第二十話

「ふぅ」

「やったじゃん、ホウツキ」

 二人の十数メートル先には、山の出口が見えていた。

 フラトの選んだ道が当たりだったということだ。

 終えてみればフラトが危惧していたような厳しい遭難とはならなかったが、それもこれも、エンカがいたからこそである。

 紙一重ではあった。

 フラトにはできないあの無茶苦茶なルート探索がなければ、まともな山道に出るまでにどれだけかかったかわからない。

 既に尖狼達が姿を表していたことを考えると、時間を掛ければ掛けるほど魔獣との遭遇率も増え、遭難は相当長引いてしまっただろう。

 こうして無事に山を降りられたことに心底安堵する。

 師匠の家から放り出されたときは、山を降りることにここまで苦労するなんてまるで想像もしていなかった。

 とんでもないスタートを切ったものである。

「ホウツキ、ちょっとこっち来て」

 出口目前でエンカが脇に寄り、大木の根元に鞄を降ろしてフラトを呼ぶ。

「何かあったのか?」

 同じように隣に鞄を降ろして並ぶフラトの質問には答えず、エンカが自分の胸の前に手を翳すような仕草をした。

 途端――翳した掌から一センチほど離れた空間に黒いもやのようなものが生まれ、直径約三十センチほどの歪な円形を形成。

 その靄の中に突っ込んだエンカの手は、まるで別空間にでも吸い込まれたように見えなくなった。

「よっ」

 軽快な掛け声と共に引き抜かれたエンカの手には、銀色の指輪が握られていた。

「ほい」

 それをフラトの方へ差し出してくる。

「え、何?」

「これ、あげるよ」

「何で!? 急に何?」

 唐突な事態に困惑する。

「んー、何って言われてもね。あげたくなったからあげるだけなんだけど。いいからもらってよ」

 そんな風に言われてもフラトの方には、あげたくなられるようなことをした覚えはない。

 というか。

 というか――蒸し返すのもあれだが、詫びを求められてもおかしくはないとすら思っているくらいだ。

 だから急にそんなことを言われても――。

「いたっ」

 全然受け取ろうとしないフラトに業を煮やしたのか、エンカが普通に蹴ってきた。

 フラトの尻を。

 相変わらず手に持った指輪を差し出した状態のまま睨みつけてくるので、暴力がエスカレートし、こんなところで今更機嫌を損ねるのも嫌だったので、フラトは指輪に手を伸ばした。

「わかったよ…………」

「はい、もう受け取ったからね。返品は受け付けませーん」

 両腕でバッテンを作ってふざけた調子で言ってくる。

「腹立つなお前」

 睨みつけるような表情から一転、完全にこちらをおちょくっている顔だった。

「まあ、そこまで言うなら強引に返したりはしないけどさ。でもほんと、これ何?」

「魔具」

「は?」

「だから、魔具」

「嫌がらせか?」

 無理矢理渡してきたと思ったらなんて仕打ちなのか。

 いや――もしかしたら詫びを求められるよりも何かしらの報復をされているのか、これは、とそれはそれでならしょうがないかとフラトが納得しようとしていると。

「いや違う違う。嫌がらせじゃないよホウツキ」

 苦笑いを浮かべてエンカが顔の前で手を横に振った。

「でも僕に魔具を渡されても、使えないのはトバクだって見ただろ?」

「うん見たよ。だから、これを持つのはホウツキで、使うのはその子がいいんじゃない?」

 そう言ってエンカが指差したのはフラトの頭上だった。

 頭の、すぐ上。

 フラトが一人で山に這入って以降、緑色のラインが入った蜘蛛が我が物顔で陣取っている位置。

 食事の際や睡眠のときは流石に別の場所に移動しているが、それ以外はずっと頭の上にいる。いた。ここまでずっと。

「ずっっっっと! いやまじでここまでずっと気になってたんだけど、その子何? ちゃっかり猪肉とか、干し肉も分け与えてたけど」

「何って言われても…………何だ?」

 フラトも不思議そうな声を出して視線を上に向けた。

 別にそれで蜘蛛が見えるわけじゃないが。

 それが蜘蛛の癪に障ったのか何なのかは知らないが、器用に前足で頭を小突かれた。

 なんなら丸めた蜘蛛の糸もぶつけてきた。

「いやそこまでされることしてねえだろ。やめろ、ぶつけてくんな」

 これまで暇潰しなのかわからないが、ちょくちょく遊び感覚でぶつけてくるので慣れたと言えば慣れたが、まあまあ痛いものは痛いのだ。

「猪樫を狩って戻ってきたときにはいたよね」

「たまたま山で見つけたら、なんか服に飛びついてよじ登ってきたんだよ、こいつ」

 煩わしそうに飛来する蜘蛛の糸玉を弾き返しながら言う。

「その子、魔蟲だよね」

「魔蟲? …………ああ、魔獣の蟲版か」

「珍しいよ。蜘蛛の魔蟲――撚蜘蛛よりぐもって言うんだけど、群れを作らず単独行動が基本で、臆病な性格だから人には懐かないって言われてたと思うんだけど…………」

 でもうーん、と難しい表情をしてエンカがフラトの方に顔を近づけてくる。

 近い近い。肌のきめ細かさがよくわかる。

「でもこの色味? っていうのかな、こんな緑のラインが入った撚蜘蛛なんて初めて見たよ」

「普通は別の色なのか?」

「ううん」

 と首を振って否定しながらエンカが顔を離す。

「普通に確認されてる撚蜘蛛の身体には、緑じゃなかったところで何色のラインもない筈。だからこの子も特殊個体なのかも?」

 ふーむ、と顎に手を当てて首を傾げる。

「その撚蜘蛛ってやつの特殊個体は確認されてないのか?」

「少なくとも私は聞いたことないかなー。まあこれは魔蟲全般に言えることだけど、下手に攻撃力が高くて好戦的な種を除けば、基本的に臆病で人の目に触れること自体が少ないから特殊個体も、その個体の特性も確認されていないことが多いらしい」

 だから、とエンカは続ける。

「そんな魔蟲で、しかも特殊個体に懐かれてるなんて凄いね、ホウツキは」

「別に懐かれてないだろこれ」

「いやいやいや懐かれてるって。だって憶えてるかな、遺跡見つけたときに私がホウツキに抱き着いたの」

「ん、あ、ああ」

 ふと、そのときの感触がフラッシュバックしてきょどる。どもる。

「あのとき、ってちょっと殺意出してみたんだけどさ」

「何してんだ」

 全然気付かなかった。

 ぞくりとしたのは、初めて同年代の女の子に抱き着かれたどきどきじゃなくて、殺意を感じていたからだったらしい。

 いくら綺麗な女の子に抱き着かれたからって、流石に自分の鈍感さに呆れる。

 そんなことで知らない内に死に掛けていたとは――これは師匠には黙っていようと心に決めるフラトだった。

「いや、ほら、なんだかんだ言ってホウツキは私が遺跡目当てでこの山に這入ったことを知っていて、一緒に巻き込まれた風を装って近付き、いざ遺跡を見つけたら私を殺して横取りしてやろうって輩の可能性もゼロじゃなかったから、あのタイミングで私が何かしらの行動を起こせば、反応があるかなって思ってさ」

 あっけらかんと殺伐としたことを言う。

 しかし、まあ、その危惧も尤もと言えば尤もな話なのだと、今なら理解出来る。

 遺跡がどんな場所か聞いた今なら。

 希少な魔具や武具。

 歴史的価値のある資料。

 その他――様々な宝の眠る『遺跡』。

 つまり、そんな『遺跡』の位置情報も宝と同義なのだ。

「ナイフを背後から当てようとしたとき、ホウツキからは何の反応もなかったけど、その蜘蛛ちゃんからは、警戒してるっぽい雰囲気感じたんだよね」

「単に蜘蛛は蜘蛛で自分の身を守る準備をしてただけなんじゃないのか?」

「かもしれないけど、でもだったら、さっさとホウツキの頭から離れる方が手っ取り早いでしょ。なのに場所を動かずに警戒した雰囲気を出すってことは、やっぱりホウツキを守ろうとしたのかなって、そう思ったから君達は仲間なんじゃないかなって」

「そうだったのか…………」

 呟くと、また丸めた糸をぶつけられた。

 お前がしっかりしろとでも言わんばかりに。

「ん? ってことは何かにつけて誘惑するような発言が多かったのも、僕、何か試されてた?」

「まあ、多少は」

 エンカが苦笑いを見せる。

「後で始末するつもりなら、簡単に身体を求めてきたりするかなって思って。ホウツキの人間性を見るには手っ取り早い方法がそれくらいしか思い付かなかったから」

「まあ、トバクからすればそうか…………」

 不安、だったに違いない。

 どれだけ強くても、同年代の少女には違いないわけだし。

 加えて、二人きりになった相方であるフラトの身元が不詳過ぎたというのも、エンカの不安を更に加速させてしまっていただろう。

「っても、流石にその手の発言が多かったような気もするというか、試すための挑発ってより、あれは単純に『誘ってる』と捉えられてもおかしくなかったくらいだと思うけど」

「うん、まあ…………それは反省してる」

 ちょっと恥ずかしそうにしながらエンカは言った。

「ほら、私、綺麗でしょ」

「…………」

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