勇者の心



彼は顔を少しだけ歪めて痛みに耐えていた。



「何をしているんですか!!」


「ははっ、ごめんねミリア…」



ハルト様は十分彼女をいなすだけの力を持ちながら、何故かその脇腹に小さな剣を受け止めている。



どうして…


勇者だった彼がこんな暴挙を許すはずがないのに。



「ハルちゃんっ、どうして!あんたのせいだ!!あんたがいるからっ、ハルちゃんが!!許さない!!絶対に許さないから!」


その場に崩れ落ちてそう喚くアカリさんの声なんてもうどうでもよかった。



彼女はすぐにモーガン公爵に拘束されたようだ。




「ハルト様、何故…」


「一応場所は選んだんだけど、 びっくりさせちゃったね」



私の頭を撫でながら、空いた手で彼は自らに刺さった短剣を抜きとった。


傷口からは真っ赤な鮮血が流れ出す。



「いたたっ、やっぱり刺されたら痛いね」


「笑い事ではありません!!」



私はハンカチを取り出すして、彼の傷口に強く当てる。


わけがわからず、溢れ出す涙で視界が歪む。




「ミリア、血がついちゃうよ?」


「そんなこと言っている場合じゃないでしょう!ハルト様の頭がおかしくなったと言うのはあながち間違いではないようですね」


皮肉たっぷりにアカリさんの言葉を借りてそんなことを言う私を、彼は困ったように見つめる。


そしてゆっくりと口を開いた。



「…ミリアは僕に責任はないって言ってくれたけど、やっぱりアカリをこんな風にしてしまった原因は僕にもあると思うんだ」


彼の自責の念は未だ拭いきれていなかったらしい。



「勿論全部が全部僕のせいじゃないってことは君のおかげで理解できたんだよ?だけど、やっぱり僕も悪かった部分はあると思うから…少しくらいは、償いたかったんだ」



「償いなら他の方法だっていくらでもあったじゃありませんか!ハルト様は愚か者です!…私が心配するとは思わなかったのですか?」


彼の覚悟はなんとなく理解できたけれど、それでもやはり彼に傷ついてなど欲しくなかった。


痛々しい傷口は今も止めどなく血を流し続けている。


一層力をこめて押さえつけるも、やはりなかなか止まらない。




「ごめんね、もうこれで最後にしたかったんだ。それに僕はこれからミリアと幸せになるけど、君に刃物を向けた彼女に待っているのはきっと地獄よりも辛い日々だから…これくらいのお詫びはしてもいいかなって」


ハルト様のとことん自分を蔑ろにしてしまう部分はどうにかして変えていかなければならない。


そう強く思った。




「離して!触らないでっ!ハルちゃん、ハルちゃん助けてぇ!!」



自分が今しがた傷つけたばかりの人間に助けを求める彼女は本当に図太い。



ハルト様の傷口に当てた手が震える。




「アカリ、よく聞いて」


「…ハルちゃん?」



「僕はアカリにとって都合の良い存在だったと思う。そう振舞っていた。それが君の傲慢さや自己中心性を増長させてしまったことは本当に悪かったと思ってる」


幼子に話すように穏やかな口調で彼は言葉を続ける。




「あの世界の僕は、君への恐怖と両親への歪な執着心で生かされていたんだ。だけど、それももう終わり…僕は君の所有物でもなんでもない」



意志の強い、きっぱりとした口調だった。




「もしもこのナイフが僕じゃなくミリアを貫いていたなら、きっと僕はお前を殺していたよ。ミリアを傷つけようとしたお前を決して許すことなんてできないから」



穏やかに告げる彼だけど、その瞳は鋭く細められ、いつもの優しげな雰囲気が一変してしまっている。




「それでも、もう君には怒りや憎しみなんて感情すら渡したくないんだ。そんな無駄な感情を抱くくらいなら、僕の心の全てはミリアへの愛で満たしていたい」



頭が沸騰しそうなほどの甘ったるい台詞に首から上が火照って仕方ない。


なんて言う愛の告白だろうか。




私だって、他の女性には彼の心のほんの一部だってあげてしまいたくない。





「やだっ、やだよぉ…ハルちゃんはあたしのっ…あたしの王子様でしょう?どうしてあたしのお願い聞いてくれないのよ!!パパやママに言いつけてやるからっ!!そうしたらハルちゃん、捨てられちゃうねっ…あたし本気だから!!」



必死に説得する彼女の言葉がハルト様の心に響くことは無かった。




「誰がハルト様を捨てたって、私がずっとハルト様のそばにいます」


彼女を見つめてそう口を開く。




「最後まで好きな人を傷つけ続ける貴方は最低の人間だわ」


「っ、うるさい!!!」



「モーガン公爵、彼女を連れて行ってください。あとは父に任せます。それと、治癒師を早急にお願いします!」



私の言葉にモーガン公爵はちらりとジェラール様に視線をやり、彼が完全に覇気を失っているのを確認すると謁見の間を後にした。



しばらくすると衛兵がやって来てジェラール様を拘束する。


ハルト様の傷は出血量の割にそこまで深くなく、治癒師が治療を施すとすぐに回復したようだった。




「ミリア!」



息を切らしてやって来た父はしっかり私を叱った後、強く強く抱きしめてくれた。



______私の記憶はそこまで。


どうやら私は心身ともに疲れ果てて、そのまま意識を失ってしまったようだ。





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