囚われのエクストリテ

猫パンチ三世

第1話 終わりかけの世界

 笑って死ねたら満足だろうか。

 生きている時どれだけ苦しくても、最期の瞬間に笑って死ねれば満足できるのだろうか。


 もし、最期の瞬間に笑って死ぬ事を幸せに感じる事ができる人がいるのなら。


 この世界ほど、幸福な世界は無いだろう。


「おい聞いたか? 軍の奴ら、また負けたんだとさ」


「またか、今度はどれくらいやられたんだ?」


「全滅だとよ、噂じゃ新しく投入した兵器もてんで役に立たなかったんだと」


「へっ、ざまあねえな。あんだけ普段はいばり散らしてるくせに、いざって時はクソの役にも立ちゃしねえのかよ」


 窓の外から聞こえる雑音、それは家の中にいる青年の耳には届かなかった。

 青年は椅子に座り、パラパラと色褪せたノートを眺めていた。

 

 人なのか、それとも花なのか、なんだかよく分からない絵が描かれたノート。

 それを見るのが、彼の毎日の日課だった。


「おーい! 真一! 起きてるかー!」


 元気のいい声と共に、ドアが強く叩かれた。

 青年は相変わらずだなという風に小さく笑い、ノートをしまい、ドアを開ける。


「おはよう、相変わらず朝から元気だな」


「まーな、朝にテンション上げとかねえと夜まで持たねえからな」


 真一の家を訪ねてきたのは、彼の同僚である春野和弘はるのかずひろだ。

 和弘はいつも後ろ髪に寝癖がついているのが特徴の、元気でよく笑う感じの良い青年だ。


「もう出れるか?」


「大丈夫、すぐ行くよ」


 真一は荷物を持つと、すぐに家を出た。


 二十分ほど歩き、二人が辿り着いたのは彼らの仕事場である工場だった。

 敷地はかなり広く、かなりの規模の工場が四つほど並んでいる。


 警備員に声をかけ、二人は第二工場へと向かった。


 工場内に入ると、二人の上司である山岸哲郎やまぎしてつろうがいた。

 彼は二人を見るなりぶっきらぼうに手を上げる、口は悪く顔もいかついがそこまで悪い人間ではない。


「おはようございます」


「おう、おはようさん」


 哲郎は何やら作業員の服装をチェックしているらしく、汚れがひどい作業着を着た作業員たちを注意し、綺麗な物と取り換えるように指示していた。


「どうかしたんですか? やけに服装に厳しいみたいですけど」


「さっき上から連絡があってな、軍の連中が今日ここに視察に来るんだとよ。それでみっともねえ服で仕事するのは見栄えが悪いってんで、今日はなるべく綺麗な服を着て仕事しろとさ」


「へえ……なんだかめんどうですね」


「めんどくせえが仕方ねえ。上の指示を黙って聞かなきゃ飯は食えねえし、食わせらんねえからな。おら、お前らもさっさと着替えて持ち場に行け」


 二人はなるべく綺麗な作業着に着替えると、いつものように持ち場へ付く。

 やがてチャイムが鳴り、仕事が始まった。


 二人の仕事は軍需製品の組み立て、十三の時から今の工程を任されて五年になる。

 会話をしながらでも作業ができるくらいには、仕事に慣れてきていた。


「なあ、軍の連中なんでわざわざこんなとこに来るんだろうな。あいつら暇なのかね?」


「暇って事は無いだろうけど……」


 真一の隣で作業する和弘はそんな事を言いながら、ボルトを手早く締めていく。

 働いている年数は同じだが、真一よりも彼の方が仕事が早い。加えて人当たりもいいため、周囲の人間にも好かれている。


 そういう生きる事に対する一種の器用さのようなものは、真一も素直に尊敬していた。


 仕事が始まってから二時間、十分ほど休憩を挟み仕事が再び始まる。

 昼休憩まであと三十分、といった所で近くの工程を担当している知り合いが二人の所へやってきた。


「どうしたんですか?」


「さっき別工場の奴から連絡が来てな、軍の連中がここの近くを通るらしい。いつも通りに仕事してれば問題は無いと思うが……とりあえずその事だけ伝えにきたんだ」


 彼はそれだけ言うと、自分の持ち場へ急いで戻っていった。

 

「うげ、昼飯まで三十分しかねーじゃん。来るならさっさと来て、さっさと帰ってくれよな」


「あんまそういう事は口に出すなよ、聞かれたら面倒だからな」


「へいへい、分かってるって」


 そこから五分ほどして、軍の人間はやってきた。

 黒い軍服に身を包んだ彼らは、丸々と太った豚のような工場長に工場内を案内されていた。

 ちらりと真一がそちらに目をやると、先頭を歩く背の小さい男はなにやら工場長に嫌味を言っているらしく、嫌な笑みを浮かべながら忙しく口を動かしている。

 だがそれと対照的に後ろにいる背の高い男は、何も言わずそれどころか表情すら動かしていないように見える。

 ただ暗く、冷めきったような目で周囲を見回していた。


 三人は、やがて真一たちの近くの通路へやってきた。


「お? ずいぶん若え奴が働いてんな。おい工場! 品質の方は大丈夫か?」


 背の小さい男は真一たちを見るなり、耳障りな声で嫌味を言う。

 

「ああ……あの二人はもう五年も働いておりますし、万が一が無いように品質チェックも厳しくしておりますので……」


「ほんとに頼むぜ? こっちは戦えないお前らのために命かけてやってんだ、いざって時に不良品でしたじゃ困っからよぉ!」

 

 背の低い男はそう言ってゲラゲラと笑う、同じ人間かと疑いたくなるような品性の無さだ。


「んだよ……あいつ、うっぜえな……」


「おい、やめとけって。気持ちは分かるけど、揉めた分だけ損するぞ」


「ちっ……分かってるよ」


 口ではそう言うが、和弘がかなりキレているという事に真一は気付いている。

 いつ立ち上がって掴みかかりにいくか、内心ヒヤヒヤしていた。


 煽ったが特に反応が無かったからか、男はつまらなそうに舌打ちをし別の工程へ歩いて行った。

 ふう、と胸を撫で下ろし真一が和弘と昼飯の話をしようとした時だ。


 ガチャン! と何かが倒れるような音が工場内に響き渡る。

 作業の手を止め二人が音のした方を見に行くと、部品を運んでいたカートが倒れ、床には各工程へ運ばれるはずだった部品が散乱していた。

 そしてその横にはカートを押していたと思われる女性が倒れ、近くにはあの背の低い軍人が冷や汗をかきながら立っていた。


「大丈夫ですか!」


 和弘は音を聞いて集まって来た作業員たちを押しのけ、倒れている女性の元へ向かう。

 真一もわずかに間を置いて、それに続いた。


「う……」


 倒れた女性は腕を抑えて呻いている、どうやら倒れた時に腕を地面に打ち付けたらしい。


「急いで医務室に運ばないと。真一、手を貸してくれ」


「分かった」


 二人は女性に肩を貸し、医務室に連れて行こうとした。


「けっ、バカ女が。ちゃんと前みろってんだ」


 男はそう言って額に滲んだ冷や汗を拭う。

 自分が飛び上がるほど動揺した事を周りに気付かせないための言葉、それはあまりにも汚らしく、そして的確に和弘の逆鱗に触れた。


「おい……いま何て言った?」


「あ?」


 和弘は近くにいた知り合いに肩を貸す役目を代わって貰い、男に近づいた。


「なんだよ、何か文句があるってのか」


「あんたのせいで怪我をした人がいるんだぞ!? 大丈夫ですかとか、すいませんとか言う事あんだろうが!」


「おいおい、そっちがぶつかりそうになったんだぜ。何で俺が謝るんだよ」


「あれが目に入んねーのか?」


 和弘は、柱に貼られた注意文を指差した。

 そこには『ランプ点灯中は横断禁止』という文字が並んでいる、状況的に男がランプ点灯中つまり部品の運搬中に、カートの進路に飛び出したと考えられた。

 その証拠に、カートが過ぎ去った後は消えるはずのランプが点きっ放しになっている。


「ランプだけじゃない、カートが通路を横切る時は音だって鳴るし、カートが通るルートも床に書いてある。どう考えてもお前が飛び出したんだろうが!」


 辺りはシンと静まりかえった、和弘の言葉に間違いは一つも無かった。

 この工場で働いている人間なら、誰が悪いかは一目でわかる。


 この場にいた全員が、言葉には出さないが彼の言葉に賛同していた。


 男は面倒くさそうに頭を掻き、はぁと大きく息を吐いた。


「うるせえなぁ……だから何だってんだよ」


「なに?」


「こっちは命かけてお前らを守ってやってんだよ、少し床に転げたぐらいでギャーギャー騒ぐんじゃねえよ」


「てめえ!」

 

 和弘が軍人の胸倉に掴みかかった次の瞬間、男は彼を殴り飛ばした。

 吹き飛ばされた和弘は、近くにあったゴミ箱にぶつかり中身をまき散らした。


「くそ……!」


 和弘は唇を切ったらしく、口の端から血が流れている。


「だからお前ら軍人は嫌いなんだ! 横暴で、自分勝手で! 偉いからってやっていい事と悪い事があるだろうが!」


「何もできないガキが偉そうな口をきくな! お前はあいつらと戦ってねえからそんな口がきけるんだ、軍に入ってあいつらの姿を見れば嫌でも分かる。俺たちがどれだけ命かけてるかってな!」


「知るか! 謝れ、あの人に謝れよ!」


 男はその言葉で頂点を迎えたらしい、胸元から拳銃を取り出し和弘に向けた。


「クソガキが……ここで殺されてえか!」


「おい……それ以上はやめておけ。子供相手にそこまですることはないだろう」


「うるせえ!」


 背の高い軍人の言葉を一蹴し、男は和弘を睨みつけた。


「土下座して謝れば許してやる、しなければ……分かるよな?」


「クソ野郎が……」


 和弘は仮にここで撃たれたとしても、頭を下げるつもりはなかった。

 そう決めていた彼の覚悟は、隣で土下座した友人の姿によって揺らいだ。


「真一……!?」


「すいませんでした」


「誰だお前?」


「こいつの友人です、こいつは良い奴ですが感情的になる事が多いんです。友人として、同じ職場の人間として代わって謝罪します。どうかこれで許してください」


「へえ……ずいぶん物分かりの良い友達がいるじゃねえか。それでお前はどうすんだ? 友達に頭下げさせて、自分は意地を通すのか?」


「ぐっ……」


 和弘は奥歯が砕けるかと思うほど歯を食いしばりながら、真一と並んで頭を下げた。


「はっ、最初からそうすりゃいいんだよ」


 男は満足したらしく、拳銃を胸にしまい床に転がった部品を一つ蹴り飛ばしてから行ってしまった。

 工場長は真一たちには何も言わず、ペコペコと頭を下げながらその後を追う。

 最後まで残っていた背の高い軍人は、真一を少しの間だけ見つめてから行ってしまった。


 和弘は頭を下げながら、隣の友人の方を見た。

 真一は、彼らの姿が見えなくなるまで頭を下げ続けていた。

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