第35話
ACMSがタールスタングに声をかけたのは、セレストウィングドラゴンの成体が駆除されてから数日後のことだった。推薦人はラツェッドだった。マイナが聞いた話によると、ACMSの所課長会で監査のずさんさが数多く指摘され、竜の猟師等によるアドバイザーを設定する案が浮上した。試験的な取り組みとして実施可能な部署から取り組むことになり、出世欲の強いラツェッドはさっそくそれを行動に移していた。
「このタールスタングという男がいいだろう。おれのセレストウィングドラゴンを討伐してくれた男だ。我々、飼育管理一課はこの男に負けたんだ、学ぶことは多いはずだ」
なんとも恨みのこもった口ぶりで、他の意見や反論になど耳を傾けそうにない勢いだった。〝おれのセレストウィングドラゴン〟ね……。バカみたいだなとマイナは思っていた。そしてマイナの事務所にやってきたタールスタングという男は、これまたバカみたいな男だった。類は友を呼ぶって本当なんだなと、マイナは頬杖をつきながら眺めていた。
一方で、タールスタングは確かに竜のスペシャリストには違いなかった。これまで監査で見落とされがちだった現場の様子を的確に評価し、的確な答えを導き出していた。彼がなにか違和感を覚えたら、シェルターはなにかを隠している。事務所内でのタールスタングに対する信頼は、監査の度に上がっていった。
そして迎えたキリガミネ高原牧場ドラゴンシェルターの監査の日。久悠がリュウとアオを隠しているシェルターだ。マイナはラツェッドにイライラしながらも二匹が見つかってしまわないかハラハラしていた。しかし久悠はうまくやっていたようだった。あのタールスタングがなにも見つけられなかったのだ。
「キリガミネはシロだったな」
ラツェッドは紙媒体の報告書を確認しながら言った。だがその後ろに立つタールスタングは不満そうだ。
「いや。あのシェルターはおかしい。綺麗すぎる」
「綺麗すぎる?」
「あぁ。竜の痕跡が丁寧に整備されているかのようだ。申告されている竜の頭数の帳尻とぴったり一致していてなんの違和感もない」
「ならいいじゃないか」
「綺麗な自然だ。綺麗すぎて、あまりに人工的だ」
「他の報告書も完璧なようだ」と、ラツェッドは手にしていた紙をバサリとデスクに放りながら言った。「突っ込みどころが見当たらないらしい。人員配置、人件費、竜の飼育経費、その他もろもろ適正だ。不審な箇所は認められない。報告書はあと二、三項目確認事項があるが、それもおそらくクリアするだろう」
「最後まで油断しない方がいい。あのシェルターにはなにかありそうな気がするからな」
「君の直感はいつも正しかった。今回くらい外れても君の評価には影響しないさ」
けれど結果として、タールスタングの直感は今回も正しかった。最後に上げられた報告書は、これまでの内容をひっくり返すようなデタラメなものだった。たとえば他の書類では小型竜一〇匹分の飼育費用が的確に報告されていたにも関わらず、最後になって〝実はこれまでの報告書の小型竜一匹分に相当する飼育費用はシェルター独自の単価を設定しているため、この報告書にて再計算し修正する〟と記載されていた。そしてその結果、小型竜一〇匹分の飼育費用は適正の範囲内であると結論付けられていた。それはおかしなことだった。はじめにA+A=2と示しておきながら、最後になってAという代数は足しても2にならないというようなことを言ってきたのだ。さらに、そのためA+A+A=2がシェルターとしての正しい計算式であるというような計算をそこに併記させている。そして不思議なことに、報告書ではそのどちらの内容もそれ単体としてみれば成立しているのだ。いわば、どちらもうまく誤魔化された書類だった。しかしそれを全体として見比べると、先のように明確な齟齬が発生している。
「どうしてこんなことになっているか調べる必要があるな。シェルターの取引先をあたれ。同時に警察に情報提供だ」
ラツェッドが指示を出し、報告書の内容について調査がはじまった。結果、シェルターはどういうわけかCRISPR研究関連施設と様々な試薬を取り引きしているようだった。しかし報告書には、そんな記載は一つとしてない。
「クロだな。どうやら、この状況について立ち入り調査をする必要がありそうだ。君の勘は今回も当たりだったわけだ。純粋にすごいな」
ラツェッドがタールスタングと話している。まずいと思ったマイナは久悠に連絡を入れようとしたが、通信は不通だった。この地球上で紋白端末の通信網から外れるなどありえない。宇宙にでも行っているのだろうか。でも、竜以外に興味のない久悠がそんなまさか。マイナが人知れず戸惑っていると、ふと、タールスタングと目が合ったような気がした。愛想笑いをして、自分の業務に戻る。あんなうす汚い人間に気に入られていたら嫌だな……と、その時は呑気に思っていた。
その後、マイナからすると不思議なほど静かな日々が続いた。ACMSがシェルターにどうに対応するか保留の状態が続いている、なんならもしかしたらACMSの誤認かもしれないとの話をマイナは聞いていた。いずれにしてもそれほど慌てる状況ではなかったような雰囲気があったため、マイナも無理に久悠に連絡しようとは思っていなかった。そんな時、マイナからすると突然動きがあった。
「本日、キリガミネ高原牧場ドラゴンシェルターに人工生物飼育法第一五条第二項対応を実施する。すなわち、今から我々は警察署と連携を取り、同シェルターに告知なしの強制立ち入り調査を実施する」
寝耳に水とはまさにこのことだった。そんな話が進行していたなんてマイナはこれっぽっちも知らなかった。
「要件は監査における虚偽の報告、それと、それによってなにを隠しているのか調査することだ。何らかの犯罪に関与している可能性もある。対応は迅速に行いたい」
犯罪に関与? リュウとアオの存在だけでなく、あのシェルターにはさらに別の顔があるのだろうか。立ち入り調査の概要をラツェッドが語る中、マイナはトイレに行くフリをしてこっそり事務所を抜け出した。久悠に連絡を入れると、今日は応答があった。
「久悠さん。よかった、繋がって」
「どうした」
事務所の外の廊下を歩き、隅にあった小さな給湯室の奥に隠れるマイナ。薄暗い部屋には申し訳程度の水場と冷蔵庫、それに電子レンジが置かれている。その影に身を屈め、マイナは小声で言った。
「急いでリュウくんとアオくんを連れてシェルターから逃げてください」
「どういうことだ」
「告知なしの強制立ち入り調査が実施されます」
「気付かれたのか」
「少し違います。というかそのシェルター、あとレクトアさん、信用できる人ですか? 大丈夫ですか?」
「どういう意味だ」
「今は時間が。とにかく久悠さんはリュウくんたちを――」
そしてマイナは、ラツェッドらACMS職員に拘束されたのだった。
このことについて、マイナは就業規則違反における意図的な情報漏洩に該当するとして降格の懲戒処分を受けていた。また次の所属先が決まるまでの出勤停止処分も同時に受ける事になっていた。
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