#6


「に、妊娠…ですか」


高野はティルの衝撃的な告白に思わず上ずった声を上げる。


「ち、ちなみにお相手は…」


ティルはしばらく押し黙り、地面を見つめる。


「同じパーティのリュウくんです」




やっぱりかぁぁぁぁぁああああ!!!!!!




高野は心の中で頭を抱える。


これが全く知らない人であれば冷静に対応できるのだろうが、すでに高野はリュウともジェラルディともカウンセリングを行っている。


これが多重関係の難しさか…。


自分の持つ色々な情報が様々な感情を掻き立て、中立に…あるいは目の前のクライエントに寄せて、考えることが難しくなる。


この世界に来て、本当に様々な問題に直面する。全ては高野の想定が甘いせいだ。


とはいえ、目の前にクライエントがいる以上、やるしかない。


「リュウ、さんですか」


高野は繰り返す。


守秘義務がある以上、「ああ、リュウさんですね。知ってますよ」とも言えないが、彼がギルドに保護されていることは知れ渡っており、高野が関わっていることもひょっとしたら知っているかもしれないので「リュウさん?誰ですか?知りません」とも言えない。


クライエントへの嘘はできるだけ避けたいところでもある。


故に高野はグレーな答え方を選択した。


「そう…」


「…」


高野はティルの顔をじっと見つめる。


彼女の表情や雰囲気からはリュウに対しての感情は読み取れない。


怒っているのか、それとも悲しんでいるのか、彼女は一体、高野に妊娠の報告をしてどうしようというのか…。


彼女の発言の真意を図りかね、次の発言を黙って待つ。


「…」


「…」


彼女もなにを話せば良いのか迷っているのか、しばらく沈黙が続く。


「それで…?」


高野がゆっくりと促す。


「パーティのメンバーの子どもを妊娠してしまった…」


高野は聞いた情報を繰り返す。


「そうなんです。でも…でも…私…どうしたら」


ティルは涙をホロホロと流す。彼女の白くて大きな胸にポタポタと涙が落ち、高野は目のやり場に困る。


「どうしたらいいかわからない…」


高野は彼女の気持ちを深めるためにあえて言葉を続ける。


「…というと?」


「リュウくん、実は………………私の他にお付き合いしていた女性がいたんです」


「…」


「同じパーティのジェラと、それからあのマリエルって人…。多分、ナーシャとも関係があったんだと思います」


恐らくだが、トラブルの発端となったヒューマンの神官は「マリエル」という名前らしい。


そうか、彼女はリュウがナーシャとも関係があったのではないかと疑っているのか。


3人の話を聞いたことで、徐々に全体像が見えてくる。


「つまり、リュウという人はあなたの他にジェラさんとマリエルさんとナーシャさんと関係があった」


「そう。でもリュウくんはそんなことをする人じゃないと思います。優しい人だから、きっと皆にそそのかされたんだと思うんです」


「ふむ…」


高野は腕を組み、頷く。


「…それで、なにが『どうしたらいいのかわからない』んです?」


「どうやったら他の女の子たちと別れさせられますか?」


「うーーーーーーん…」


高野は頭をポリポリ、と掻き、天井を見上げた。


それはなかなか難しいのではないだろうか?


「他の子たちはどう思ってるんでしょう」


「どう思ってるって?」


「いや、そのリュウさんのことを…」


「好きだと思ってるに決まってるじゃないですか!!だってそそのかしてるのは彼女たちなんだから」


彼女は突然大きな声をあげて、長机をバンッ、と叩く。


「…あ…あ…す、すみません…」


彼女はすぐに拳を引っ込めて小さい声で謝る。


思ったよりも感情を表にするタイプだ。魔法使いとはいえ、Aランク冒険者の彼女の腕力で暴れられたら高野はひとたまりもない。


高野は肝を冷やしながら慎重に言葉を選ぶ。


「そうすると彼女たちを簡単に引き離すのは難しいような気がしますが…」


「そう…ですよね。………………………やっぱり殺すしか無いのかな」


ポソリ、と彼女は物騒なことを呟く。


前髪に影が落ち、陰鬱なオーラが相談室に広がる。


「え?」と高野が聞き返すと、「いや、なんでもないです」と彼女は首を振った。


なんでもなく無くないか!?


思ったよりも物騒な発想の子であることが垣間見える。


「でも…でもリュウくんは一番私のことを愛してくれていたんだと思うんです」


「?」


彼女はぽっと顔を赤らめ、自分のお腹を愛おしそうにさする。


「だって…そうじゃなかったら私に赤ちゃんができるわけ、ないじゃないですか」


うーーーーん…どうだろうか…。


恐らく避妊具もないこの世界では肉体関係があれば等しく妊娠する可能性はあるだろう。


彼女はそれがわからないようには見えない。確信しているように言うが、心の底からそれを信じているわけではないようだ。


「自分が一番愛されていた」と思いたいのだろう。


そう考えると彼女の精神状態はまだ赤信号精神病水準ではない。黄色信号の赤寄りパーソナリティ水準と言ったところか。


「先生もそう思いません?」


「あ、あははは…」


無責任に肯定も否定もできない。難しい質問だ。


「なにがおかしいんですか」


彼女は顔をしかめ、暗い色の瞳で高野を睨む。


「もしかして…バカにしてます?」


マズい…。


高野は彼女とのカウンセリングに難しさを感じていた。


彼女は自分の意見を肯定して欲しいだけのように思える。


そして、それを否定されると暴力をちらつかせて黙らせようとする。


彼女のペースに引き込まれるのはマズい。このままでは殺人の計画に加担したことになるか、彼女の機嫌を損ねて殺されるかの2択になるだろう。


高野は咳払いをして「…いや、失礼しました」と謝罪する。


「…でも貴女の中では答えが色々決まっているような印象を受けます。それなのに私に相談したかったのはなぜでしょうか?」


高野は覚悟を決めて思っていることを慎重に口にしていく。


「…」


彼女は急に押し黙る。だが、彼女の苛立いらだった雰囲気は相変わらず消えない。


「貴女は先程、リュウさんが他の女性と関係を持っていたことに涙を流されました。でもその後、他の女性たちが彼をそそのかした、だから殺すしか無い、とおっしゃっていましたね。…本当にそうですか?」


「…なにが言いたいんです?」


ティルは長い前髪の間から高野を睨みつける。


「貴女は本当に彼と関係を持った女性たちを殺せば、物事は解決する、と思っているんでしょうか?」


高野は彼女が考えたくなくて目を背けている事実をあえて持ち出し、目の前に突きつけた。


「!?」


「どうなんです?」


「それは…」


ティルは視線を泳がせ、自分の服の裾をギュッとつまむ。


深いスリットの入った服の裾が動き、白い太腿ふとももが大きく露出する。


この格好は本当に目のやり場に困るので勘弁して欲しい。


シリアスな場面にも関わらず、視線がそうしたところに自然と向いてしまうのは男性の抗えない本能だろうか。


「解決しないと…困ります…」


「解決、しますかね?魅力的な彼は実際に貴女を含め、4人の女性をとりこにしたわけですよね。…今後も新しい女性の影ができる度に貴女はその人達を殺すんですか?」


「…!?」


厳しい言葉だと思う。だが、高野はあえて言い放った。


ティルは押し黙り、地面を見つめる。そして、ブツブツとつぶやき始めた。


「そう…そうよね。先生の言う通り…。やっぱりリュウくんが魅力的なのがいけないのよ。うん。彼のあそこ・・・を切り取ってしまえば………………いや、それは彼が痛くて可哀想……………。…………………ああ、そっか、彼の可愛い顔をぐちゃぐちゃにしてしまえばいいのか。…………………ううん、そういうのはダメ。そうだ。3人・・で誰もいないところに行けばいい。それなら彼には誰も寄ってこない」


…………この人、大丈夫だろうか?リュウさんか他の女性3人を本当に殺すかなにかしてしまうのではないか。


高野は目の前でブツブツと呟く彼女を見て不安な気持ちになる。


「あの…」


「…?」


ティルは顔を上げてじっ、と高野の目を見る。前髪の間から見える彼女の目には光がない。


理性的に話していくためには、まずは一旦相手の話を聞く。


そして、次の段階だ。ある程度、感情を出させてクールダウンさせたら今度は事実確認をし、現実的な方向性に話をシフトさせる。


このまま殺すだ、なんだ、の話をしていくとろくな結果には至らないだろう。


「まず、彼は貴女が妊娠したことを知っているんですか?」


「…」


ティルは首を横にふるふる、と振る。


「じゃあまずは彼に報告して、これからのことを話し合うのが先じゃないでしょうか?」


現実的にこれからのことを考えるならば、まずは相手と話し合うべきだ。


彼女1人で抱え込む必要はない。


そもそも本当に妊娠しているのか、それがリュウさんの子どもなのか、それも聞きたいがそれはリュウさんの役目だろう。


「…これからの、こと?」


彼女の目に僅かな光が宿る。


「そう。これからのこと」


高野は頷く。


「…あなたは今、不安なんですよね。妊娠したのに、本当に自分と子どもを彼に愛してもらえるのか」


「…ッ!!」


ティルは目を見開く。


「あなたはとても自信がない。だから他の女性に彼を取られてしまうのではないかと不安でしょうがない、違いますか?」


「…なん…で」


彼女の言動や髪型と派手な服装のギャップからくるただの推測だ。失敗すればただの決めつけだし、あまり褒められた手法ではないかもしれない。


しかし、このまま彼女を殺人犯にするわけにもいかない。


そのため、こちらである程度暴走しないようにコントロールする必要があると感じていた。


「貴女がここに来たのは、私に後押しして欲しかったんですよね。『貴女は間違っていない。貴女こそがリュウさんと付き合う権利がある。…だって彼の子を妊娠しているのは貴女なのだから』、と。…でも、残念ながら私は貴女の望む答えを言ってあげることはできません」


「…」


彼女の心の核心を大胆に、そして思い切って突く。


「…なぜ?」


「…だって、それだと貴女はきっと本当の意味で安心できないでしょう?」


「!?」


高野は優しく声をかける。ティルはそれに対して驚いたような顔をした。


「貴女が本当の意味で安心できるとしたらそれは周りの女性を排除することでも、彼が他の人から愛されなくなることでもありません」


「…」


「貴女自身が正面から彼と向かい合って、今後のことを話していく他ないのではないでしょうか」


「!?」


ティルの頬から涙が伝う。彼女は自分で自分を抱きしめるように両腕を引き寄せる。


「なぜならこれは、貴女だけの問題ではない。貴女とリュウさん・・・・・、2人の問題なのだから」


「…」


「貴女が1人で抱え込む必要はないんです」


ティルは高野の言葉を聞いて、ぐっ、と唇に力を込める。


そして、迷うように目を左右に動かし、そして顔を上げて高野を見た。


「で、でも…そんなことをして、も、もし、彼が私を拒絶したら?」


高野はゆっくりと頷いた。


「…………そういうこともないとは言い切れません。その時は…」


高野は言葉を区切り、彼女をじっと見つめた後、微笑んだ。


「私でよろしければ、一緒にまた考えますよ。どうしたらいいのかを…自分や他人を傷つける以外の方法でなら、ね」


「うぅ…………」


ティルはうつむいて、涙を流す。


高野は彼女が泣き止むまでしばらく黙って待った。


「…せんせぇ」


やがて、彼女は小さい声で絞り出すように高野に声をかけた。


「はい」


高野は優しい声で応じる。


「リュウくん、どこに行っちゃったんでしょう…」


そうか…彼女はそもそも彼がギルドに保護されたことを知らないのか。


高野は目を細めた。


それは不安で仕方ないだろう…。


確かにジェラルディが彼の命を狙ったためにギルドの保護下に入ったわけだし、その当事者であるジェラルディがティルにその情報を伝えるとは考えづらい。


ティルの思考が時々マズい方向にシフトするのを知っていれば、尚更ジェラルディはティルにはリュウの現状は話さないだろう。


「彼、行方がわからないのですか…それは不安にもなりますね…」


「…」


ティルはうつむいて肩を震わせる。


「…きっと今の関係が気まずくてどこかに隠れているのでしょう。でも…そのうち、きっと戻ってきますよ」


「…そうでしょうか?」


彼女は高野を上目遣うわめうわめづかいで見つめてくる。


「…いや、私も本人ではないのでいい加減なことは言えませんけどね」


期待を持たせても悪いので高野は曖昧あいまいに言葉をにごす。


ギルドの保護下にある彼がしばらく経ってからとはいえ、彼女たちの前に姿をあらわす保障はない。


それどころか彼の様子だとりずにまた別の所で同じようなトラブルを起こしかねない。


その場合にはこちらもどうしようもないが…。


彼女に期待を持たせて、高野が恨まれるのは嫌だった。


「…と、そろそろ1時間が経ちます。今日のカウンセリングはここまでにしましょう…」


高野は砂時計がもうすぐで落ちきるのに気づき、ティルに声をかける。


「…良かったらまた来てください。不安な気持ちが暴走しそうになる前に」と、冗談めかして付け加える。


ティルは頷くと、頭を下げて礼を言い、退室していった。




「ふぅ…」


相談室を出ていく彼女を見送った後、高野はソファーに腰を降ろして息を吐く。


「…リュウさぁぁぁぁん、あなた、出てきたら大変だよ。俺知らないからな」


高野は自分以外誰もいない相談室で、リュウの顔を思い浮かべ、そう呟いた。

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