もうええわ。
宮城アキラ
10月1日
漫才。
それは定義があるようでない。
ただ1つ言えることは、舞台の真ん中に、サンパチマイクを置いて、如何にお客さんを笑わせるか。
それが漫才の必要条件である。
俺は、日本で一番大きなお笑い事務所の養成所に、漫才師を目指して入学した。
でも、養成所内で「この人とコンビを組みたい」と思える人はいなかった。
というよりも、俺みたいな人とコンビを組んでくれる人がいなかった。
漫才をこよなく愛し、昭和の漫才ブームから、現在全国で行われる様々なお笑いの賞レースまで精通し、漫才愛を常に語り続ける俺は「異端」として扱われた。
それは生徒からも、講師からも同じだった。
養成所内で行われる、ネタ見せもやる気が出なかった。
相方がいない俺は、ピン芸をやるしかなかったが、漫才のネタなら、ネタ帳にビッシリ書き連ねているものの、ピンのネタなど一つもない。
そんな俺がネタ見せのほぼ当日に考えた、高校生でも考えられそうなネタに、誰も笑わなかった。
というより、笑うはずもない。笑かすつもりもないためであるから当然だ。
この前の授業でも、かなり前にブレイクしたが、その後は鳴かず飛ばずのまま芸歴だけを重ねた芸人が、講師として招かれ、漫才について熱く語っている。
しかし、知識だけでは、俺の方が凌駕しているのは明白で、知りたいことはそこにはなかった。
漫才師を目指す理由。それは明確だった。
かっこいいからである。
昭和の漫才ブームからなんちゃら世代まで、サンパチマイクの前で、言葉だけで、お客さんを笑わせて幸せにする。
...なんてかっこいい職業なんだろう。
そして、もう一つの大きな理由は、日本にしかない文化、伝統であるという点である。
俺が日本人に生まれたのは、漫才をするためである、とすら思っている。
しかし、俺は決して「お笑い」という面では、恵まれた性格に生まれたわけではない。
そういうわけで、俺は相方を見つけられないまま、とりあえずピン芸人として芸人人生を始めることになった。
この物語は、俺が如何にしてお笑い界をのし上がって行ったかという、スターロードを記録したもの。
...になるように日記として書き連ねていくものである。
今日、この日記を始めたきっかけは簡単なことである。
昨日で四月から半年続いた、お笑い養成所を卒業して、一人前の芸人人生が始まったからである。
今日から芸人人生が始まったが、もちろん養成所時代に何の爪痕も残せなかった(むしろマイナスだった?)俺は、仕事があるわけもないくせに、お笑いのためにバイトのシフトだけは外していた。
手持ち無沙汰になり、近所で買い物をすることもなく歩いている時に、本屋さんで日記を見つけた。
理由は、それだけである。
漫才をするために、お笑いを始めたが、「異端」のレッテルを自ら貼って、ピン芸人として始まった芸人生活。
ここまでは、大逆転満塁ホームランで、人生勝ち組になるためのシンデレラストーリーとしては、まずまずである。
ただ、それは成功してから初めて言えることであるから、こんなものを書く暇があるならネタでも書こうと思う。
もちろん、漫才のネタである。
それでは、今日はここまで。
終わり方を考えておいた方がいいな。
あの頃からこのギャグがあったんですよ的な?
...まぁすぐには思いつかないので、次の機会に。
アディオース!
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