竜の世界

丸山弌

プロローグ

オープニング

 そこに球体があった。

 灰色のキャンバスに浮かぶその胚は薄い細胞膜に覆われ、無数の半透明のミトコンドリアが変形と融合と分裂を繰り返しながら網目状ネットワークを形成する。膜に閉ざされたプールには細長い層が重ねられたゴルジ体、タンパク質合成を担うリボソーム、またそれらに結びつく(あるいは取り込んでいる)小胞体などの細胞小器官オルガネラが埃っぽく漂い、その中でポツンと目立つ巨大で明瞭な球状の輪郭が細胞核だ。核膜によって包まれている内部の無数の染色体は、ヒストンたんぱく質にDNAが巻き付いて結ばれたヌクレオソームが繊細に編み上げられてクロマチン構造を形成しているものであり、そうしてコンパクトに収納されている直径二メートルに渡る二重螺旋状のDNAは糖とリン酸と四つの塩基によって構築され、その内の数パーセントの塩基配列が遺伝子として機能している。

 今、そこにあるDNAの一部に光が入った。代わりに、それまで鮮やかに光っていた遺伝子部分が暗転し、ただの文字列ノイズへと戻っていく。

 これらの変化によって染色体の活動が活発になり、ミトコンドリアが騒ぎだし、ゴルジ体の嚢が粉々に解体される。核が増幅して膨らみ、そして中央に一本の亀裂が走ったかと思うと、それがゆっくりと引き裂かれていく。同時に核を保有する細胞そのものも分裂を開始して複製され、細胞膜によって覆われた二つの球体がそこに誕生した。さらにその二つの球体も同じように分裂し、次々と自らのコピーを生成していく。

 球体は増殖をはじめた。

 細胞分裂がはじまったのだ。

 細胞は隙間なく互いを押し付け合って固まって、肉をつくり骨を生み、その身体を黒い鱗で覆い隠していく。やがて柔らかい光の中、ピンク色の血管が張り巡らされた卵白の中に浮かぶ小さな爬虫類の幼体がそこで身を丸め、人知れず青い瞳を見開いた。

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