第2話 マカロン・ショコラ

 ✩✩✩



 さて、海水浴を楽しんだ私たちは帰路についたわけだけど、ここで事件が起こった。

 えっと、女の子同士のキャッキャウフフな海水浴シーンを見たかった人はごめんなさい。今はそれ自体はあまり重要ではないの。

 重要なのは、海水浴ではっちゃけて疲れきっちゃった緋奈子が電車の中で隣の私にもたれかかってきていることと、服の下に水着を着てきた緋奈子は、タオルは持っていたものの下着を持ってくるのを忘れたらしく──ということ。


 私は、ひたすら腕に温かくて柔らかな感触を感じながら、悶々としていた。いっそのこと私も寝れば楽になれたのかもしれないけど、そしたら電車乗り過ごしちゃうしね。


 しかし、不幸なことに事件はそれだけでは終わらなかった──。



『──急停車します。ご注意ください』


 と、電車内にアナウンスが流れると同時に、乗客のスマホが一斉にビービーと鳴り始める。慌て始める乗客たち。


「はやくなにかに掴まって!」


 誰かがそう叫び、混乱していた乗客たちは各々近くの手すりやつり革に掴まった。

 と、Gをかけながら電車が急停車する。緋奈子の身体も私に押し付けられるけれど、彼女はこの期に及んで目を覚ますことはなかった。


 電車が完全に停止したのを確認してから、私はゴソゴソとスマホを取り出して何事かを確認する。……事故か、地震か、停電か……それとも。


「ヴィランだ!」


 乗客のうちの誰かが大声を上げた。スマホの画面にはデカデカと『ヴィラン警報』の赤い文字が踊っていた。どうやら近くにヴィランが出現したらしい。慌てる乗客を後目に、私は落ち着いて緋奈子を揺すり、起こした。


「ヒナちゃんヒナちゃん」


「……んー? どしたの?」


 まぶたを擦りながら目覚めた緋奈子は、瞬時にただならぬ現状に気がついたらしい。表情が引き締まる。そして、身につけていた白い星型のポーチの中をガサゴソと漁り始めた。

 ふと視線を電車の外に投げた私は驚愕した。


「大変……空が……」


 先程まで夕焼けに染まっていたはずの空は、今は不自然なまでのグレー一色に染まっていた。その空を血のように真っ赤な線が幾重にも横切っていく。遠方に視線を向けると、遥か彼方に黒い大きな柱のようなものが天を衝くように伸びており、そこからおびただしい量のどす黒い瘴気が発生している。──明らかに常軌を逸している光景だった。今までのヴィランの襲撃でも、こんな現象が起きることはなかったはずだ。



「くそっ! どうなってるんだ!」


「魔法少女は……魔法少女はなにをやっているんだ!」


 電車内の乗客たちは口々に不安を口にし、その名を呼ぶ。ヴィランに立ち向かえる唯一の希望──『魔法少女』と。


「ヒナちゃん!」


「え、えっと……うぅ……」


 緋奈子ならこの状況を何とかできるかもしれないと思って緋奈子に視線を戻したけれど、緋奈子はなにやら光り輝くフォークのようなものを握りしめながら小刻みに震えていた。その唇は青ざめていて、ぎゅっと噛み締められている。明らかにビビっている。


「魔法少女なんでしょヒナちゃん! みんなを助けないと!」


「……ハルちゃんどうしよ。……私、変身するの初めてなんだ……」


「えっ……?」


「黙っててごめん! 私、新米の魔法少女なの……」


「えぇぇっ!?」


「怖い……こんなに見られてると緊張して変身できないよ……」


 いや、でも……緋奈子はずっと、出会った時から『魔法少女』だって……あ、でも出会ったのついこの間なんだっけ。めちゃくちゃ仲がいいから長年付き合ってるような気がするけど、私と緋奈子の交友期間はせいぜい数ヶ月だ。高校に入ってから出会ったんだから。

 それならまあ変身したことなくても不思議じゃないかぁ……って今は納得している場合じゃない。


「ねぇヒナちゃん、この状況は危ないの? どこに逃げたらいいの?」


 魔法少女でもない私たちがヴィランについて得ている知識は限られている。せめてどこに逃げたらいいかだけでも聞き出せればと思ったんだけど、緋奈子はしきりに首を傾げるだけだった。



 そうこうしているうちに、バシンッという音がして、電車の電気が全て消えた。無機質な空の、薄暗い明かりでぼんやりと照らされる車内。そして、ゴンッという大きな音がして電車が揺れる。何かが車両の上に着地したらしい。

 乗客のパニックは最高潮に達した。


「まだ死にたくない!」


「クソッ! とりあえず外へ!」


 何人かが非常用のドアの開閉装置を使って電車のドアを開け、線路上に逃げようとした。


「待って!」



 私の制止も虚しく、線路上を駆け出した数人の人達。その人たちを、ピカッと赤い光が撃ち抜いた。──まるで稲妻に撃たれたような、一瞬の事だったけれど、撃たれた人達は跡形もなく蒸発してしまった。

 トントンという足音が頭上から聞こえる。恐らくヴィランは私たちの車両の真上にいるのだろう。


 何が起きているのか分からない。それでも、今が最高に危険な状態だってことは私にもわかる。そして車内には無力な乗客たち。……一か八か、やってみるしかない!


 私は座席の上に立ち上がると大声を張り上げた。


「皆さん落ち着いて! ヴィランは私たちが引き受けますから、ゆっくりと慌てず後ろの車両に避難してください!」


 後ろの車両へと続く扉を手で示しながら叫ぶと、歓声が上がった。


「魔法少女だ! 助かった!」


「頼んだぞ魔法少女!」


「頑張ってね!」


 よし、上手い具合に勘違いしてくれたわね。とりあえずこれで、パニックになって秩序を失ってしまうようなことはなさそうだ。車両には小さい子供もいるから心配だったのだ。


 順序よく後ろの方の車両に流れていく乗客たち。幸いなことに、その間頭上のヴィランは動きを見せなかったし、誰かが外に逃げ出して撃たれるということもなかった。


 やがてこの車両には私と緋奈子の二人だけが残った。


「ほら、早く変身して!」


「ご、ごめん。ありがとうハルちゃん!」


 今にも泣き出しそうだった緋奈子は、光り輝くフォークを右手で持って天に掲げると──叫んだ。


「メランジュメランジュ、ミラクルスイーツ・アドベント!」


 フォークから溢れ出た光が緋奈子の右手を──上半身を──全身を包んでいく。

 光の中から姿を現した緋奈子の髪は銀色に染まり、ピンクを基調としたエプロンドレスのような、フリフリのかわいい衣装に身を包んでいた。


「シャイニングチェンジ! 外はカリッと中はフワフワ、フランス生まれのスペシャリテ! 魔法少女【マカロン・ショコラ】、エンゲージ! です!」


 なるほど、確かに大勢の前であのセリフ言うのは恥ずかしいかもね……。

 緋奈子改め魔法少女マカロン・ショコラは、確かに頭の上や胸元など、所々にマカロンを思わせる装飾が施されている。両手にはあのフォークが、巨大化した姿で握られていた。あれが武器だろうか?


「おーっ、可愛いよマカロンちゃん!」


「あ、あまりジロジロみないで……!」


 私が、マカロンちゃんに拍手を送っていると──ガシャーンと大きな音を立てて少し離れたところにあった窓が粉々に砕かれた。


「ひゃっ!?」


 割れた窓から黒っぽい〝何か〟が滑り込むように車内に侵入してきた。マカロンちゃんが呟く。


「──ヴィラン……?」


 黒っぽいそれは、私が想像していたような禍々しい姿をした怪物ではなく、どす黒いオーラをまとった〝人間〟だった。そして、それは私たちのよく知った魔法少女だった。金髪をポニーテールで纏め、金色に輝く二丁拳銃を構えたその姿は、【クレープ・シュゼット】という有名で強力な魔法少女そのものだったのだ。

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