第31話 シオン、護ってあげてね

 アリアは、シオンにお姫様抱っこされてお風呂に向かう途中、何かを忘れている様な不安に急に襲われた。


 (何か、大事な物を忘れている気がする。何だ?)


 シオンの腕の中で、顔を上げて視線を足元から胸元までゆっくりと動かしていった。しかし、その忘れている物を見つけることが出来なかった。不安が、早く思い出せと急き立ててくる。

 もう一度、アリアはつま先から胸元までを真剣に見返していった。やはり、探し物はそこにはなかった。募る不安からもう一度と視線を足元に向けようとした時、視線の端にシオンの胸元を捉えた。そして、そこに光る物を見つけた時、今まで探していた忘れ物が輪郭をはっきりと伴いながら、頭の中で欠けていた部分にぴったりと嵌まり込んだ気がした。


 「そうか」


 無意識にアリアの口から言葉が漏れた。

 ぼんやりとシオンの胸に光る物を見つめ続けていると、シオンがアリアの視線に気づいて、声を掛けた。


 「お嬢様、何か気になることでもありますか?」


 シオンに問われて、ぼんやりと頭に霞が掛かるアリアはそれを身に着けていない焦りもあるなか、ひどく落ち着いた声音で頼んだ。


 「シオン、わたくしの部屋に急いで向かってくれませんか。わたくしの大切なものを取りに行きたいのです」

 「畏まりました」


 シオンは、様子が先程と少し違うアリアに怪訝な思いを抱きながらも、急ぎ足でアリアの部屋へと向かった。

 そして、部屋に入った途端、アリアがシオンの腕から飛び降り一直線にベッド横のサイドテーブルに向かった。そこでお目当ての物を見つけると、安心しきった表情で1つ言葉を零した。


 「ようやく見つけました」


 そう呟き、赤紫の魔石が付いた首飾りをテーブルからそっと手に取ると、大切に両手で包み込んだ。そして、安堵の表情でそれに視線を落としていた。

 一通り首飾りを眺め終えると、アリアは慣れた手つきで留め具を外すと、チェーンを首に回して後ろ手に外した留め具を止めた。


 「ふふ、これで良し!」


 首から下がる首飾りをもう一度手で持ち上げて確かに首に掛かっていることを確認すると、視線を上げ呆然としているシオンに向けた。そして、薄っすらと微笑むと、「シオン、必ず護ってあげなさい」と命じた。シオンは、そこに逆らい難い畏敬を感じると、深く頭を下げて、敬意を示した。


 「畏まりました」


 それだけしか、口が動いてくれなかった。それ以外を述べることは、畏れ多い気がして口が動こうとはしなかった。

 アリアは、シオンを一瞥すると視線を自身の胸元に落として口を開いた。


 「この子には、これから多くの試練が訪れます。ですが、それを乗り越えてもらわなければなりません。そうしないと!!」


 言葉を途中で止め、唇を噛みしめ悔しそうな表情を浮かべる。しかし、すぐにその表情を消すと、アリアは淡々と続きを語っていった。ところが、なぜかその声を上手く聞き取ることが出来ず、前半部分をシオンは聞き逃していた。そして、最後の慈しみと仄かな憂いを帯びた声だけが、シオンの耳に届いた。


 「・・・・・。お願いね、新しい私」


 少し語り疲れたアリアが、ほっと一息吐き調子を整えるとシオンに視線を向けて、一言だけ残した。


 「ごめんね」


 寂しげに微笑する。そして、アリアがシオンから背を背けようとした時、不意に記憶にない言葉が、咄嗟に口を衝いて顕れた。


 「アリア様、私も一緒に!」


 主との永遠の別れが頭の中に朧げな輪郭で思い浮かんだ。

 アリアが驚いて、振り返りシオンをはっきりと見据えた。そして、嬉しさと悲しさを帯びた笑みを浮かべた。


 「やっぱり、シオンはわたくしの大切な従者ですね。でも、ごめんね。一緒には連れて行けないの」


 アリアはシオンに近づくと、軽くシオンの胸に触れた。


 「だから、わたくしの代わりに今度はこの子を護ってあげて。諦めないで信じていてね、シオン」

 「畏まりました。必ず御守り致します、アリア様」


 それを受けて、ニコリとアリアは微笑んだ。そして、再び背を向けていった。

 シオンは、今度はその背に声を掛けずに見送った。主から告げられた命を深く胸に刻みながら。

 アリアが完全にシオンに背を向けた途端に、ふっとアリアの身体から力が抜け崩れ落ちた。


 「お嬢様!!」


 崩れ落ちるアリアの身体を必死に受け止めた。アリアの身体がシオンの腕にしっかりと収まりほっとした瞬間、アリアが色違いの瞳を開けた。赤と青の瞳がぼんやりと視線を辺りに巡らせた後、シオンの顔に止めた。


 「どうして、泣いているの、シオン」

 「分かりません。何故か涙が溢れてくるのです」


 見据えた先で涙を零すシオンに、どうしてか放っておけない思いが浮かび、アリアが優しい声色で命じた


 「そう。いいわ。すっきりするまで泣きなさい、シオン。わたくしが全部受け止めてあげるわ」

 「はい」


 アリアの胸に顔を埋めて、シオンは泣いた。胸にぽっかいと空いた穴が何かも分からないまま、ただ悲しさだけが溢れシオンを襲い続けた。

 アリアは、シオンの頭を優しく撫でて悲しみが治まるまで宥め続けた。






 シオンが胸の悲しさの全て出し切り顔を上げた瞬間、それを見計らい穏やかな声色で話しかけた。


 「落ち着いたかしら」

 「はい」

 「良かったわ」


 にっこりと微笑むとシオンの顔を見上げた。泣いていたせいか、腫れぼったい赤い目のシオンがアリアの瞳に映った。

 そのシオンの相好に何だか愛おしさが溢れ、ついつい口を滑らせた。


 「幼子みたいで、可愛かったわよ。わたくしは経験(したくはないけど)したことはありませんが、娘をあやしているみたいで何だか嬉しかったわ。撫でていると、無性に守ってあげないと、と思えてきました。わたくしよりも大きな娘ですけどね、シオンちゃん。ふふ、可愛いわ」


 アリアが気持ちのまま、シオンの顔を大切に胸に抱いた。そうして子供のようにアリアにあやされていると、段々と落ち着いてきたシオンが今まで、甘える様にアリアに顔を預けていた自分に恥ずかしさを覚えた。

 アリアは、先程まで安心しきって緩んだ表情で甘えていたシオンが、途端に恥ずかしさを覚えて顔を赤く染めたことに気付いた。だが、離したくないと思えてシオンの顔を胸で抱き続けた。

 平静を取り戻したシオンは、恥ずかしさから早く頭を上げたかった。しかし、それに気づいているのにも関わらず、頑なに宥め続けるアリアにシオンが抗議の声を上げた。


 「お嬢様いつもと立場が逆です。止めて下さい。身体がむずむずして、顔が熱くなります」

 「もう照れちゃって、可愛いわ、シオンちゃん」


 背中を撫でることも加えて、シオンが逃げないように抱きすくめた。自分の母親もこんな気持ちで、抱き締めてくれていたのかなと想像して、仄かな喜びを胸に覚えたアリアはシオンをその胸に抱き締め続けた。

 シオンは、顔を朱色に染め上げて抗議の声を上げ続けたが、アリアが悉くそれを無視した。 

 そして、すっかり満たされたアリアが、顔を真っ赤に染めて恨めしそうに睨むシオンに楽しげに声を掛けた。


 「そろそろ頃合いですかね。シオンちゃんも元気になりましたし、わたくしも心が満たされたので、そろそろお風呂に向かいましょうか、シオン」


 そう声を掛けて立ち上がろうとしたアリアであったが、上手く足に力が入らずに身体が傾いだ。声も上げる暇もなく、地面へと倒れていく。目を瞑ったアリアの身体が冷たく固い床の感触とは違う、温かく柔らかい何かに受け止められた。薄っすらと目を開けていき、眼前を見た。すると、シオンの顔が窺えた。

シオンは地面に倒れる寸前にアリアを救い上げられて、両腕で抱き抱えていた。


 「お嬢様、お怪我はありませんか」


 驚くアリアに声を掛けた。


 「ええ、シオンのおかげで大丈夫よ。シオンありがとう」


 驚きながらも、安心してシオンに身を任せながら答えた。


 「いえいえ、ではこのままお風呂に行きましょうね、お嬢様」


 シオンがうきうき顔でアリアをお姫様抱っこして、部屋から出てお風呂へと向おうとした。

 アリアがそれに、待ったをかける。


 「待ってシオン。少し休めば、わたくしだって自分の足で歩けますよ」

 「ダメですよ。お嬢様、無茶はいけません」

 「お願い止まってシオン」

 「ふふ。娘を持った母の気分です。さぁアリアちゃん、お母さんとお風呂に入りましょうね」

 「止めて。ごめんね、シオン。さっきの事は謝るから。部屋の外では、止めて~~~」


 悲鳴に似た声を上げるアリアをにっこりと笑顔で躱すとドアを開けて廊下に出ていった。

 シオンの腕の中で声を上げていると、そんな様子を微笑ましく見送る女性の使用人達がアリアの目に嫌という程入った。もう居た堪れなくなり、アリアはシオンに抱き着き顔を埋めた。

 お返し半分、可愛さ半分で破顔したシオンが意気揚々とお風呂へと向かっていく。根に持っているシオンの効果的なお返しに、アリアはただ顔を埋めて耐え忍ぶしかなかった。


 「お母さんが、綺麗に洗ってあげまちゅからね」

 「シオン、赤ちゃんになってますよ!わたくしはそこまでしてなかったですよね!!」

 「ああ、お嬢様!シオンは、今最高に満ち足りた人生を歩んでいます!」

 「話を聞いて、シオン!わたくしは、全然満ち足りていません!むしろ、絶望に近い気持ちです!」


 コントのように愉快な2人がお風呂へと消えていった。



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