⏲ 時をただよふ ⏲

医師脳

『しちじふのてならひ』

 半世紀以上も昔のこと。

 青森高校で古文を習わされた。教師の名は忘れたが、脂ぎったオジサン顔と渾名だけは覚えている。


  「無駄だよ」と十七のころ厭ひたる古文の教師の渾名は「ばふん」


 そんな生意気盛りが古希をすぎてから短歌を詠もうとは…。

「一日一首」と詠み続け…気づけば(数だけは)千首を超えた。

「ひとえに梧桐学先生(ウェブものぐさ短歌教室)のおかげ」と感謝の一首。


  かいなでの歌詠みなればいとうれし「添削不要」と判じらるる時


 最初の二日分には添削もなく励ましのコメントだけだった。その駄作がこれである。


  趣味とはれ「短歌」とこたふれど未熟者ゆびをり数ふるななつむつやつ


  馬手にペン弓手ゆびをる歌詠みぞボケ予防とてバイタスクせむ


 いわゆる「白い巨塔」で生息していた頃の習慣だろうか。

 自作の短歌に添削も加えて、エクセルデータベースを作成。

『しちじふのてならひ』と名付け、医師脳(いしあたま)を号した。


  七十歳の手習ひなるや歌の道つづけてかならず辞世を詠まむ


 細胞生物学者で歌人の永田和宏氏は曰く。

「一首一首の歌には一瞬一瞬の〈時の断面〉が輝いている」

 それを(永田氏の娘で)歌人の永田紅氏は〈時間の錘〉と表現する。一首の歌を作ることにより、その時々に〈錘〉がつくのだろう。

 これからの吾が人生を思いつつ…。


  願はくは医者つづけゐる日常に一瞬の〈時の錘〉を詠みたし


  満帆に〈老い風〉うけて「宜候」と老い真盛り活躍盛り


 さらに願わくは〈錘〉として多くの喜びや楽しみが残りますように…。


  うれしきは毎朝いるる珈琲に「おいしいね」と言ひて妻が笑むとき


  楽しきかな利用者来る前のリハ室でマシーン踏みつつ歌をつくるは


 楽しい〈錘〉ばかりともいくまい。

 たまには痩せ我慢を詠むこともあろう。


  生き甲斐が働き甲斐なる生活に「老い甲斐あり」とふ痩せ我慢もなす


  「先生」と呼ばれ続けて半世紀いまや符牒のやうなものなり


 いつの日か我が記憶は薄れようとも生きてきた証を残しておきたい。


  「日々一首」と詠み続けたし一万首。吾も百寿の歌詠みとならむ


  人生の川にも澪木(みをき)を立つるごと刻舟とならざる一日一首を


  老いはてて彼も汝も誰か薄れ去りいずれ消ゆらし吾の誰かさへ

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