第88話 遊びに来たよ!!ダニエル君!!

 時は戻り、忘れ物をクロムから受け取った後のテクノへと。

 テクノは今回の診察室から廊下に出ると、そのまま迷うことなく食堂へと向かった。

 そして食堂前に着くと、一瞬の躊躇いもなく我が家の如く目の前のドアを豪快に開け放った。

 食堂内には、人影がなく、奥の厨房からの音のみが広がる、少々沈黙が重い空気が漂う空間であった。

 開け放ったドアを律儀に閉めると、テクノは奥の厨房に向かって大声で叫んだ。


 「ダニエルくーーん!あっそぼうーーーヨウッ!!」


 「・・・・・」


 けれども、淡々と昼食を作る音のみが響くだけであった。

 テクノはダニエルの無視にめげることなく、もう一度、今度は変化を加えて呼び掛け直していった。


 「ダニエルくーーん、遊んでくれなきゃボクちゃん泣いちゃうよーー!君の愛しの愛娘のフウちゃんとセツちゃんにお父さんは人でなしでろくでなしなんだよって、ある事ない事吹き込んじゃうからねーー!そしたらお父さんの威厳が奈落の底まで落ちていっちゃうよーー!」


 そう叫んだ途端、ピタッと今までリズムよく響いていた包丁の音が止んだ。そして、その一瞬後、何かが凄まじい速度で厨房を飛び出して来た。

 テクノはしたり顔でニヤリと笑って、食堂から飛び出して来たダニエルを見た。そして、すぐさまその場で反転すると、全力で廊下を目指して走り出した。

 鬼の形相で食堂に出てきたダニエルは、両手に柳葉包丁を握り締めて、テクノを見つけると、全速力で追いかけ始めた。


 「てめえ、俺の可愛いフウちゃんとセツちゃんに手を出そうってのか!!ああん!!」


 「違うよ~う!!パパは、人でなしだよーーって伝えるっていったんだよーー!」


 「てめえ、ふざけるなよ!!これ以上フウちゃんとセツちゃんに嫌われるマネなんてすんじゃねえ!!前まではパパ、パパ、って甘えてくれてたのによ、今じゃゴミを見る目で避けられるんだぞ!!それにな、1人だけ、洗濯物が放置されてる悲しさが分かるか!!」


 「お~~う、君の娘達も随分と成長したものだな、ははは」


 おっさん2人のハイテンション鬼ごっこの幕が上がった。

 全力で逃げるテクノ。それをこちらも全力で追いかけるダニエル。

 両者の実力はほぼ伯仲。だが、先程晴天の下で一本流して来たテクノがやや不利に見える。それでも、背後から迫るとてつもない殺気に足は動く。

 そうして、しばらくエクストリーム鬼ごっこを興じた後、両者が疲れ切った時を以て、エクストリーム死力鬼ごっこは幕を閉じたのであった。

 激しく息を切らした2人は近くの椅子に倒れ込む様に座り込んだ。

 額から汗を滝のように流しダニエルがテクノを睨む。

 テクノは、肩を透かして、とぼけた振りをして流す。

 そんな2人の前に、いつの間にか食堂にいたジェームズが水の入ったコップをそっと置いた。

 透明な円柱型のグラスに注がれた水を目にしたダニエルとテクノは、一気にそれを呷った。

 2人がぷはぁと気持ちの良い息を吐き、生き返った後、ジェームズがテクノに声を掛けた。


 「テクノ先生、アリアお嬢様の状態は如何程のものでしょうか」


 緊張を孕んだ表情でテクノを見据え答えを待つ。それに、ダニエルも倣う。

 2人に見つめられるテクノは、全力走をしたせいでずれたパリピグラスを外してテーブルに置くと、その裏から露わになった眼差しで、正面に見返した。


 「う~~ん。ボクちゃんが診たところ、特にまた何かがお嬢様に起きている様子はなかったね」


 そう述べたテクノは、先程までのふざけた雰囲気を一変させ、正真正銘の医師の顔つきで答えた。

 テクノの答えを聞いたジェームズとダニエルは、安堵の吐息を吐いた。

 ジェームズとダニエルは知っているのだ。ふざけた格好のこの男が本当は生真面目な医師であることを。患者を第一に考え、自らも変化させるだけの覚悟を持つ、名声だけに生きる医師でない、本物であることを。

 だからこそ、テクノの言葉には信頼が置ける、それがジェームズとダニエルの共通見解であった。

 一気に緊張が解けた2人にテクノは軽く口角を上げたがすぐにまたきつく引き結ぶと、まだ安心するのは早いと続きを口にしていった。


 「けれどね、ここに来る前に貰った報告の魔力喪失とお嬢様の性格が反転した原因については、ボクちゃんでもわからなかったよ。お嬢様を測定した魔力測定器の結果にも、異常を起こしているという所見は見受けられなかったしね」


 そう述べるテクノの表情には、悩み抜いた疲れが浮かんでいる。

 テクノは天を仰ぐと、力のないため息を吐く。

 そして、再び顔を下げた後には、自らの無能さに悔しがる渋面が浮かんでいた。

 テーブルに突いた腕に額を乗せ、力なく首を振る。


 「ボクちゃん、いや、私も自身の医師人生で一番無能さに打ちひしがれたのが、お嬢様だったよ。何も出来ずに、ただお嬢様が衰弱してゆく姿を見ているだけだった。シアン君もそうだったね。力になれない悔しさに血が滲むほど唇を噛みしめていたのが、今での鮮明に思い出されるよ。ほんとに無能と評すしかない医師だったね、私は」


 自身を嘲笑うような皮肉に満ちた表情をダニエル達に向ける。

 その後すぐに、苦々しい苦悩に歪んだ顔つきで懺悔の如く言葉を紡いでいった。


 「セレナちゃんが自身の一部をお嬢様に捧げなければならない事態にまでさせてしまった。セレナちゃんは文字通り身を削ぐ痛みに笑顔を浮かべ、最後まで耐えきった。そして、お嬢様が目を覚ますところを見届けてから、ご家族と一緒にここから去っていった」


 独白するように述べるテクノは、重い息を吐いた。そして、一旦間を置くと続く懺悔を言葉にしていった。


 「私がもっと腕のある医師であったならば、お嬢様とセレナ様が分かれる道を選ばずに済んだはずなんだ」


 ダニエルが自身を責める必要なんてないと訴える様に見ていることに、力のない笑みで返した。


 「そこから、私は自分が医師であることが許せなくなった。王宮医を辞めて、医師であることも辞めようとした。だが、シアン君に止められてね、小さな診療所を開いた。・・・そこから色々あって・・・」


 そこまで話すと一旦言葉を切る。

 しばし重い空気がテクノを覆う。

 ダニエル達が俺らも同じだったんだからと、慰めの言葉を掛けようとした瞬間、突如バッと顔を上げて、テクノが一切の憂いを捨てきった晴れ晴れとした相貌ではじけた空気と共に言葉を発した。


 「そこを経てアリアちゃんの為に、今の超!パッピーなボクちゃんになったわけだね~!!ハハハ!!」


 しんみり語るテクノについ同情的になったダニエル。けれども、最後にいつものはじけたテクノに戻り、思わずしんみりしてしまった心境を返せと、きつくテクノを睨み付けた。

 しかし、テクノは大げさに肩をすくめるだけで悪びれる様子などなく、あまつさえ、ボクちゃんのおかげで重苦しい気分も晴れただろうと得意気にふんぞり返った。

 カチンときたダニエルは、先程の憂さ晴らしも兼ねてボソッと呟いた。


 「・・・そのせいで、お嬢に今日まで避けられてきたくせによ・・・ニヤ」


 抜き放たれた鋭く研がれたドスがテクノの胸をドスっと深々抉った。


 「うぐっ!?」


 思わぬ反撃と痛みに、胸を押さえるテクノ。

 唇の端から血を垂れ流す幻視を抱かさるテクノが、心痛に歪む表情で前のアリアからの数々の刺々しい対応を無理やりに呼び起される。

 胸というよりも心に突き刺さったドスがぐりぐりと抉る。

 先程よりも胸を強く押さえるテクノは、このままでは不味いと考え、自身の精神の安寧を求めて話題を代えた。


 「ま、まあ、今日はボクちゃんにすんなり会ってくれたから過去なんて忘れてしまったね」


 「・・・本当か?」


 「勿論さ!ハハハハハ!!」


 都合の悪い事は全て忘れる。それが今のテクノである。

 未だ胡乱気な眼差しでじっと見てくるダニエルに、誤魔化すようにそっぽを向いて下手な口笛を吹く。でも一向に変わらぬダニエルの眼差しに、誤魔化し切れないと感じ、強引に話を締めに掛かった。


 「といことで、アリアちゃんは検査の上では健康だよ!!」


 そう伝え終えた後に、テクノは大げさに笑った。


 ダニエルがやっぱこいつヤブなんじゃないのかと怪訝な目で見据えてくる中、一頻り笑い終えると、途端に真剣な表情に変えた、テクノ。

 そして、ふざけ一切なしで自身の見解を語っていった。


 「うん、そう。検査結果の上では健康だよ、アリアちゃんは。でもね、ボクちゃん的には、今アリアちゃんの身に起きている問題は、精神的なものが原因じゃないかなと思える。今のアリアちゃんはとても多感な年ごろだからね。何にでも敏感に反応してしまって、感傷的になってしまう。それに、これからは身体の発育の問題もある。女性の身体へと成長していく過程で、思い悩む事も多く出てくるだろうさ。だから、ボクちゃんから言える最良の治療薬は、周りが支えてあげることだね。ダニエル君、アリアちゃんに年が近くてお姉さんとなれる君の娘達のフウちゃんとセツちゃんに、アリアちゃんと仲良くして上げて欲しいと伝えてほしいな。相談できる人が近くにいる事がどれほど心の支えになるか。きっと、昔の様にフウちゃんとセツちゃんが仲良くなってくれれば・・・」


 「ああ、それなら心配はいらないぞ、テクノ。今のフウちゃんとセツちゃんはお嬢にご執心だからな。毎日、ヒメちゃん、ヒメちゃんってべったりだから。そのせいで、妙に張り切ってる節もあるし。・・・パパ、大っ嫌いは効いたけどな、ははは」


 愛娘からの大っ嫌い宣言は非常に心にぐさりとくるものであった、ダニエル。

 乾いた笑いを零したと思ったら、固まったままブツブツと「フウちゃん、セツちゃん、パパのこと本当にきらいになっちゃったの・・・」と呟くダニエルを憐れに見た後に、物音立てずに傍に居たジェームズに、テクノは話し掛けた。


 「ジェームズ様、随分とお屋敷の雰囲気が良くなりましたね」


 「全てはお嬢様のおかげでございます」


 そう述べ終えると、ジェームズが嬉しそうに微笑む。


 「そうですか。・・・うん、そうですね。私も今日は久しぶりにお嬢様の笑う顔を拝見できて大変嬉しく思えました」


 テクノはそうジェームズに話すと、本当に久しぶりに目にしたアリアの笑みを脳裏に思い浮かべ、優しく微笑む。

 そして、午後の診察と検査に向けて、魔力測定器の点検をより一層入念に行っていくのであった。



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