5. いつも通りで良いんだ

「(こっち見ないでええええ!)」


 同棲バレでクラス中が大騒ぎになったものの、すぐにチャイムが鳴り朝のおしゃべりタイムは終了した。

 詳しい話を聞けなかったからか、クラスメイト達は彼方のことが気になって仕方なく授業中にチラチラと見ている。


「お前らなんか変だぞ?」


 テスト返却の日は少しでも点数が上がらないかと必死で採点ミスを探すのがいつもの光景なのに、今日は全員が気もそぞろであり教師が不思議に思っていた。


「(あんなことやこんなこともバレたらどうしよう)」


 裸を見られたこと、自分から誘ってしまったこと、手を繋いで寝ていること。

 またしても思い出してしまい小さくプルプルと震えてしまう。


「~~~~っ!」


 そしてその様子を見たクラスメイト達は、一体どんなプレイをしているのかと邪推してチラ見する回数が増えてしまう。


 彼方は増えた視線を更に意識するようになり、また思い出して俯いた顔がより真っ赤になる。


 酷い悪循環である。


「(篠ヶ瀬君助けて……って篠ヶ瀬君が来たらダメ)」


 好奇の視線が更に強くなることは間違いない。

 二人の一挙手一投足が注目され、その多くがいかがわしい妄想に発展してしまうだろう。


「(でもお昼休みになったら来ちゃうんだよね、きっと)」


 彼方の心情を察して敢えて来ない可能性もある。

 放置出来ないと心配して来る可能性もある。


 彼方的には半々くらいの確率だと感じていた。

 でもどちらが良いというのは無かった。

 来たら来たで恥ずかしいし、来なかったら来なかったで寂しい。


「(これじゃあ面倒臭い女みたいだよ!)」


 せめてやらかしが無くて単に優斗とイチャイチャしてしまったことだけを囃し立てられたならばまだ我慢出来る。

 そのやらかしが面倒臭い女的な思考へと誘っていた。


 もういっそのこと何もかも慣れてしまった方が楽になれるのでは。

 そうすれば普通の自分に戻れるかもしれないとすら思い始めた彼方であった。




 そしてついに昼休みの時間が来る。

 優斗の選択は果たして。


「彼方! やったぞ!」


 来る、が正解だった。


 優斗が教室に入った瞬間、露骨に空気が変わって視線が集中した。

 しかしそんなことは今更気にならない。

 これまで彼方のクラスに来た時に何度も何度も見られていたのだ。


 見られる意味が変わったとはいえ、どうってことは無かった。


 それゆえ優斗は周囲を完全無視で一直線に彼方の席へと向かった。


「ほらこれ、やったぞ!」

「え、え?」


 優斗が来るかもしれないと覚悟はしていたけれど、こんなにハイテンションだとは思っていなかったため照れよりも困惑が強かった。

 その理由はすぐに分かった。

 優斗がテストの答案用紙を差し出してきたからだ。


「六十五点?」

「そう、ギリギリで平均点越えたんだよ。他の科目もだぜ。彼方が教えてくれたおかげだよ」


 そうお礼を言いながらいつものように彼方の前の席を借りてお弁当を食べる準備をする。


「彼方弁当食べないのか?」

「え、ああ、うん、食べるよ」


 唐突な展開に彼方は照れるのも忘れ優斗に言われるがままにお弁当を出す。

 しかし理由が分かってしまえば驚きなんて長続きしない。


 そして優斗と向かい合って自分の手作り弁当をこれから一緒に食べるのだと意識してしまう。

 友達の『同棲』という言葉がリフレインする。

 今の二人がクラスメイト達に色々と妄想されているのだろうと思うと顔から火が出そうになる。


「それで彼方はどうだった?」

「え?」


 だがそんな彼方の様子を優斗は一切気にする様子は無かった。


「俺の勉強見てもらったせいで彼方の成績が落ちてたら悪いと思ってさ」

「あ、うん、いつも通りだったよ」

「そうか、安心したよ」


 優斗のほっとした笑顔に彼方は胸が高鳴るのを感じた。


「(この状況で優しさは逆効果だよ!)」


 お弁当の味が全くしない。

 というか、お弁当にいつ手を付けたのかすら覚えていない。


 この状況に慣れるにはまだ時間が足りず、羞恥と緊張で限界寸前だった。


「でもさ、実は一教科だけ平均危なかったんだよ。採点ミスが無いか滅茶苦茶探して先生に食い下がりまくったら部分点貰えて助かったわ。あの先生普段めっちゃ優しいのにあんなに嫌な顔するのな。新しい表情引き出した俺って凄くね?」


 しかし優斗は相変わらず彼方の反応を気にせずにどうでも良い事をひたすら話しかける。

 これまで徹底して彼方を気遣った優斗にしては奇妙な対応である。


「(周りの事は気にしないでってことなのかな。でもそんなの無理だよ。そもそも二人きりでも緊張しちゃうのに)」


 だから話しかけられてもまともに答える事なんて出来ない。

 優斗を困らせてしまう。


 本当にそうなのだろうか。


「(この気持ち、何だろう)」


 居た堪れないはずなのに、優斗の顔をまともに見る事すら出来ない状況なのに、周囲の視線をどうしても意識してしまうのに。


 胸の中に温かで穏やかな気持ちが生まれていた。


「(篠ヶ瀬君……)」


 その温もりが過去の記憶を呼び覚ました。

 やらかしの記憶では無く、優斗がくれた大切な記憶を。


『それでさぁ。あいつ俺ばかり指すんだぜ。勘弁してくれって感じだよ。そりゃあ宿題やってこなかったのは悪かったけどさぁ』

『ええ、彼方それだけしか食べないの。もっと食べなきゃ大きくならないぞ。ほら、俺の特製ドリンク飲むか?』

『じょ、冗談だから怒るなって。持って来てないから。ほら、これでも飲め飲め』


 優斗は彼方が何も言わなくても普通に明るく接してくれた。

 彼方の感情が希薄であっても普通に明るく接してくれた。

 傍に居てくれた。


 今の優斗もまた、これまでの優斗と同じだったのだ。


 心を乱す彼方に対して普通に明るく接することで、変わらぬ温もりを与えてくれようとしている。


 二人でお弁当を食べるこの時間は恥ずかしくなんかない。

 むしろ心がポカポカするような温かくて幸せな時間なのだと思い出した。


「(ありがとう、篠ヶ瀬君)」


 ふっと心が軽くなった。


 まだ恥ずかしさも照れ臭さも残っているけれど、それ以上に優斗と過ごす何気ないこのお昼の時間が幸せに思えた。


「(今まで通りがこんなに安心出来るなんて)」


 これが優斗の考えた今の彼方との向き合い方だった。


 優斗は最初、恥ずかしがる彼方に近づいたら困らせてしまうかもしれないと思い距離感を掴みあぐねていた。

 しかしそうやって優斗もまた彼方のことを特別だと意識してしまったら、彼方がその優斗の反応を受けて更に優斗の事を意識してしまうのではないか。

 この悪循環に陥らないように普通を演じて彼方を落ち着かせようと考えたのだ。


 今まで感じていた心地良い関係性を思い出してくれると信じて。


「(そうか。私が篠ヶ瀬君のことを好きなのは助けられたからだけじゃなかったんだ)」


 大切なものを必死に探してくれて、拉致された相手に甚振いたぶられようとも立ち向かい、不審な男から守ってくれた。


 それらの強烈に印象に残る行為は彼方の心に想いという種を植えつけて芽吹かせ花咲かせ実らせてくれた。

 だが普通に傍に居て接してくれたことこそが、その積み重ねこそが想いに水と栄養を与え育んだのだ。


「ありがとう、篠ヶ瀬君」

「急に何?」

「ううん、お礼を言いたくなっただけ」


 そんな甘酸っぱい雰囲気にクラスメイト達は色めき立つが、今の彼方はもうほとんど気にならなかった。

 優斗との日常を味わい、花咲いた想いに栄養を与えている最中である。

 そんな余計なことに気を遣うなんてもったいないのだから。

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