第三話
「ところで、さ――」
むしゃむしゃ。
元気になるパンを頬張って咀嚼しながらエンカが言う。
「何?」
「私と別れてからよく無傷でノハナの町まで辿り着いたね。そりゃあ簡単に死にはしないと思ってたけど、まさか傷一つ負ってないとは思わなかったんだけど」
「何でそれでちょっとお前が不機嫌そうなんだ……………………ああ、そうか。僕が傷を負ってた方が、ノハナの町から王都までの道のりをかなり高く危険視するから、当然、トバクからの同行の提案にももっと心が揺さぶられるって魂胆だったのか」
まあ。
無傷でもエンカからの提案には飛びついたわけだが、エンカとしては、フラトが最初に渋った反応を見せたのが割と気に入らなかったのかもしれない。
どうせ――とか何回も言われて追い詰められたし。
「魔獣に遭遇しなかった? 山の中でも動き出してた尖狼はいたし、流石にそこまであのバカデカ猪の影響が残ってるとも考えにくかったんだけど」
「いや遭遇したよ。っていうか遭遇しそうになった」
「どういうこと?」
「どうにか隠れてやり過ごした。流石に魔獣との戦闘に慣れてない僕が、しかも封鎖地域の強力な奴かもしれないのを相手にできるとは思えないから、兎に角戦闘を回避することに全力を注いだ」
もしかしたら山の中で師匠から見つからないように気配を殺していたとき以上に、必死になって、それこそ命懸けで気配を殺すことに注力した。
個体ごとだか種族ごとだかわからないが、特異な能力を有している魔獣なんてものを相手に――しかもその能力が何が何だかもわからないような状態で戦いを挑むなんてのは無謀以外の何物でもないし、多分普通に死ぬ。
鍛錬の一環で奇襲を仕掛けられぼこぼこにされる程度では済まない。文字通り命懸けのかくれんぼだったのだ。
それくらい必死の回避行動をしつつの、ノハナの町までの道程だったからこそ、あの学び舎でシャワーを浴びれたことも、布団で寝れたことも、本当に幸せだったのだ。
「流石、十年近くも山の中で過ごしていただけはある回避能力ってわけか…………ちょっと侮ってたな」
「だから、悔しがるなよそんなこと」
「いや、ホウツキもその回避能力があるからってあまり楽観視しない方がいい…………っていうか、一度や二度くらい襲われて危機意識を高く持てていた方が良かったと私は思ってるくらいだから」
「怖いこと言うなよ…………」
「さっきから私が魔力弾を撃って魔獣の接近を阻害してるわけだけど、もしかして、私が撃った数くらいしか、この周辺に魔獣がいないとか思ってる?」
「…………」
正直そこまで具体的に考えていたわけではなかったが、エンカに言われてしかし、確かに『それくらいだろうな』と漠然と思っていたことをフラトは自覚した。
精々、種族によっては群れで行動していることもあるだろうし、四、五頭いたりはしたかもな、くらいである。
「違うよ。私は『近付いて来そう』な魔獣に魔力弾を撃ち込んでるだけで、索敵にはもっと沢山の魔獣が引っ掛かってる。そいつらが襲ってこないのは、私が撃ち出した魔力弾にびびったか、あるいは索敵の為に広げてる私の魔力を警戒してるか。兎に角、この道の左右に広がる草原の中には、結構な数の魔獣がいる」
「……………………そんなにいるんだ」
正確な数は言わなかったのでわからないが、『結構な数の魔獣がいる』と口にしながらエンカが素早く走らせた視線を追うに、本当にかなりの数がそこかしこにいるらしい。
それこそ見えないほど遠くなのか、こんな開けた草原でも上手く身を隠しているのかは知らないが。
「山の麓沿い道だってそうだよ。きっともう多くの魔獣が姿を現してるだろうし、腹を空かせて徘徊もしてると思う。危険度で言えばやっぱりこっちの道よりも高いだろうね。いくら大木が多く、繁みがそこかしこにあって身を隠せると言っても、本当に戦闘を回避し続けられる? 難易度は、ノハナの町まで行ったときと比にならないと思うけど。んでもって、どっちの道を選んでも、一度でも戦闘が始まってしまえば、その音を聞きつけてあっという間に魔獣に囲まれるんだよ」
だから、とエンカは更に続ける。
「だから、ノハナの町と王都を結ぶこの道もいつまで経ってもまともに整備なんてできないし、交通量も増えない。そんなところを『歩いて行く』なんて、考えてた?」
「…………死ぬな」
「死ぬね」
間違いなく。
割と容易に想像できてしまった。
接近戦が出来ても、数に囲まれてしまえば成す術はない。
というか、接近戦主体だからこそどうしようもないと言うべきか。本能的な部分の鋭い獣相手の接近戦は、下手をすれば人間相手よりもよっぽど難しい。だのに、そこに更に魔獣としての未知の能力まで加わるのだから手に負えるわけがない。
当たり前に苦戦して時間を取られ、そうこうしている内に囲まれるだろう。
そんな一度の接敵すら致命になりかねないようなストレス下での行軍を四日間もとか――まず無理だろう。
いや、いざそういう状況に放り出されれば否応なくやるしかないわけだが、まずは回避の為に全力を尽くすのが当然だ。
「まあ、流石にそんなことをしようとしてたらあそこの優しい門番の人が止めてくれたとは思うけどさ、それでも文無しのホウツキがこんなにも早くノハナの町を出れたのは私のおかげだということはちゃんと考慮してほしいもんだね」
胸を張ってそんなことを言うエンカだが、流石に今回はその通り過ぎて茶化せない。
嘘を吐いた――というかエンカの嘘に便乗してしまった罪悪感がなくなるわけではないが。
「ってところで、話を戻そうか」
そう言ってから、既に大分なくなってしまった手元の『元気になるパン』を全ての口に放り込んでから咀嚼して飲み込み、包みを亜空間収納の中に放り込んでから、水筒を取り出して水を飲むエンカ。
ふぅ、と満足そうな一息を吐き出してから、ぱん、と両手を叩き合わせて言う。
「私の部隊に入るかって話」
そういえば、そういう話の途中だった。
しかし――話が逸れたことで益々フラトの疑念は深まっている。
自分を引き込む理由が果たしてどこにあるのだろうか。
卑屈になっているわけでも、捻くれているわけでもなく。
何をするにしてもフラトの助けなどいらなそうだし、現にこの護衛任務だってエンカ一人で問題なくこなしている。
自分がいらない、だけならまだしも、フラトはただエンカの足を引っ張ってしまうんじゃないかが心配だった。
だが、そんなフラトの心を見透かすかのようにエンカは言う。
「私が一緒に行動したいと思うのに、強さがどうとか、あまり求めてないんだよ」
「?」
「まあ全くって言ったら嘘になるけどね。最低限自分の身を護れるくらいは戦える人であってほしいとは思うよ」
「僕にそんなものを求められても困るんだけど」
「いや、十分強いと思うけど。今は魔獣や魔術の知識、それらに相対した経験がないだけでしょ。慣れちゃえばホウツキも上手いことできるできる」
「何だよ上手いことって、ふわっとしてんな。流石に過信が過ぎるぞ」
或いは過言。
しかしそんなフラトの言葉に、エンカは苦笑いを浮かべて肩を竦めた。
「まあいいや。これは私がそう思うってだけの感覚の話だし。兎に角、ホウツキを部隊に入れたいのは単純に、純粋に、『面白そう』だからだよ」
「面白そうだから? 僕が?」
「勿論」
そんなことを力強く断言されてもフラトの心境は複雑だが。
素直に喜べないが。
「師匠さんはわけわかんないくらいとんでもない霊薬をホウツキに渡してて、ホウツキ自身は魔力を持っていない代わりに『気』なんてものを使ってて、しかもおまけにそれ――」
とエンカがフラトの頭上を指差した。
「あー」
そこにはいつも通り、定位置に魔蟲――撚蜘蛛が食事を終えて戻ってきていた。
「魔獣なら見たことあるし、魔蟲を飼ってる人もいるにはいるけど、飼育とかじゃなくて、そうやって一緒にいる人なんて初めて見たもん。しかも魔具を起動して魔術なんて使うし。そんな面白い人材みすみす見逃す手はないでしょ」
「希少な掘り出し物みたいに言うなよ」
「まあそういう気持ちも無きにしもあらず」
「正直に言うな」
「それに、私があのバカデカ猪に追われて結構まじで死に掛けてたときに、ホウツキに会って救われたんだよ。こういう巡り合わせっていうのかな、縁も何かに繋がるんじゃないかなって」
「何か、ね」
「私がそう感じるってだけだけどね。でもそういう直感みたいなのは大事にするタイプだから、私」
「ですか」
「ホウツキがこれからどんな面白い目に遭うのか、それが私の離れたところで起きるなんて絶対に許せないし」
「それが本音か」
その本音の占める割合大きいだろ、多分。
「っていうかこれでも遅かったって後悔してるくらいだから。何で数日そこらで、あの施設の子に『師匠』なんて呼ばれるような関係になっているのか、絶対面白いことあったでしょ。そこに居合わせられなかったの結構本気で後悔してるんだから」
確かに面白いと言えば、面白かった。
楽しい謎解きで、魔術の一端にも触れることが出来た貴重な時間だったが、内容が内容だけに、エンカにあれこれと教えることはできない。というか、既に請われて断っているのだ。
それもあって、エンカは悔しいのだろう。
「遭難したサワスクナ山でのこともあって、ホウツキは信用に値すると私は思ってるから、だから、引き入れるならもうここしかないってことで、こうやって声を掛けてる。嘘偽りなく、これが私の正直な気持ち」
真っ直ぐに目を見続けられ、そんな風に言い切られた。
「むぅ…………」
そんな風に言われてしまってはあまり茶化せない。
いや、面白い目に遭う、とか決めつけられているのは癪だが、現状ハプニング続きなのは事実でもある。
まだ旅に出たばかりだというのに。
巡り合わせというならこれもまた巡り合わせの一種なのだろうし、そんなことを言ってしまえばそもそも師匠に拾われて散々鍛えられたのも奇縁と言えば奇縁なのだ。
ハプニング続きというのは、今に始まったことではない。
それを傍らで楽しみたいというエンカの妙な趣向はさて措き、しかし、彼女から『信用に値する』という評価を得られたのは純粋に嬉しかった。
まだ知り合って数日だが、濃い時間を過ごした仲であり、かなりの強さを持つだろう彼女からそんなことを言われしまえば、その期待に応えたいと思ってしまったりもするのだ。
流されやすいというか、ちょろい男である。
フラト・ホウツキ。
「因みに訊くけど、トバクのその部隊ってのは他に誰がいるの?」
「誰も」
「え?」
「誰もいないよ。これまで誰とも部隊組んでないし、山でホウツキと会ったりしなければ組む予定もなかったしね」
「……………………あー。えっと、最後に確認」
「何?」
「この前も山で言ったけど、僕は師匠に土産話を持って帰らないといけないし、まあ折角こうして山から出てきたわけだから自分の意思としても、色々な場所を見たいと思ってる」
「うん」
「エンカの部隊に入ったら、それは叶う?」
「私だって組合にいる理由は同じようなものだよ」
なら。
「わかった。トバクの部隊に入ることにするよ」
彼女が『面白さ』に拘るのであれば、一緒にいれば何かしら起きるだろう。
土産話には事欠かないかもしれない。
ちゃんとフラトのこれからの目的にも合致するのだ――などと、別に自分が言いくるめられたり、絆されたりしたわけじゃないのだと、自分で自分に言い聞かせる。
言い訳とも言う。
「よし。じゃあ交渉成立、ということで」
「簡単に言うけど、そうなると僕も組合に所属しないといけなくなるよな?」
「だね。まあそこら辺は大丈夫。一応一緒に付いてきてもらって手続きとかはしてもらうことになるけど」
「それくらいは勿論」
「んじゃま、あとは王都についてからだね」
「了解」
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