同じ位置にあり、部屋全体がシンメトリーになっていることにも気付いた。


「ドアが四……か。さっきの反対側のドアがあそこかな?」


 Taoが指差したのは、二人が入って来た引き戸の向かい側にある引き戸だ。見ると少しだけ開いていて、隙間からは暗闇だけが覗いている。


「そうかもね。トモは……まだ人形の写真を撮ってるのかな」


 そういえば、とシンは自分たちが入って来た引き戸を照らす。


「トモー? こっちも撮ったらー?」


 Taoは大声でそう叫んだが、トモから返事はなく、彼女と顔を合わせたシンはその引き戸へ近付き――。


「だあぁーーー!!!」


 人形廊下から飛び出して来たトモの顔に驚いたシンは「うわぁ!!」と、情けない悲鳴と一緒に飛び退き――後ろにいたTaoとぶつかってしまい、


「ウギャ!!」


 予期せぬシンとの激突にTaoは大穴の段差に片足を踏み落としてしまい、そのまま水面へ落ちそうになってしまった。掴めるものを求めた両手は空すらも掴めず――振り返ったシンは彼女の片腕を掴んだが、Taoは片手で握り締めていたスマホを放り投げてしまい――チャポン、という気持ちの良い音を発してスマホは波紋を生んだ。


「ちょっ……マジで?! ワタシのスマホ!!」


 掴んでくれていたシンの手を振り払う勢いで、Taoは水面へ飛び込もうとしたが、


「Tao、深さがわからないよ……!! もし深かったら……」


「でもスマホが……!!」


 シンの腕を振り払ったTaoは、反対側の階段に飛び乗ると波紋の中へ手を突っ込もうと屈み込んだ。


「ちょっ……待てってTao!」


 さすがにそれを見たトモは慌てて彼女に駆け寄り、その無茶を止めた。


「俺が悪かった……弁償っすから! な? 主演が無茶したら困るからよ」


「ほんとに弁償?!」


「ほんとにほんと! 中のSDカードとかもクラウドにあんだろ?」


「あるけど……」


「それなら大丈夫だろ? 新作を弁償するから、な?」


 機嫌を損なわないよう必死に謝るトモに対し、シンはくだらないことをするからだと批難しつつ未だに波紋が消えない水面を覗き込んだ。


「やっぱり深いのかな……というより、こんな汚い水の中に入ったスマホなんて無事じゃないか……」


「そう! その通りだ! 頼むよ、Tao……この動画だって今に問い合わせが殺到するんだ。とりあえず今はこの村について全部を撮ろう、な?」


「……わかった。最新の機種だからね」


 そう言ったTaoは撮影の再開を承諾した。すると、途端に態度をガラリと変えたトモは、先に廊下の人形たちとのシーンを撮るからと言って彼女を廊下へ連れ戻した。


「おーい、シン! お前も早く来いよ」


「はいはい、わかりましたよ」


 まだ揺れている水面を肩越しに一瞥したシンは、チラチラと揺れるライトで踊る人形たちの廊下へ戻った。




 水面を裂いて、何かが落ちて来た。


 ドロリ、と淀んだ水の中で輝く奇妙な四角い物体。


 止まってしまった永遠の中で、彼らはそれを見た。


 ありとあらゆる人を繋ぐ現代の草結びの糸――スマートフォンを……。

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