第30話

「そうか」と、ラツェッドは興味なさそうに頷いた。「生物工学や生命倫理学はACMSの管轄するところではない。〈メチルロック〉の解除技術がどうとか騒ぐ奴は騒ぐだろうが、知ったことか。研究費用やリュウとアオの飼育を誤魔化すようなことをしなければ我々はシェルターに感心を払わないだろう」

「本当にそうか?」と久悠は見抜いたような口調で言った。「セレストウィングドラゴンに興味があったんだろう。個人的に」

 それを聞いたラツェッドは、はぁとため息を吐く。

「リュウとアオを返せと言ったら返してくれるのか?」と重ねて久悠は聞いた。

「……マイナから聞いたのか」

 ラツェッドのその言葉は、それと同時に〝それはない〟という返答も含んでいた。

「いや」久悠は首を振って否定する。実際にはそうなのだが、ラツェッドはマイナのキャリアに直接影響を及ぼせそうな人物だ。彼女の不利益になることは言えなかった。「セレストウィングドラゴンが討伐管理簿に載った時、ドローンを飛ばして捜索していただろう。ACMSがあんなことをするわけがない。指揮系統を担う人物の中に、セレストウィングドラゴンに感心がある者がいない限りは」そして口には出さなかったが、少しでも竜のことを知っていればあんなお粗末なことはしないだろう。

「そうか。そんな動きからでもわかるものなんだな」

 そうは言いながらも、ラツェッドは特に感心している風ではなかった。

「もう一つ聞きたいことがある」と、ラツェッドは足を止めて振り返った。「なぜおれに銃を向けた」

「恨んでないのか」問い返す久悠。

「部下たちに滑稽な姿を見られた。その点については恨んでいる」

「それは悪かったな」

 そして久悠は考えた。改めて問われてみれば確かに不思議な行動だった。どうしておれはあの時、この男に銃を向けたのだろう。違法行為であることは理解していたはずだ。それをしてなにか解決できるとでも思っていたのだろうか。なぜおれは、それほどまでしてリュウとアオを自分の手元に置いておこうと思ったのだろう。

「まぁいい」と、久悠の沈黙に耐えかねてラツェッドが言った。「いずれにせよリュウとアオは我々ACMSが責任をもって引き取らせてもらう。しばらくの間は僕が直々に飼育してやる予定だ」

「それが目的なんだろ」

「シェルターの限度頭数超過によってACMSが保護した竜はACMSが責任をもって引き取り、必要に応じて里親を探す。これは我々の通常業務だ」

「リュウの飼い主はおれだ。アオの飼い主はレクトアだ。二匹とも返せ」

 自分で言っておきながら、自分の言葉に戸惑う久悠。そして同時に気付いた。おれはリュウと一緒に暮らしたいんだ。おれの目の前で孵化した小さな命を守りたい。ずっとリュウと一緒に生きていきたい。自分の気持ちに気付くとそれはより強く大きくなり、久悠の心の中で膨らみはじめた。

 しかし、ラツェッドは鼻で笑った。

「リュウ? アオ? あいつらの名前か。そんなに取り戻したいのか。あんなに嫌われていたのに?」

 それに飼い主が君ならなぜシェルターにいたのかとラツェッドは追及したが、それよりも久悠は彼の言葉のあまりの重さに立ち尽くした。

 嫌われていた――

 リュウとアオが久悠の言うことを聞かず、よりにもよってラツェッドやマイナの方へと走って行った時のことを思い出す。

「そもそも」と、ラツェッドは続けている。「君が飼い主でありその能力があるというのなら、その竜をシェルターに預けていたという道理がない。自分では飼えないから預けていたのではないのか? 君に中型竜を飼育する適正があるとは、我々は認めないだろう」

 おれに適正がない……

 そのうえ、リュウたちに嫌われている……

 その二点から導かれる答えを、久悠は弱音を吐くように口から零した。

「……もう、会えないのか?」

「会いに来られても困る。飼い主の僕だって君と会いたくない」

 断じるように言うと、ラツェッドは背を向けて歩きはじめた。久悠は、彼を追いかけることができない。

「僕が目的としていたおしゃべりはできた。君はもうあの二匹のことは忘れるんだ。噂じゃ凄腕の猟師というじゃないか。竜を飼うことよりも殺すことに専念するといい。そっちが本業なんだろう? 銃所持資格がどうなるのか、詳しいことは知らないけどな。……それじゃあ。もう会わないことを願うよ」

 そう言って手を上げ、ラツェッドは去っていった。

 都市部の一角に取り残された久悠。車の走行音が続いている。しばらくボーっとしたところで、この辺りは喫茶竜から郊外の公園へと繋がる竜の散歩コースであることに久悠は気付いた。真っ直ぐ歩いていけば都市部に行き着き、逆に反対方向へ向かえば公園に至る。喫茶竜にはまだ久悠の部屋がある。すがるように久悠は歩きはじめた。

 娑婆に出てきたというなんとも言えない感覚があった。それほど長い期間、拘留されていたわけではないが、どういうわけか街並みが新鮮に見える。灰色のアスファルト舗装の先が太陽光で揺らぎ、逃げ水ができている。その先から浮遊自動車の電光が煌き、新幹線よりも早い速度で、大した風も音も立てずに道路上空を走りさっていく。古い家や3Dプリンタで建築された家々が並び、都市部に近づくにつれて民家がビルに置き換わっていく。小ぎれいになった都市部駅前の中心地。煌くガラス窓から発せられた紋白光が歩行者の網膜に作用して、それぞれの目の中にパーソナライズされた立体映像の投影を試みている。平日の昼間ながら人の姿はまばらだった。竜を散歩させている人も見かけない。自分がいなかったたった一週間の間に世界になにが起こったのか。自分はなにかに取り残されてしまったのか。これまでの日常は一体どこに行ってしまったのか。そう思いたくもなるが、よくよく思い出せば、もともと駅前はこんな風だった。世界は特に変わっていなかった。変わったとしたら久悠の感覚の方だろう。しかしだとしたら、竜の散歩代行をしている喫茶竜の職員と一人くらいはすれ違ってもいい頃合いだ。なんとなしの違和感の正体はそれかもしれない。駅前から真っ直ぐ喫茶竜へと向かう。やはり職員のだれともすれ違わない。道の先に喫茶竜が見えてきた。昼間はペット竜の散歩代行を提供する喫茶店、夜はバーになる、シェアハウス併設の建物だ。店の外装は木造りで、穏やかな日差しの日や夜間はテラス席が人気だ。日差しがまだ高いこの時間帯であれば、多少の賑やかさは街の外にまで響いているはずだ。けれど久悠が近づいても、聞こえる音は車の静かな走行音ばかり。数十秒後にその店の正面に辿り着くと、店の扉に『閉店しました』と手書きの張り紙が貼り付けられていた。小さな文字で、長らくのご愛顧感謝しますとのメッセージが添えられている。街路樹が仄かな風に揺れてざわめき、それは久悠のもとにも流れてきた。さわさわと久悠の前髪が揺れる。

「あら」と女性の声がして、久悠は振り向いた。けれどそこに居たのはウェルメではなく、今までこの店常連の初老の女性客だった。リードを手に、小型竜リトルグリーンバードドラゴンのミドリを連れていた。

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