第9話(4) ルーブル

 いつまでもレジ付近で突っ立っているのもなんなので、私と優子ちゃんは瓶を手にイートインスペースに移動した。

 店に入ってすぐ右奥にあるその場所は、店内で買った物を食べたり飲んだりするだけにとどまらず、時には近隣住民の話し場としても活用されている。今は閑散かんさんとしているが。


 壁際かべぎわのテーブル前に置かれた椅子に、二人並んで腰を下ろす。


「そう言えば――」


 直後、レジからくみやんの声が飛んできた。


「みどちゃんのバイト先、ちょっとした噂になってるみたいね」

「噂? どんな?」


 嫌な予感はするが、一応聞くだけ聞いてみる。


「店員が美人ぞろいで、目の保養になるって」

「……」


 まぁ、喫茶店に限らず飲食店にそういう目的で来るのが悪いとは思わない。百合さんだって冗談めかしであるが、その事を歓迎する言葉を以前口にしていた。しかし――


「それを聞いて、私はなんて返せばいいのよ」


 反応に困るのもまた事実。大人の対応をしてもいいのだが、それはそれでなんとなく感じが悪い気がする。


「やったーとか?」

「私がそんな事言うと思う? 大体、その中に入ってるかどうかも分からないのに」


 人の好みは千差万別せんさばんべつ。なので、絶対入ってないとも言い切れないけど、結局その程度。今の話を、自分の事として受け入れる度胸も自信も私にはなかった。


かがみ貸してあげようか?」

「いらないわよ、別に」


 自分の顔なら毎日見ているので、よく知っている。


「優子ちゃんはどう思う?」

「え? 私ですか?」


 くみやんから突如とつじょ話を振られ、優子ちゃんが戸惑いの反応をみせる。


「ちょっと、困ってるでしょ。優子ちゃん、面倒めんどうくさかったら無視していいからね」

「なんだとー」

「私は――」


 それまで私達のやり取りを黙って聞いていた優子ちゃんが、ふいに口を開く。


「みどりさんが働いてるお店が近くにあったら、毎日通います」

「いや、そういう事じゃ……」


 ない事もないのか。個人の感想には、多かれ少なかれ主観が混ざる。完全に客観的な意見なんて、この世にはおそらく存在しない。客観的であろうとする意見にさえ、客観的であろうという意思が介入かいにゅうするのだから。


「ほらー」

「ほらーじゃないのよ。優子ちゃんはそもそも私に対して好意的だし、一人だけの意見じゃああぁそうかとはならないから」


 私の言葉に、くみやんが満面の笑みで自分を指差してみせる。


「はいはい。二人ね。それでもよ」


 身内二人の意見を根拠とするのは、さすがに弱過ぎる。面識のない誰かだとしても、もう少し数が欲しいところだ。


「あーあ。まったく、どうしてこうなっちゃったのかねー」

「……」


 その理由はくみやんも知っているだろうに、本当に性質たちが悪い。

 というか、知った上でこうしていじってくるのは、くみやんくらいだ。まぁ、そもそも知っている人間が二人しかいないので、比較のしようがないと言えばないのだが。


「あのー」


 と優子ちゃんが手をげる。


「お手洗てあらいをお借りしたいんですけど……」

「あ、うん。どうぞどうぞ。トイレに行っといれなんちゃって」

「あはは……」


 くみやんの寒いオヤジギャグに愛想笑あいそわらいを返しながら、優子ちゃんがお手洗いのある方に足を向かわせる。


「この前、坂本さかもと君と大原おおはら君がお店に来てさ」


 急に声のトーンを落とし、くみやんがそう話を切り出す。


「それって、中学の同級生の?」


 私に対してなんの説明もなしに話し始めるという事は、つまりお互いに知っている相手という事だろう。となれば、小学校か中学校の時の同級生、もしくは……。


「で、その二人が話してたんだけど、田澤たざわ君こっちに帰ってきてるみたい」

「……」


 田澤慎也しんや。それは私とくみやんの中学時代の同級生であり、小学時代の同級生でもある。そして、私に今も消えない呪いを掛けた相手だ。

 高校はスポーツ推薦すいせんで他県の学校に行ったらしく、年に何度かこちらに帰ってきていたようだが、ここ数年顔を合わせる事はなかった。けれど、これからは……。


「まぁ、偶然会ったからどうって話でもないんだけどさ、一応伝えておいた方がいいかなって」

「……そうね。ありがとう」


 確かに、その話を聞かずに会っていたら、動揺のあまり頭が真っ白になっていたに違いない。

 それくらいあの時の言葉は、私の中に大きな傷として鮮明に記憶されている。


「みどちゃんには、優子ちゃんみたいな子が必要なのかもね」

「何よ、急に」

茶化ちゃかしもふざけもせずに、純粋にみどちゃんを肯定こうていしてくれる子。自己評価が低いみどちゃんには必要でしょ?」

「……かもね」


 優子ちゃんの純粋さにはいつも助けられているし、彼女と一緒にいると気持ちが和らぐ。だから、必要か必要じゃないかで言ったら、当然必要だ。


「もういっその事付き合ったら?」

「バーカ」


 話が急に飛躍し過ぎだ。


 私が誰かと付き合う事はない。少なくとも、この呪いが解けるまでは……。

 あるいは、その相手が――なら。なんて。

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