解放の軍旗よ、永遠なれ!〜自由フォルスカ解放軍・2316日の交戦記録〜
アルクィル
追憶:「独立暦79年燐光月17日」【序】
一つの巨星が、この世から姿を消した。
残された小さな星々は巨星の記憶を紡ぎながら再び微かに輝きだす。彼らもまた、やがて消えゆく自らの
それこそが、生きるということなのだから。
*****
【
この年で最も深い銀雪と静寂に包まれたヴァルシャヴァ市街の至る所にて、夜の闇のように黒い喪服の集団が、途切れない隊列を組んで市街の中心部へ歩んでいく。
栄光の歴史を積み上げたような美しい煉瓦造の旧市街も、現代技術の粋を集めた光り輝く摩天楼が天まで聳え立つ新市街も、まるで住民の心を映したかの如く、みな悲しみに沈んだ姿をしている。
鮮やかな赤と清廉な白の地に、国章たる金の八芒星を冠した銀鷲が羽を広げる────この偉大なる
そう。私達は今、大きな喪失の只中にいる。
立体映像は窓からもたらされる全ての静寂に挑むかのように情報を流し続けていたが、その電源を切って老人は物思いに沈む。彼の一瞬とも永遠とも取れる懐古は、丁寧なノックと部屋に響く声で中断することになる。
「お義父さん、もうすぐ出発しますよー!」
「分かったヘンリク君、今行く。」
軋む老体に鞭を打って立ち上がり、硬くなったクローゼットを開いて彼は自らの着るべき服装の発掘を始めた。
「確かここにあいつが入れていたはず……勲章も……あったあった。すまんな……モニカ……」
今は亡き愛する妻への感謝を心に浮かべ、古びた、しかしながらもよく整えられた軍服に袖を通す。
「階級章は……変えてあるな。略綬はなるべくない方がいいだろう。」
身につけるべき勲章も全て丁寧に磨かれ保存されており、かつてのように煌めいているが、その重さは昔感じたそれとは比べ物にならない。
「“あの人”との別れに命ある状態で、しかも“あの人”の元で頂いたこいつらを同伴させることができる、まあ幸せだと言うべきじゃろうな。」
身支度を終えて玄関へと急ぐ。
穏やかな黄色の光は、愛する家族の元へ確実に彼をを導いてくれた。
深い皺と手の甲を横断する古い傷跡を刻んだ左手は、男がその老体を酷使してでも出向かなければならない理由を証明する一枚の紙を、確実に手にして包み込んでいる。
「じいじ、これもって!」
「助かったよ、アルベルトや。ありがとう。」
「うん!」
明らかに真新しい喪服を着ている、“これから何をするのか”ということを全く分かっていない様子の幼い少年が、老人の使い慣れた樫の杖を手渡し、自らの手を繋いでくる。
軍靴を履き終わった老人は、それを使って立ち上がると、扉の先の階下から長い赤毛を風に流した若い女がやって来た。
「パパ、ヘンリク義兄さんとヤドヴィガお姉ちゃんはもう車よ。行きましょう。レフお兄ちゃんとアンナさんは先に会場にいるって。ほら、アルベルトも行くわよ。」
「久しぶりだなジャネッタ。お前も……大きくなったな。」
「帰還式以来だから半年も経っていないのに。大丈夫?」
「バカ言え、体はともかく頭にはまだガタは来てないぞ。」
成長を感じさせた彼の末娘は、父の方に振り返えり整った姿勢で敬礼をする。
「はいはい、そうですね……タディウス・ヴィゼンツキ“退役大尉”殿。」
「フッ、そう言う“現役の”中尉殿は、性格がだんだん母君よりその妹御のほうに似てきましたな。」
「もう昇進の内示はきたから同等よ、残念でした。」
こうして他愛もない親子のやり取りをしながら家を出て車へと向かう。足元を見れば純白の絨毯の上に3組の黒い穴が空いては埋もれていく。
「じいじ、なんかかっこいい!きらきらしてる!ジャネッタおねえちゃんのふくよりすごいよ!」
「まあ実際、博物館に展示してそうな古い型の軍服だからね。おまけに略綬なしの勲章完全装備。子供がはしゃぐのも無理ないか。」
この奇妙な隊列はこうして目的地へとたどり着いた。
まだまだ慣れない長女夫婦の新車、そのやや固い席へと腰を掛けた。暖房が確実に冷えた体を温めていく。
聡明で優しい風貌をした義理の息子は顔に似合った穏やかな声で確認した。
「お義父さん、参加証の方は?」
「大丈夫じゃ。この通り持っておる。国防省まで運転を頼むぞ。」
タディウスは紙を見せて返事をした。
「分かりました。では出発しますね。」
こうして出発した車は家から街路へ、さらには国道を経て都心部を網羅する高速道路へと至った。車載ラジオはどの局も轡を並べて同じ出来事について話している。
「ジャネッタ、国営放送局にしてくれ。」
「はーい。えーと、ここを確か3回転っと。」
アナウンサーの無機質な音声が響く。
『……以上天気予報でした。朝から番組の編成を変更して特別番組をお送りしております。今月11日、
『……ここで速報です。ヴァフェーザ大統領は先程、メイティカ氏への退役時に遡及した《フォルスカ元帥》への昇進、また
「《フォルスカ元帥》――“
「“あの人”の我が国、いや世界への貢献は計り知れんからな。大戦から最早50年以上も経っているのもあるじゃろうが。歴史の遺物とはいえ、“解放の英雄”に報いるにはこうでもしなければ足りんわ。ジャネッタ、お主も“あの方”が作り、“あの方”の名を冠する部隊に配属しておるんだから、きちんと歴史を学ぶんじゃぞ。」
「これでも戦史の成績は良かったほうなんだけどね……分かったわ。誰かさんの自慢話じゃない、ちゃんとした資料を探してみるね。」
ラジオアナウンサーは息つくことなく、今度は英雄の叙事詩を紡ぎ続けた。
『ここで再び、彼女の生涯を振り返ってまいります。メイティカ氏は世界紀元1555年、かつて分割前の我が国に存在した
「……シュアフタとかオルディナトルとか、歴史の教科書の中世のページで出てくる言葉ばっかりね。」
「まあ今時貴族の家門とか言われても、『だから何?』って感じでもう何の価値も感じないしね。一応血脈は続いているけど、なんやかんやで財産も土地も失ったりした人ばっかりじゃないの?」
完全に現代フォルスカ人とも言うべきヤドヴィガとジャネッタは雑な推理をしあっている。勿論、その推理は大半が正解なのだが、一応はそういう人種がまだまだ影響力を残していた時代を生きていたタディウスからすると、まさしく隔世の感があった。
『1568年のフォルスカ独立を経て、弱冠18歳で、設置されて間もないフォルスカ地上軍士官学校・騎兵科装甲兵器部に第一期生として入学。卓越した成績で卒業すると、我が軍初となる生え抜きの装甲兵将校の代表的存在となり、若くして昇進を重ねました。34歳の時勃発した《21年防衛戦争》に地上軍装甲兵大佐・第10独立騎兵旅団長として従軍。《大撤退》の日まで、強大なミレン=ジェルム帝国陸軍に対して一度も戦術的敗北をすることなく戦い抜き……』
やがて、眠気によりラジオの音声が遠のいていくのに合わせて思考が深みへと沈んでいく。
(そうじゃ、儂は最後まで戦い抜いた。あの人の下で。)
(私は世界を駆け巡った。あの人と共に。)
(俺は生きて英雄になれた。あの人のおかげで。)
(俺は貴女と戦列を並べることができて、本当に光栄でしたよ。いつになるかは分かりませんが、再び貴女のもとへ馳せ参じる日も近いでしょう……なるべく遅いペースで行くつもりですが、そこはお許し願います。今はただ安らかに……)
だんだん意識も遠のいていく。思考が夢へと再び取って代わる。
「じいじ、どうしたの?ママ、じいじ“こくそう”いきたくないの?」
「……大丈夫、寝てるだけよ。あんなに招待状が届いて嬉しがってたのに行きたくないはずないでしょ。……まあでも、いくら大戦時の退役軍人とはいえ、うちみたいな一般家庭に、大統領やら議員やら外国の偉い人やらが来るような行事へのチケットが届くなんて思わなかったけどね。」
ジャネッタが助手席から振り返って疑問を投げかける。
「あれ、お姉ちゃん知らなかったの?パパは15歳のときからメイティカ将軍と共に戦った古参兵よ。将軍と一緒の戦車に乗ったこともあるって言ってたじゃない。」
「そういう話は何度か聞いたことあったけど、半分ホラだと思ってたもの。軍人志望だったあんたはともかく、私は興味なかったし。お母さんに聞いても、はぐらかして本当かどうか答えてくれなかったし……」
「そういうことだったのね。言われてみたら、アタシだけがやたらと食い入ってた気がするわ。……ねえアルベルト、今度遊びに来たら、お姉ちゃんがメイティカ将軍とおじいちゃんのかっこいい戦いのお話を聞かせてあげるわ。」
「ほんとうに?たのしみ!」
穏やかな寝顔を浮かべる老人を囲って、家族は記憶の継承を行っている。
しばらくすると、車はビル群が林立する都心部へと入っていった。鉄とコンクリートでできた現代の大森林をかき分け進み、やがて周囲に開けた敷地を持つ前衛建築のような複雑な形をした建物が一行の目に映った。
警備員のチェックを済ませ、敷地内に入る。一般駐車場はそこの日常的な使用率を大きく上回っていたが、それでも計画的な交通整理が功を奏し、混乱は見られなかった。
誘導に従って停車すると、周囲にも続々と建物内へ入る人々の姿が見えた。ヴィゼンツキ一家もそれに続き、ゲートへと進む。
中へ入ると、腕章をした若い軍人が近づいてきた。
「式典参加証をお見せください。」
「うむ。これじゃ。」
「確認しました。あちらの出口から出て、右から3番目の車にお乗りください。お連れの家族も同様に。」
「感謝する。では引き続き頑張ってくれ。」
一通りの問答を済ませて、タディウスはややからかう気持ちを込めて最敬礼をし、ある言葉をかけた。
「自由なる祖国に栄光あれ!」
すぐさま返答はなされた。
「解放の軍旗よ、永遠なれ!」
しばらく緊張感が続いたが、タディウスは破顔してそれを崩した。
「ワハハハハ、大戦後期の合わせ符牒なんぞによく気づいたな、お若いの。」
気づいただけでなく、応答をこなした若者に心から老人は賞賛の意を示した。
実際に使っていた人々ならともかく、こういった記録に残り辛いものはマイナーな分野であることでは事実である。
*****
《21年防衛戦争》にて大敗を喫し、国土を捨てて将兵を逃す苦渋の選択を取ったフォルスカ。それ自体は功を奏した。
しかし、いざ祖国への帰還目前、となった時に重大な問題が生じた。
その問題について考えるには、当時フォルスカ亡命政府が掌握していた二つの戦力────国外に長らく亡命して戦い続けた元正規軍である《自由フォルスカ解放軍》と、国内で結成され統一レジスタンス組織として雑多な人々を糾合した《フォルスカ国内抵抗軍》の存在について考慮しなければならない。
端的に言えば、内情は全くもって異なるこれらの組織が合流して解放を進めていく最中、下手をすれば同士討ちや紛争が起きかねないと提起されたのである。
その答えとして“英雄”メイティカが「士気高揚のプロパガンダに書かれている文章を分割すればいい」と、片手間仕事で乱雑に放り投げた結果がこの“合わせ符牒”である。
少年兵も多いレジスタンスですら簡単にできた上に、戦況の悪化によりフォルスカ駐留のジェルム軍の質が全ての面で大幅に低下していたので、結果的には大成功を収めてしまい、
*****
そのような、知った者を複雑な心境にさせる裏側の経緯ですらも、若き将校は十分知悉していた。この上で、数多い組み合わせのうち一つでしかない先程の文章を諳んじることができたのだ。
先人への深い尊敬の為せる業であっただろう。
「いえ、貴方たちのお陰で今のこの国があるのです。これくらい当然ですよ。……本当にご苦労さまでした。」
「うむ、君のような若者がいれば祖国は安泰だ。頑張ってくれたまえ。」
最後は堅く握手をしてその場を去った。
誘導の通りに進み、輝くばかりに黒い公用車へと乗って会場へと向かう。国防省からのルートは一般車の封鎖がなされているのか、同じ類の車がまばらに行き来しているだけで、特に何事もなく目的地へたどり着くことができた。
【同市内 ヴァルシャヴァ聖十字星教会】
荘厳かつ華麗、歴史の息吹を感じさせる、世界人類の共通財産とも言うべきこの場所。
《21年防衛戦争》での無差別空襲、大戦末期に起こった《ヴァルシャヴァ蜂起》からすらも生き延び、『戦禍すらも魅了して止まない』と称えられる由緒ある祈りの場が、第一の会場であった。
厳粛な空気に包まれたそこでは、数多くの喪服の集団が、至る所で様々な言語で会話をしている。
その中をかき入り、タディウス達は先に来ていた2人との合流を目指した。
「父さーん。こっちだよ。」
こちらに気づいた様子の青年が立ち上がり、手を振って合図をしている。
案内されたところに行き、タディウスは空いていた彼の右側へと座る。他の家族はやや詰めて1つ後ろの席に座っている。3人がけの座席に対し、子供を含めているとはいえ4人で座っているためだ。
「すまんなレフ、ありがとう。おおアンナさん、お久しぶりですな。」
タディウスは息子に礼を述べながらその恋人へと挨拶をする。
「お久しぶりです、タディウスさん。なんかすみません、私なんかがご同席させてもらって……」
アンナ、と呼ばれた眼鏡をかけた女性は遠慮がちに返答した。血縁がないせいでジャネッタよりも更にこのような場に出る驚きを感じているのであろう。
「いやいや、君ももう我がヴィゼンツキ家の一員みたいなものじゃないか、遠慮することはないよ。」
そういう父の言葉に、彼女の恋人である
「ちょっ、父さん!」
「ほほ、まだ早かったようじゃの。」
こうしてタディウスはしばらく会っていなかった息子と
談笑が一息ついた後も、タディウスは前方の席に座る参列者に挨拶をしたり、議員や高級軍人からのご機嫌伺いの対応をしたり、果ては国営映像局のインタビューまで受けるなど忙しなく振る舞い、とうとう開始時刻になった。
規定のとおりにつつがなく式典は進む。
参列者は老若男女、肩書の如何を問わず、長い生を終えた英雄への祈りを捧げる。
大統領や首相、世界各国から来た要人たちによる弔辞。軍歌や賛美歌の演奏。全てが威厳をもって為される。
そして儀式は終盤に差し掛かり、式典を進める聖職者が彼女を讃え神にその安らぎを祈る説教を終えた。
「……偉大なる全能の主よ、貴方のもとへ赴く御子を救い、癒し、安らぎを与え給え。真摯に祈ります。」
「「「「「|真摯に祈ります。」」」」」
聴衆が呼応する。その後、一分間の黙祷が捧げられた。
教会の外でもそれは変わらず、国中がしばしの間祈りを捧げている。
やがて最後の演目に至る。
煌びやかに着飾った軍楽隊が、これまた光り輝く楽器で国歌を奏でる。
“
そう始まる歌はフォルスカと言う国が、人が、どう生きどのように在るのか雄弁に語っている。
苦難の歴史も、建国の理想も、全ての祈りがこれに込められているのだ。
再誕せよフォルスカ、自由なる祖国!
我らは滅びず、再び一つの旗へと集った。
たとえ無数の敵が襲いかかろうとも、
我らは堅く剣を持ち断固として抗う!
人々は勇壮かつ決意に満ちたその詞を高らかに歌い上げる。まるで死者への誓いのように。
ああ、フォルスカよ!汝に永久の祝福あれ!
ああ、フォルスカよ!汝に黄金の繁栄あれ!
あるいは痛切な願いにも似た最後の歌詞を歌い終わり、しばらくの静寂の後に万雷の拍手が会場を包む。
それは幕切れの証。最後の葬送曲。
“英雄”エルヴィラ・マリア・カジミェーヴナ・メイティカは、この瞬間に真の死を遂げたのだ。
特別車に乗せられた棺が教会を出て、次なる目的地へと向かう。
大戦時の
(ある時代の終わりが、確かにここにある。消えゆく者、生まれる者。その循環は続き、想いは確かに継がれていく。)
「解放の軍旗よ……永遠なれ。」
その微かな呟きを聞いた者は存在するかもしれないし、しないのかもしれない。
そこにはただ、想いだけがあった。
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