第四話

「さて、遺跡ともなれば気を引き締め直していかないといけないんだけど――」

 しゃら、とエンカが何気なく剣を抜き、壁際に近付いて行く。

「トバク?」

 呼びかけには答えず、振り向かず、壁際に到着したエンカはその場で少し腰を落とし、剣を引いて――構えた。

 途端、赤みを帯びた光の奔流が刃から噴き出すように溢れ、空気がひりつき、凄まじい圧迫感に他の三人が息を飲む中、

「シっ」

 エンカは小さく息を吐き出しながら、剣を振った。

 耳をつんざくような、鼓膜を突き刺すような高音が響き渡り、相当な威力を籠めて斬り付けたのがそれだけでわかるが――しかし。

 壁には傷一つ付いていなかった。

「駄目か…………結構力籠めたけど、この手応えだと全力でも無理そうかなー」

 エンカはそんなことを、独り言のように呟きながら踵を返して歩き出し、フラト達の前を横切って直方体へ近付くと、その壁面にも同じように刃を叩き付けたが、

「…………ま、そりゃそうか」

 こちらもまたかすり傷一つ付かない壁を見て、納得したように魔力の霧散した剣を鞘に戻しながら、エンカは戻ってきた。

「ってことで、強引な手段での破壊はほぼ不可能と思った方がいいかもね」

「トバクさんで無理なのでしたら、私達も無理でしょうね」

 と、ナナメ。

「んじゃあ、改めて、あの扉とか調べに行こう」

 エンカの検証により、フラト達はこの建物の中に閉じ込められ、力尽くでの脱出は不可能という状況に置かれたのが明らかになったわけだが、寧ろエンカは楽しそうに、足取り軽く、向かって左側の直方体にある『1』の扉に近付き、何の躊躇もなく取っ手に手を掛けた。

 一応、そんなエンカの斜め後ろ、左右にフラトとトウロウが立ち、何が起きても対処できるよう身構えていたのだが。

 扉に手を掛けたままのエンカがフラトの方を振り返って言う。

「なよなよするな」

「なよなよはしてないだろ」

「女々しいな」

「慎重なんだ。脈絡もなく辛辣なのやめろ」

 文句を言い返すフラトに、何故か頭上の蜘蛛が、エンカの唐突で意味不明な非難に便乗するように糸玉を投げつけてきた。

 ほんと何だこいつら。

「私が聞いてもちょっと引くくらいスパルタに育てられたんだから、もっと気楽に構えてなよ。これから一体どれくらいの時間この遺跡の中にいることになるのかわからないんだから、いちいち気を張ってたら身が持たないよ? ホウツキなら、大抵は大丈夫でしょ」

「そのたまに出てくる僕に対する過大評価なんなの? それ絶対適当に言ってるだろ。つーか何が起きても大抵大丈夫なわけないだろ。大概駄目だよ」

 言い返してから更に続ける。

「今は四人いるんだから、こういうことはちゃんと息を合わせた方がいいと思いまーす」

「腹立つ」

「いてっ」

 器用に、エンカは扉に手を掛けたまま片足を振り回して、フラトのお尻を横から蹴った。

 いや、蹴ったというか、つま先で突き刺したというか、抉ったというか。

 結構本気で痛そうにお尻を擦るフラトを、ナナメが可笑しそうに口元を綻ばせて見ていて、その隣でトウロウは呆れたように嘆息していた。

 誰も心配しやがらない。

「ほら、ふざけてないで開けるからね」

「っ」

 咄嗟に出そうになった反論をフラトが飲み込んだのと、扉が開けられたのは同時だった。

 特に――開いただけで作動するような罠の類はないらしい。

「んーと……………………」

 フラト達の警戒を余所に、エンカは呟きながら少しだけ身を乗り出して扉の先を見回していたが、少しして振り返った彼女の表情はどこか釈然としていないというか、肩透かしにでもあったような渋い表情をしていた。

「どうした? 何かあったのか?」

 あるいは何もなかったのか。

「ん」

 質問には答えず、エンカは扉を全開にしながら自身の身を引いた。

 自分の目で確かめろ、ということらしい。

 ならその通りにと、フラトとナナメが並ぶようにして扉の先に顔を突き出して周囲を窺う。

 因みに、背の高いトウロウはそんな二人の後ろに立ち、大きく上半身をだけを乗り出すような形で中の様子を見ていた。

 中は――左右と奥の三方を壁に囲まれた四角い小部屋になっていた。

 何もない、空っぽの小部屋。

 四人くらいなら這入れないこともなさそうだが、ぎゅうぎゅうになって上手く身動きが取れなくなってしまうだろう。

 それくらいの小ささ。

 そんな部屋の中にあって唯一目を引くのは、向かいの壁に赤い色で描かれた『4』という数字。

 すっ、と一歩部屋の中へ足を踏み入れたナナメが、その数字に手を触れる。

「何か貼られている、というわけでもないみたいですね。かといってペンで書かれているようでもない。一体、何を示しているんでしょうか…………」

「今それだけ見てもわかんないでしょ。ってことで次行くよ」

 そう言って向かいの扉――右側の直方体にある『2』の扉へ向かったエンカは既に扉に手を掛けており、ナナメが部屋から出て扉を閉め、三人でエンカの下へ駆け寄ったときには扉が全開にされていた。

「また、数字だけですか…………」

 エンカに次いで中を確認したナナメが呟く。

 『1』の部屋と同様――扉の先は四角い小部屋。大きさも『1』の部屋と同じようで、こうして等間隔に配置された扉を見るに、どの部屋も造りは同じになっているのではないだろうか。

 そんな部屋にあって、先程と違うのは向かいの壁に赤色で描かれた数字――こちらは『2』だった。

「ここの壁にも数字、っと。取り敢えず一通り全部開けていこうか」

 そうして、エンカが先陣を切って全ての扉を開けていった。

 馬鹿にされはしたが、どこかの扉では開けた瞬間に罠が発動、なんてことがあるかもしれないと考え、フラトとトウロウが扉を開けるエンカの後方で身構え続けたが、結局、最後の最後まで何も起きなかった。

 造りは全て同一。

 空っぽの小部屋で、向かいの壁に赤色で数字。

 唯一異なっている点があるとすれば、描かれた数字の大小くらいだろう。

 四人は全ての扉を開けて確認した後、自然と元居た場所に戻ってきていた。

「全ての部屋を確認したら何かが新しく起動するとか、そういうことも可能性としてはあるかなと思っていたのですが…………なさそうですね」

「ま、遺跡がそんな単純なわけないよね」

 辺りを見回しながら、何か起きていないかと確認するように呟くナナメにエンカが言う。

 どこかしらで罠の発動でもあれば、十個ある小部屋が『正解』と『不正解』に別れ、罠を越えた先、ないしは罠の発動しなかった部屋の調査で『次に繋がる何か』の発見に至るような流れもあるんじゃないだろうかと、フラトは考えていたのだが。

 こうも何も起きないと、取っ掛かりが掴めないというかなんというか。

「ぱっと見てきた感じだと、矢張り気になるのは扉にそれぞれ順番に振られた数字と、その部屋の壁に描かれた数字ですよね」

 確認するようにナナメが言う。

「かなー。とは言えさっきは取り敢えずの様子見だったからね。扉を開けた程度で発動するような罠も確認できなかったことだし、本当に数字以外に何もないのか、もっかい調べに行ってくるわ」

 そう言ってうきうきしながらエンカが再び扉の方へ歩き出し、

「あ、私も行きます」

 ナナメも小走りでその後ろに続いていった。

「んじゃ俺は、まあ無駄だと思うけど…………」

 などとぶつくさ言いながらトウロウも歩き出し、向かって右側にある直方体の側面から裏側へ。そのまま左側の直方体の裏側へと進み、ぐるっと回って戻ってきた。

「何かわかりましたか?」

「んにゃ、何も」

 別段残念そうでもなく、トウロウは首を横に振った。

「数字付きの扉、数字以外何もない部屋、そういうあからさまに『何かありそう』なものに目を引いて本命は別にありました、とか、時間を無駄にさせられてたら癪だし一応その可能性を潰す為だったからまあ、だろうなって感じ」

「ですか」

 トウロウは壁に手を触れさせながら歩いているように見えたので、恐らく何かしら、魔術的な探知を掛けつつぐるっと回ってきたのだろう。

 フラトにはそれが出来ない。

 調べたつもりになってもフラトでは魔術的な仕掛けを見落としかねないので、役立たずも甚だしいのは承知の上だが、動かずその場に残った。

 さぼりたかったわけでは決してなく、今トウロウが言ったように、扉や扉の先の小部屋を調べる際、外側に何か変化がないものかと、それを確認する為に動かなかったというのもある。

 まあ今のところ何もないし、何か起きそうな予兆めいたものもないのだけれど。

 役立たず感が凄い。

 こうなると、閃きで謎解き要素に貢献するしかないのだが、そっちもさっぱりである。

 本当はフラトもエンカに付いて行って色々と調べてみたい気持ちがないわけじゃない。

 ないわけじゃないが、付いて行ってしまったらきっと思い付く限り手当たり次第に色々試したりしてしまいそうで抑えている。

 遺跡はそもそもエンカが憧れて、焦がれて、ようやく来れた場所だ。

 まずはエンカが気の済むまで調べるのが先だろうし、フラトが思いつき、調べようと思うことはエンカだって同じ様に気付くだろう。

 そういう点では、先程から前に出ることなくエンカの後ろに張り付き、いつの間にか手にしているメモに何やら忙しそうに書き込んでいるナナメこそ、一緒になって調べる補佐として適役である。

 多分フラトにはああいうことが出来ない。きっとすぐに口を出す。手を出す。ずかずかと踏み込んでしまう。

 しかも、メモなんて持っていない。

「なあ、ホウツキ君とやら」

 さてそれならそれで、ここで待っている間どうしたものやら――なんて思っているとトウロウが話し掛けてきた。

 てっきり余計な会話を楽しむタイプではないと思っていたのだが。

「何ですか、ザラメさんとやら」

「君、今いくつ?」

「十六歳くらいですかね」

「くらいって、何でそんな曖昧なのさ」

「まあ、色々ありまして」

「ふうん…………なんて言うか、やけに大人びてるよねえ君」

「そうですか?」

「これまで、同年代よりもそこそこ年上の人間と一緒にいる時間が長かったんだろうなあって感じ。反対に言えば、同年代の子みたいなはっちゃけ方は知らないんだろうなあってことでもあるけど」

「確かに」

 言われてみればそういうのは知らないなあ、とフラトは思う。

 どんな風に、どういう事で盛り上がって喜んだり楽しんだりするのか、フラトには感覚としてよくわからない。

 考えてみれば、これまで特別に嬉しいと感じたのは、稽古や訓練で師匠の攻撃をうまく防げたり躱せたり、時たまこちらの攻撃を防御させることに成功したり、浅くとも攻撃が通ったり――そんなことばかりだったなと思い返すと、やはりそれは特殊な例なのだろう。

 勿論戦闘面以外でも、釣りや狩りで獲ってきた獲物を、美味しく無駄なく料理できたりすると嬉しかったりしたし、単純に山の中の散歩も好きだった。

 けど多分、そういうのもちょっと違うのだろう。

「そういうところだよ、少年。一般的な周囲と違うと指摘されて、自覚もしているのに、焦るでもなく『それでいい』と受け止めて受け入れてしまえるスタンス。割と異常だぜそれ。ま、そんな君があの『崩城』と共にいるのは、所謂ルイトモって奴なのかもしれないけどさ」

「類友…………ですか」

 フラトは首を捻る。

 似ているとも、似通っているとも感じたことはないが。

「因みにザラメさんは二十代後半くらいですか?」

「え!?」

 トウロウの口からしゃがれたような声が出た。

「…………そう見える?」

「まあ、見えますね」

「これでも二十二なんだけど」

「老け顔なんですね」

「おいこら」

「え、言われません?」

「まあ言われないこともないしなんなら自覚もしてるけど、人に面と向かって言われるとやっぱ傷つく部分はあるよね」

「成程。じゃあおあいこ、ということで」

「いや君は――」

 別に傷ついていないだろうに、とぼそぼそトウロウが言うのが聞こえたが、まあその通りなのでフラトは何も言わないことにした。

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