第14話
もし久悠の予測が当たっていた場合、この竜の遺伝子は通常の状態だ。〈メチルロック〉は解除されており、DNAを含む細胞片かなにかを得られれば、それを培養することで簡単に
この竜の遺伝子は果たしてどのような状態なのか。
できればきちんと調べハッキリとさせておきたい。
竜がミルクを飲み終わる。まだ腹を空かせているような表情で久悠のことを見上げている。いつまでもこの竜をここで飼い続けるわけにもいかないと、久悠は自室を見回した。相変わらず整理整頓が行き届いていない部屋だった。数年も経てばこの竜はこの部屋の半分を占めるほどにまで成長するだろう。なんとかしなくてはいけない。できれば早急にだ。竜の秘密を守れて理解ある人物の協力が必要だった。そうでなければ久悠はこの竜を殺し一片の細胞も残らないよう燃やさなければならないだろう。そんなことはしたくないしおそらくできないので、この竜については慎重に考えていかなければならない。
レクトアに相談してみようか。かつてのセレストウィングドラゴンの飼い主である彼女であれば――そしてドラゴンシェルターを運営する竜の奉仕者であれば、きっとこの竜の助けになってくれるはずだ。というか彼女以外は頼れないだろう。彼女がこの竜を匿えないのなら、もうこの竜がこの世界で生きることはできないと思った方がいい。彼女は明日、セレストウィングドラゴンの埋葬のためまたあの森を訪れる。久悠も明日は早起きし、朝一番にこの竜と共にそこへ向かおうと考え、紋白端末の目覚ましタイマーを朝六時にセットした。
そうして一夜明け、久悠はいつもの椅子の上で目を覚ました。目の前には徹夜で整備したライフル銃が置かれている。時刻を確認するともう間もなく九時になろうとしていていた。……寝過ごした。頼みの目覚ましタイマーは夢の中で消してしまったような記憶がある。竜は、久悠が即席で作った段ボールの中で寝て過ごしていた――はずだった。ベッドの上に置いた段ボールの中を覗くと、そこには久悠が敷いたトイレともベッドとも言える藁があるだけでなにもいなかった。
「久悠ちゃん」
ウェルメが階下で呼んでいるが、今日の竜の散歩ボランティアは手伝えそうにない。それよりも部屋のどこかに隠れてしまった竜を何とかしなければ。まさか生後たった一日で寝床から移動するとは思わなかった。デスクの下や椅子の下を覗いてみたが、パッと見える位置にはいないらしい。まぁ、ミルクを準備すればすぐに出てくるだろう。
「久悠ちゃん」
「はい。あのウェルメさん」
久悠がそう言って部屋の戸を開けた時だった。床を這うようにスススと移動する黒い影が足元をすり抜けていく。
「あ。……待て!」
思わず久悠は声を上げた。生後一日の竜の幼体が、ウェルメが置いてくれていた洗濯カゴに体当たりして服をまき散らし、その一部が身体に巻き付いたまま階段へと向かう。危ない――と叫ぼうとした時、ちょうどその手前の部屋に住むマイナが戸を開けて出てきた。
「うわ。おばけ!」
「マイナ、捕まえてくれ!」
「私がですか!?」
タンクトップにショートパンツというかなりラフなルームウェア姿だったマイナは、外れていた肩紐を戻し、白い布を纏う謎の地を這う生命体に飛びついた。
「なんですかこれ! めっちゃ暴れてるんですけど」
「すまん。少し事情があって――」
「どうしたの? 大丈夫?」とウェルメが階段を上がってくる。
ちょうどそのタイミングを見計らったかのように、竜の幼体が絡みついた洗濯物の中から顔を出す。
〝久悠みつけた〟
竜はそう言っているかのような表情で久悠めがけ突進し抱き着いた。そう思うんだったらなんで飛び出した。久悠はそう文句を言いたかったが、竜があまりにはしゃいでいるのでため息を吐くにとどめておいた。
「あら、竜ね」
「竜ですね。見たところセレストウィングドラゴンの幼体……」
「でも色が変ね」
「っていうか待ってください。セレストウィングドラゴンの幼体ってそもそも存在し得ないですよ。だって」
マイナとウェルメは顔を見合わせて、一瞬で状況を理解したようだった。説明を求める表情で、二人は久悠と幼体に視線を移す。
「……部屋に来てもらっていいですか。そこで話します」
この二人は信用に足るだろうか。いや、もうこの状況ではなんとか力を借りなければならない。ウェルメは頷き、キョトンと廊下に座り込んでいるマイナの肩を叩いた。
「マイナちゃんはその前に着替えてきたら? 片方、零れちゃってるし」
久悠は背を向け、マイナの短い悲鳴が上がった。
ウェルメも店の準備を別の店員に託してから、二人はほぼ同時に久悠の部屋にやってきた。久悠は竜にミルクを与え終わっており、藁を取り換えているところだった。
久悠が二人に先日の狩猟でのできごとと卵の孵化、それに関する久悠の推測と懸念を伝えると、マイナは目を輝かせていた。
「その竜のDNA、私が調べましょうか!」
ACMS管理一課は討伐管理簿の管理とドラゴンシェルターの監査が主な業務内容であることをマイナは語った。その一連の仕事の中で竜のDNAを検査する機会は幾度もあるという。
「鱗の一枚でも預けてもらえたら、他の検査に紛れてサクッと調べてきちゃいますよ」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫です、任せてください。検査結果がデータで出力されますが、それは確実に消去します。この竜の貴重さ、よくわかってるつもりです。これでもACMSですからね」
マイナが竜を手から肩に走らせて遊びながら、えっへんと胸を張る。
「そういえばこの竜くんの名前は決めないんですか?」
名前、か……
「今のところ特に決めてないな。竜を飼ったことがなくて――」
これまで殺してばかりいたから。
「竜の名前の必要性からして今気づいたところだ」
「じゃ決めちゃいましょう。ずっと〝この竜〟じゃ可哀相ですし」
「……そうだな。……いや。しばらく名前は保留したい」
「なんでですか?」
「聞きそびれているんだ」
「なにをです?」
「名前だ」
久悠はあの時のことを思い出していた。
「えっと……」
「しばらくこの竜の名前は〝
「そ、そうですか」
久悠はマイナと遊んでいるリュウを掴み、ごめんなと呟きながら鱗を一枚引き剥がした。チクリとした痛みに驚いたリュウは慌てて久悠の手から逃れてマイナの肩まで駆け上がり、自分の負傷箇所に首を伸ばしチロチロと舐めはじめる。
「ま、久悠さんがそれでいいならそれでいいですね。じゃあこのリュウくんの鱗、確かにお預かりします。今日は私、時間差でこれから勤務なのでマッハで調べてきますね」
本当は自分だけで解決したかったが、いずれウェルメとマイナには頼ることになっただろう。久悠はリュウを手元に呼び、一緒に深々と頭を下げた。
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