第二章 大学の友人

第5話(1) 視線

 日曜日。私は朝からバイトに入っていた。


 今日は朝から人の入りが良く、お昼時の今もなかなかにいそがしい時間を過ごしている。どこかでイベントでもやっているのだろうか。


「いらっしゃいませ。いてるお席にどうぞ」


 新たに来たお客さんを出迎え、


「ご注文はお決まりでしょうか?」


 おひやとおしぼりを届け、


「アイスミルクティーをお一つですね。かしこまりました。少々お待ちください」


 注文を受ける。


 息つくひまがないとまではいかないが、少なくとものんびりする間はない。体がというよりか頭が疲労を感じ始めていた。


「みどりちゃん、これ、アイスミルクティー。ゆっくりでいいからお願いね」


 目を見て、百合ゆりさんが落ち着いた声で私にそんな事を言う。


「……はい」


 百合さんから見ても、私は慌てていたのだろう。


 落ち着いて、落ち着いて。


 息を一つ吐いてから、おぼんにコップを乗せる。そして、いつもより慎重な足取りでそれをお客さんの待つテーブルへと届ける。


 十二時半を過ぎると客足はおとろえ始め、十三時にはすっかり落ち着きを取り戻していた。

 と同時に、私のバイト時間も終了する。


「みどりちゃんお疲れ様」

「いや、今日は本当に疲れました」


 私が知る限り、過去最高の混み具合だったのではないだろうか。


「お昼を食べに来たお客さんに、通り雨から避難してきたお客さんがちょうどかち合っちゃったみたい」

「あー。それで」


 どおりでみょうに見慣れない顔が多いと思った。常連さん以外のお客さんも多かったからか。


「はい」


 カウンターに出されたのは、カップに入ったコーヒーだった。


「ありがとうございます」


 バイト終わりに手が空いていたら、百合さんはこうして私にコーヒーをご馳走ちそうしてくれる。この一杯のためにバイトを頑張ったと言っても過言かごんではない。……いや、過言だけど。


 カウンター席に座り、早速コーヒーをいただく。


 うん。美味おいしい。贔屓ひいき目もあるかもしれないが、私はここのコーヒーが一番好きだ。苦くて美味しくてほっとする。


「この調子じゃ、またみどりちゃん目当ての常連さん増えちゃうわね」

「もー。止めてくださいよ。そんなわけないじゃないですか」


 百合さんを目当てに来るならまだしも、私を目当てに来るお客さんなんているはずがない。


謙虚けんきょなのもいいけど、謙遜けんそんも行き過ぎると嫌味になるから気を付けた方がいいわよ」

「またまた」

「何が原因でこうなっちゃったんだか」


 そう言って百合さんが、わざとらしく肩をすくめてみせる。


 原因は分かっている。そしてそれが、あまり面白おもしろくない話だという事も。相手にとっても私にとっても。


「まぁ、いいわ。とにもかくにも、千客万来せんきゃくばんらい。常連さんが増える事はいい事だわ」

「……あまり増え過ぎると、手が回らなくなりません?」


 このお店のバイトは、私を含めて三人。しかも、全員が女学生。必要な時間帯全てを網羅もうら出来ているわけではない。百合さんが一人でお店を回している時間に、今日みたいに人がたくさん来たら……。


「大丈夫よ。私一人の時はそれなりだから」

「?」


 どういう事だ? 忙しくなりそうな時間帯をあらかじめ読んで、そこにはちゃんとバイトが入るようにしているという事だろうか? 百合さんの事だから、それくらいの事やってのけそうではあるが……。


「ん?」


 視線を感じ振り向く。


 常連の少年と目が合い、次の瞬間目をらされてしまった。


 何か気になる事でもあったのだろうか?


「みどりちゃんも罪な女ね。あんな可愛かわいい男の子の心を奪って」

「私ですか? 百合さんの事見てたんじゃ?」

「こっちからはぜーんぶ見えてるのよ」

「……」


 確かに百合さんは少年のいる方を向いていたため、彼の目の動きに私よりも早く気付けた可能性が高い。となると――


「青春ね」

「あれくらいの年頃の子は、一度や二度年上の人に憧れを抱くものなんですよ」

「そういうみどりちゃんにも経験が?」

「私は女子高だったので」


 去年度までは。静香ちゃんの彼氏が入学している事で分かるように、我が母校は今年度から共学校に変わった。それなりに伝統のあるお嬢様学校も、どうやら時代の流れには勝てなかったようだ。


「別に、学校の中だけが出会いの場じゃないでしょ? 現に今ここは喫茶店なわけだし」

「……」


 いやまぁ、そうなんだけど。


「それに、女子高だからって校内に出会いがないと決め付けるのは随分ずいぶん乱暴な考え方だわ」


 百合さんの言う出会いとは、教師と生徒、という話ではないだろう。


「否定はしませんけど、私には縁遠えんどおい世界の話なので」

「そう。まぁ、好みは人それぞれだから」

「ですね」


 特に今は多様性の時代だ。人に迷惑を掛けない限り、好きという感情は尊重され認められなければならない。


 そんな事を考えながら、私はカップを口に運ぶ。


 ビターな旨味うまみが、口の中いっぱいに広がる。まさに、子供の頃に思い描いた大人の味だ。

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